ヒマラヤインデックス

2011年に10年ぶりのエベレスト登頂に成功して以来、毎年ヒマラヤの山々へ遠征を続けている石川直樹さん。5年目となる2015年は、ヒマラヤを離れパキスタンのカラコルム山脈にある世界第2位の高峰・K2へ遠征中です。このコーナーでは、石川さんの過去5年間の日誌から現在のヒマラヤ文化圏を知る手がかりとなるキーワードをピックアップして紹介していきます。各キーワードが登場する過去の日誌にも、リンクされています。ぜひお読みください。

2015年7月 リトルモア編集部

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アイスフォール

エベレストのネパール側にはベースキャンプのすぐ上に、巨大な氷河が流れ落ちている「アイスフォール」なる場所があり、そこを越えなければC1やC2にたどり着けない。
2013年4月7日付の日誌より

アイスフォールドクター

春と秋の登山シーズンがはじまる前に、エベレスト南側における最初の難所「アイスフォール」に梯子をかけ、そのメンテナンスを行う男たちのことである。
2013年4月16日付の日誌より

アタック

頂上アタック出発直前にNHK隊のベースキャンプを訪ねて、「いよいよ行ってきます」と挨拶をしたとき、ディレクターの廣瀬さんから「さんまの蒲焼き」の缶詰をもらった。
2011年5月25日付の日誌より
ぼくはこの「頂上アタック」という言葉が嫌いで、これを原稿の中などで使うたびに違和感を覚える。
2012年9月20日付の日誌より

アマダブラムBC

ベースキャンプは美しい場所だった。エベレストとローツェが正面に見え、その対極にアマダブラムが堂々とそびえている。
2013年10月30日付の日誌より

ウーリー・シュテック

ウーリー・シュテックは、30歳代半ばのスイス人で、アイガー北壁、マッターホルン、グランドジョラスの最速登頂記録を持っている。
2012年4月13日付の日誌より
ウーリー・シュテックは5月18日に、21歳の若いシェルパ、テンジンと二人でノーマル・ルートから無酸素登頂に成功した。
2012年5月20日更新の日誌より

エベレストの犬

毎日眠っているマットの上に、見ず知らずの犬が寝ていたのだ。なんなの、きみ……。
2012年4月25日付の日誌より

エベレストハードウェア

偽物のなかでぼくが注目しているのは、「エベレストハードウェア」である。
2011年2月5日付の日誌より

エベレストビューホテル

エベレストビューホテルは、各国からきている登山者でいっぱいだった。
2012年4月3日付の日誌より

エベレストベースキャンプ

ホワイトポッドと呼ばれる休息テントなども張られていて、小さな村状態である。
2011年4月9日付の日誌より
標高5300メートルのやすらぎの地である。
2012年4月9日付の日誌より
ベースキャンプに、今季のHIMEX隊の3チーム(エベレスト・ローツェ・ヌプツェ)そして、シェルパたちが、今日、全員集合した。
2012年4月23日付の日誌より
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カトマンズ

窓から飛び込んでくる排気ガスと砂埃を鼻から目一杯吸い込んで、カトマンズに到着したことを実感する。
2011年1月18日付の日誌より
カトマンズの空港には、大きなバックパックやドラムバッグを持った、登山者らしき外国人が大勢いた。ネパールはいよいよ本格的なトレッキングシーズンに突入する。
2012年3月29日付の日誌より

カサン君

カサン君は、ぼくが23歳のとき、チョモランマの頂上アタックで、最後の最後、頂上まで一緒に登ったシェルパである。
2012年4月22日付の日誌より

カラパタールの丘

右手にはエベレストやギャチュンカン、左手にはプモリ、後方にはアマダブラムやタムセルクがくっきりと見える。
2011年2月1日付の日誌より

クムジュン

クムジュン村は登山に関わる多くのシェルパたちの故郷でもあり、彼らのバックグラウンドを知るためにもクムジュン滞在は有効だろう。
2011年4月2日付の日誌より

倉岡裕之さん

日本登山界のあれやこれやについて、ここではとても書けないようなあけっぴろげなトークを炸裂させて帰っていかれた。面白い人である。
2012年4月12日付の日誌より

クランポン・ポイント

クランポン・ポイントというのはその名の通り、そこからクランポン(=アイゼン)を付けるという場所で、普通のトレッキングシューズで行ける限界の場所のことを指す。
2012年9月4日付の日誌より

