はじめに:アマダブラム編

 2013年春のローツェ遠征で、ヒマラヤ通いを一区切りさせる予定だった。
 これまで撮影してきた写真がだいぶたまったので、写真展をしたり、写真集を出す方向へとそろそろシフトしなければいけないと思っていた。が、再び魅力的な誘いがあった。毎年参加しているHIMEX隊のボス、ラッセル・ブライスから、今秋のアマダブラム遠征に参加しないかと言われたのだ。しかも、ノーマルルートではなく、北稜のバリエーションルートを登るという。公募隊としては初の試みとなる。

 しかし、ローツェ遠征でヒマラヤに区切りをつけることを決めていたぼくの心は、それだけでは動かなかった。

 ローツェから帰国した直後、ぼくはNHKの番組取材を兼ねて、パプアニューギニアのインドネシア側の山に登る計画を立てていた。途中の道には樹上に暮らす民の村があり、目的の山も、まだイギリスの一隊が登っただけで、第二登を目指せる未知の山。目標としては十二分に条件を満たしている山だろう。が、これはインドネシア政府の許可がどうしてもおりず、やむなく中止となった。

 とすれば、目的地を変えるしかない。色々な地域を旅する可能性を考えたが、やはりアマダブラムの話がぼくの頭の片隅にずっと残っていた。パプアはダメになったが、NHKの番組取材の話自体はまだ生きており、いろいろリサーチしていくなかで、グレートヒマラヤトレイルと呼ばれる道を通ってアマダブラムへ行けるということがわかった。「エベレスト街道」にはもう10回以上通ってきたので、そろそろ卒業してもいいころだろう。しかし、「グレートヒマラヤトレイル」という聞き慣れない響きはぼくにとって、非常に魅力的だった。

 調べれば調べるほど、「グレートヒマラヤトレイル」に惹かれた。どんなに調べてもあまり情報が出てこないところが、いい。「グレートヒマラヤトレイル」とは、東西に長く延びたヒマラヤ山脈に沿って、その南側を横断する長い長いトレイルのことである。もともと生活道としての道はあったのだが、そこを外国人が通過できるようになったのはここ数年のこと。今までは、その道がチベットとの国境付近を通過することから、部分的に未解放地区に指定されており、入域が制限されていた。それが今は合法的に通れるようになったのだ。

 世界にはいくつものロングトレイルがあり、昨今では日本でもトレイルが整備されて、人気が出てきているが、このグレートヒマラヤトレイルは、間違いなく世界で最も難しいロングトレイルだろう。シェルパ族のチームが世界で初めてこのトレイルを踏破して、ネパールの新聞に掲載されたのがつい最近の話。うまく行けば、160日間で歩き通すことができるというが、外国人では、部分的に歩いた人がいる程度で、踏破した人はいない。(少なくとも公表されていない)。

 ルート状には、5000mの峠ならまだしも、6000mの峠を越える場所がいくつかある。しかし、6000m越えは、果たして「峠越え」という言葉の範疇におさまるものだろうか。アイゼンとピッケルが必要で、時にはポーターの安全確保のためにもフィックスロープも張る箇所も出てくるかもしれない。

 事前に調べた情報によれば、今回通る道は、通常のグレートヒマラヤトレイルではなく、さらに国境に近い、アッパーヒマラヤトレイルとでも言うべきルートになる。6000mの峠を3つ越える。そして、最後に待っているのがアマダブラムの北稜だ・・・。

「峠を越える」と書けばたやすいが、要は6000mの山を連続で登るのと同じことだ。そこを通りたいと思ったのは、途中にロミ族という先住民が暮らす村があるからだ。近隣の地域出身のシェルパが一緒に来てくれるのだが、彼もそのあたりを通過したことはなく、どんな道なのか、それ以前に果たして道と言えるようなトレイルが存在しているのかも不明。ロミ族の村を通過すると、その先はアマダブラムまで一週間近く無人の荒野で、わずかにカルカ(ヤクなどの放牧場)の跡があるかどうか、という場所らしい。
 
 とにかく、行ってみないとわからない。今まで書いてきたことも、机上で収集可能な範囲の情報であって、行ってみたら違うかもしれない。書物やインターネット上に書かれたことが世界のすべてではないという当然のことを思い知らせてくれる場所が存在し、自分の目でそれを確かめに行けることは、自分にとって至上の喜びでもある。

 未知のグレートヒマラヤトレイルからのアマダブラム北稜を目指す旅は、これまでのヒマラヤ遠征の中では最も難易度が高いと思われる。今度こそ、この旅を自分のヒマラヤ体験の総仕上げにしたいと思っている。

 では、新しい旅のはじまりはじまり。

石川直樹


アマダブラムへのみちのり