『生老病死のエコロジー チベットヒマラヤに生きる』 

  • 『生老病死のエコロジー チベットヒマラヤに生きる』
  • 奥宮清人・編
  • 昭和堂

 標高5300メートルのエベレスト・ベースキャンプでぼくはこの原稿を書いている。本書によれば、5300メートルという高さこそが「人間の居住の最高高度」であるという。低酸素環境でのろのろと行動している自分に比べ、登山のサポートをしてくれるシェルパたちは、平地と同じように自在に行動しており、その順応力に目を見張るばかりだ。
彼らは身体の血管を拡張させ、血流量を増やすという遺伝子の低酸素適応戦略によって、今のような身体を手に入れた。高地におけるこうした人々の生活について、様々な角度から考察したのが本書である。
世界の三大高地として知られるアンデス、チベット、エチオピアのなかでも、特にチベット文化圏に焦点をあて、さらにアルナーチャル・プラデーシュ、ラダーク、青海というチベット高原の周縁に位置する三地域で行われたフィールワークを、それぞれの研究者が章ごとに報告している。高地でいま何が起こりつつあるか、ヒマラヤやチベットの歴史や文化をふまえ、生老病死をキーワードに、読者はその現実を徐々に知っていくことになるだろう。
 冒頭に述べたような高地への遺伝的適応ばかりでなく、文化的適応についての記述に惹かれる。インドのラダークにあるドムカル村の住民は、「お祈りをしているとき」に幸せを感じるという。チベット仏教徒にとって祈りは特別な意味を持っている。「信じるものや夢や目標、好きなことに没頭しているときに幸せを感じることは多くの人に当てはまるのではないか」と筆者が補足するように、そこには確かに人の幸せの原点が垣間見られる。
 グローバル化の波にさらされ、糖尿病などの生活習慣病が増えている高地の現実を冷静に分析しつつ、彼らの揺るがない精神性を見つめていく。生まれること、老いること、病むこと、死ぬことという四つの苦しみと彼らはいかに向き合い、私たちはそこから何を学ぶのか。まだ中間報告であるという本試みの行き着く先に期待したい。

【初出】朝日新聞 2011年5月1日付
※本記事の無断転載を禁じます。