グレートヒマラヤトレイル

「グレートヒマラヤトレイル」とは何か。ヒマラヤ山脈が東西に長くのびていることはみなさんもご存じだろう。その南側に、東西に長いヒマラヤ山脈を横断する一本の道が繋がったのだ。
2013年9月21日付の日誌より

クンブー・クライミング・センター

今年のシェルパの学校の生徒は全部で60人ほどで、7人ずつの班に分かれている。ぼくが見学したアイスクライミングの練習は「ヤク」という班で、先生は強者のシェルパだった。
2011年1月28日付の日誌より

ゴーキョピーク

ゴーキョピークは、標高は5357メートルと地図にある。ルザが4300メートルだったので、一気に1000メートルほど高度を上げたことになり、高山病の症状が少しずつ出始める。
2011年10月18日更新の日誌より

ゴラクシェプ

ゴラクシェプで2日間分の日記を更新した。それにしても、コンセントにアダプタを差し込んだだけで400ルピーとは随分なボッタクリだろう。
2012年4月9日付の日誌より

小西政継さん

午後、マナスルで亡くなった小西政継さんの伝記『激しすぎる夢 「鉄の男」と呼ばれた登山家・小西政継の生涯』を読了した。
2012年9月21日付の日誌より

コンラッド・アンカー

コンラッド・アンカーは、去年のこの日記にも登場した、世界的なアルパイン・クライマーである。1962年アメリカ生まれ、南米や南極などの山で未踏ルートをいくつも登り、1999年に、あのマロリーの遺体をエベレスト山中で70年ぶりに発見したことでも有名になった。
2012年4月16日付の日誌より
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サガルマータ国立公園

モンジョを出てすぐのところにあるチェックポイントは、サガルマータ国立公園の入口にもなっているので、毎回必ず手続きをする必要があるのだが、今年は他の場所にもいくつか検問が設けられていて、少々面倒だった。
2012年4月1日付の日誌より

サティスさん

サティスさんと知り合ったのは、二年くらい前である。ポルツェのクンブー・クライミングセンターで先生をやっていて、ぼくがポルツェを訪ねたときに初めて出会った。
2012年4月21日付の日誌より

サマゴン村

サマゴン村は緑の谷の中にある。周囲の山の斜面から、幾筋もの白い滝が流れ落ち、川は黒みがかった乳白色をしている。
2012年8月29日付の日誌より

シェルパ

HIMEX隊のシェルパで、最も長く働いているのは、クブドゥとラチューとロプサンである。勤続18年、毎年春と秋に登山者を8000メートル峰に導いてきた。
2012年4月28日付の日誌より

順応

6000メートルにて、二泊目の朝を迎えた。二泊目だが、昨晩と同様よく眠れなかった。やはり眠っているあいだの呼吸が浅くなり、どうしても頭痛が出る。
2012年5月3日付の日誌より

ジョン・クラカワー『空へ』

しかし、去年ネパール側から登ったばかりということもあり、『空へ』のあらゆる記述が微に入り細に入り、突き刺さってくるように目に浮かんだ。
2012年4月8日付の日誌より

新ナオキの丘

仕方がないのでモレーンまで出て、さらにゴラク方面へ歩き、小高い丘に登るとようやくNCELLが繋がる。そこを今年の新しい「丘」とする。
2013年4月27日付の日誌より
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タシフレンドシップロッジ

一時間くらいでクムジュン村の、タシフレンドシップロッジに到着。最強のシェルパ、プルバ・タシの実家である。
2012年4月2日付の日誌より

ダージリン

ヒマラヤ登山学校に行こうと思って人に道を尋ねると、木曜日は休みだと言われてしまった。
2012年6月6日更新の日誌より

タメル

朝、バイキングの朝食を食べた後、何でも買えるタメル地区へと向かった。
2012年3月30日付の日誌より

タルチョ

「行ってくるよ」と言って握手をすると、「これもっていく?」と、折り畳まれて袋に入ったタルチョをくれた。
2012年4月4日付の日誌より

撤退

「命の危険を冒してまで、遠征を続ける理由はない」というのがラッセルの判断である。
2012年5月5日付の日誌より
遠征はここで終わりである。エベレストはもちろん、ローツェもヌプツェも、これ以上の登攀は、ない。3チームとも解散だ。
2012年5月5日付の日誌より
HIMEX、全面撤退のニュースは、すぐにBC中に伝わり、さらに世界中を駆け巡った。
2012年5月6日付の日誌より

テンジン・ノルゲイ

テンジンは、エベレストにヒラリー卿と共に初登頂したシェルパの英雄である。
2012年5月30日付の日誌より

テント

鴨長明の方丈庵ではないが、大きくて頑丈な家などなくても、鳥の巣ような小さなテントが一つあれば暮らしていける。
2012年9月11日付の日誌より

登頂

2011年5月20日午前6時12分、10年ぶりにエベレストに登頂しました。頂上は快晴無風。
2011年5月21日付の日誌より

飛ばない飛行機

13時まで待ったが、結局一便も飛ばず、がっかりしながら食堂で昼食を食べた。
2011年1月20日付の日誌より
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ナオキの丘

ベースキャンプの丘で倉岡隊の日本人たちと出会った。この丘は、倉岡さんによって「ナオキの丘」と命名されていた。笑。
2012年4月27日付の日誌より

雪崩/落石

HIMEX隊がC1とC2に分散して止まっている頃に、ヌプツェのほうから雪崩があったのだ。ぼくはそれを遠くから見たのである。
2012年4月27日付の日誌より
エベレストの最終キャンプがあるサウスコルに向かうための壁「ローツェフェイス」に、落石が頻発しているのだ。
2012年5月4日付の日誌より

ナムチェバザール

標高3440メートルの場所にある、シェルパ族の村である。
2011年1月25日付の日誌より
ナムチェには年々建物が増えていく。30年前のナムチェバザールの写真を見て、あまりにも建物が少なくてびっくりしたことがある。
2012年4月15日付の日誌より

ナムハさん

パンボチェのゴンパゲストハウスを経営しているナムハさんは、1971年に植村直己さんと一緒にエベレストへ向かったシェルパである。
2011年4月5日付の日誌より
そのナムハさんが、亡くなっていた。また一人、歴史の生き証人がいなくなってしまった。
2012年4月5日付の日誌より

ナルジンボトル

世界のてっぺんへのお供たち
1リットルのナルジンボトルを買うために走り回った。中国製のニセ物のナルジンは200ルピー、アメリカ製の本物のナルジンは1300ルピーで売られている。
2012年3月30日付の日誌より

野口健さん

ぼくは10年前の2001年にチベット側のエベレスト・ベースキャンプで、彼と初めて出会ったのだ。
2011年4月25日付の日誌より
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初体験

男性の尻に触れるのも、尻の肉をつまむのも、自分にとっては衝撃的な初体験であった。
2012年10月2日更新の日誌より

バレーボール

HIMEX隊のシェルパが5人対5人くらいに分かれて、チームを組んで対戦する。
2012年9月16日付の日誌より

パノラマロッジ

ナムチェは定宿のパノラマロッジへ。温かいシャワーを24時間浴びられる素晴らしきパラダイスである。
2012年4月14日付の日誌より

パルスオキシメーター

世界のてっぺんへのお供たち
左手の人差し指につけたSPO2を計るためのパルスオキシメーターの数値は、自分を息切れ状態にもっていくたびに、70代まで下がるが(通常は100)、いつもの深く速い呼吸を繰り返すと、80後半まで上がる。
2013年9月21日付の日誌より

パンボチェ

パンボチェの寺は、エベレスト街道のなかでも、格式が高い寺として知られる。
2012年4月5日付の日誌より

東日本大震災

ごはんを食べながら、あれやこれや積もる話をしながら昼食を食べ終わって、そろそろ店を出ようかという段になったとき、急に室内が揺れ出した。
2011年3月13日更新の日誌より

ピーボトル

ピーボトルとは、テント内で小便をするときに使う、1リットルのナルジンボトルのことである。
2011年4月10日付の日誌より

ヒマラヤ登山学校/エベレスト博物館

いまはシーズンオフらしく、授業などは開講されていない模様だ。室内のクライミングウォールや、生徒のための寄宿舎もあった。
2012年6月1日付の日誌より

ヒマラヤンエクスペリエンス(HIMEX)

HIMEXのリーダー、ラッセル・ブライスはもちろん、ガイドのエイドリアンやウディや田村さん、そして医師のモニカや、ホーリー女史のもとで働くビリーである。
2012年3月29日付の日誌より

ヒマラヤン・レスキュー・アソシエーション(HRA)

午後3時から、ペリチェにあるヒマラヤン・レスキュー・アソシエーション(HRA)の事務所で女性の医者から高山病の講義を聴いた。
2011年4月6日付の日誌より
4時半から、ペリチェに常駐するヒマラヤン・レスキュー・アソシエーション(HRA)の二人の若い女医から、毎年恒例の高所医学レクチャーがあった。
2012年4月6日付の日誌より

ピルグリム・ブックストア

カトマンズの良心であり、知のアーカイヴであり、紙に刻まれたヒマラヤ世界そのものだった。
2013年5月21日付の日誌より

フィックスロープ

フィックスロープというのは、登攀を補助するための固定ロープのことだ。
2011年5月8日付の日誌より

プジャ

祭壇が作られ、そのそばに祈りをこめたい道具類を置いた。登山靴やピッケルなどが建てかけられ、ぼくはノースフェイスのバックパックを置いた。
2011年4月12日付の日誌より
パンボチェの寺でプジャをあげてもらった。僧侶から赤いヒモをもらい、首にかけてもらう。
2012年4月5日付の日誌より
祭壇の上空には鳥が舞っていた。カサン君のことを思う。儀式の終わりに、プルバから赤いヒモをもらった。プジャの参加者はそれを首にかける。シェルパも含めて、全員もらう。
2012年4月24日付の日誌より
9時頃からプジャがはじまった。登山の安全を祈願する。祭壇が作られ、そこに各自、大切な道具などを供えて、祈りを込めてもらう。
2013年4月15日付の日誌より

プルバ・タシ

写真は、頼りになるシェルパたち。一番左が、プルバ・タシ。ラッセル隊のサーダー(シェルパ頭)だ。
2011年4月19日付の日誌より
ここでプルバと再会した。聞き慣れた「ナオキサーン」をまた今年も耳にして、嬉しくなる。
2012年4月2日付の日誌より

ペリツェ(ペリチェ)

ペリチェの標高は4200メートルで、このあたりから調子の悪い人が出始める。
2012年4月6日付の日誌より

ポーター

3、4人のポーターを雇ったのだが、その一人がまだ小学生くらいの女の子だった。
2012年5月9日付の日誌より

ホテルエベレストビュー

昼飯は、ホテルエベレストビューで親子丼と味噌汁。うまい。
2011年1月26日付の日誌より
11時にロッジを出て、エベレストビューホテルへ。20ドルという超高級ホテル並みの値段設定の親子丼定食を食べる。
2011年4月3日付の日誌より

ホーリーヒマラヤホテル

ホーリーヒマラヤホテルを定宿にしたのには、理由がある。
2011年2月5日付の日誌より

ポルツェ

HIMEX隊がナムチェに一泊しかせず、クムジュンに二泊、ポルツェに一泊するのは、この二つの村がクライミング・シェルパたちの故郷だからである。
2012年4月4日付の日誌より
HIMEX隊のサーダーであり、エベレストに20回以上登っている超人シェルパのプルバが、ポルツェに新しいロッジを作った。
2014年4月7日付の日誌より

ホワイトポッド

ホワイトポッドとはHIMEX隊のBCのど真ん中にある、大きな白いドームである。
2012年5月5日付の日誌より

ホンゴン

ここから北に村はない。ここから北に行けばヒマラヤ山脈とチベット国境があるのみ。すなわちここは最奥の村である。
2013年10月14日付の日誌より
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マナスル頂上

午前9時8分登頂。C4から頂上まで、3時間13分。快晴微風。最高の天気。
2012年9月30日付の日誌より

マカルー

マカルーの標高は8,463 メートルで、世界第4位のローツェに次いで、第5位の標高を誇っている。
2014年3月7日更新の日誌より

マカルー・コフ

どうやら「マカルー・コフ」ともいうべき咳をもらってきてしまったようだ。
2013年10月31日付の日誌より

マカルー登頂

25日の朝4時過ぎに登頂しました。真っ暗だったので、8463メートルの頂上に一時間くらいとどまって、日の出を待ちました。
2014年5月28日付の日誌より

マカルーベースキャンプ

9時50分、スイスベースキャンプの手前までたどり着いた。ここで時間切れ。
2013年10月26日付の日誌より
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ヨーグルト

日本で言うヨーグルトとレアチーズケーキの中間みたいな味で、直径20センチくらいのレンガ色の陶器皿に入れて売られている。
2011年2月4日付の日誌より
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ラッセル・ブライス

エベレストにもマナスルにも何十隊もの隊がひしめきあっている。そこで混乱が起きないよう、優秀なシェルパを揃えてイニシアチブをとる隊が現れた。その隊こそがヒマラヤン・エクスペリエンスであり、それを率いたのがラッセル・ブライスという人だった。
2012年9月19日付の日誌より

ルクラ

機内の一番後ろの席で居眠りをしているうちにルクラに到着。着陸の際、飛行機が多少バウンドして尻を打った。
2012年3月31日付の日誌より

ローツェ

2012 はじめに
成川さんをはじめとする早大山岳部の、ローツェ・シャール登攀に関しては、同メンバーだった村井葵さんの『幻想のヒマラヤ』(中公文庫)に詳しい。
2012年4月17日付の日誌より

ローツェ登頂

5月17日、午前10時12分、標高8516メートルのローツェの登頂に成功した。
2013年5月19日更新の日誌より

ロブチェピーク

シェルパにとって、ロブチェピークなど、散歩のようなものだろう。
2012年4月13日付の日誌より
朝10時、ここから稜線上を歩いていったところにあるロブチェ・ウエストピークに向かった。
2012年5月2日付の日誌より

ロブチェベースキャンプ

あわせて50張り以上のテントが立ち並び、ロブチェBCは一大HIMEX村の様相を呈している。
2012年4月7日付の日誌より
いよいよ高所順応一発目、ロブチェピーク登山のはじまりである。
2012年4月12日付の日誌より
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A-Z

ENSA

ENSAというのは人物ではなく、シャモニにある由緒正しい登山スキー学校の名前であった。
2012年4月24日付の日誌より

IMG

IMGはアメリカのレーニア山の麓に本拠地を置く会社で、世界中の山でガイド登山を実施している。
2012年5月7日付の日誌より

Ncell

世界のてっぺんへのお供たち

TOREAD/ジンジャー女史

TOREADは日本では聞き慣れないメーカーだが、中国の登山用具メーカーのなかでは大きなシェアを獲得している。
2012年4月7日付の日誌より
中国人のジンジャーは、今回のHIMEX隊のテントや寝袋、ガイドの装備などを全て提供しているTOREAD社の女社長である。
2012年4月15日付の日誌より