16年前の思い出。 

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2月5日(その1)

 ホーリーヒマラヤホテルを定宿にしたのには、理由がある。

 今から16年前、ぼくが高校二年生のときにはじめてネパールを訪れた際に泊まったのが、フジゲストハウスだった。

 はじめてのインド滞在に疲れ果てた当時17歳のぼくが、夜行バスで国境を越えて到着したのが早朝のカトマンズだった。朝靄に包まれた街は穏やかで、カルカッタの喧噪とは対極にあった。どこかの旅行者から聞いた 情報をたよりにタメル地区へ入りこむと、ベストセラーお香「ナグチャンパ」の匂いがする。サンダルをつっかけて歩き回り、ようやく荷物をおろしたのが、フジゲストハウスという安宿のドミトリーだった。

 あれから10年以上が経ち、ぼくが再びフジゲストハウスを訪ねると、そこには以前のフジゲストハウスはなくなっていた。かわりにフジホテルという立派な建物に生まれ変わり、値段は跳ね上がって、いつのまにか中級ホテルになっていた。少しばかりガックリして、どこか別のホテルを探そうと思い、隣を見るとホーリーヒマラヤホテルがあった。「神聖なるヒマラヤ」、名前がよかった。ぼくは、そのときからホーリーヒマラヤホテルに泊まるようになった。スタッフと顔見知りになってから割り引いてもらうようになり、今は一泊40ドルで泊まっているが、それでも値段は高い。現在のフジホテルが「中の下」だとしたら、ホーリーヒマラヤは「中の上」か「上の下」くらい。まあ山から帰ったぼろぼろの体を休めるのにはちょうどいいだろう。

 ぼくが高校生にきた頃と変わっているのは、アジア人旅行者の数である。あのときは、韓国人も中国人も見かけることはなく、ヒッピー崩れの西洋人たちがたくさんいた。今はどこのホテルに行っても、自分と同じような顔立ちの人々を見る。パッと見はどこの人かわからない。しかし、話す言葉に耳を澄ませるとどうやら日本語ではないことに気づくのだ。

 日本から来たバックパッカーが隆盛した時代は終わり、カトマンズにも日本人旅行者のたまり場となるようなゲストハウスはなくなってしまった。雑誌の『旅行人』も休刊すると聞く。日本食レストランなどに置かれている情報ノートの密度や必要性は薄まり、みんなネットで最新情報を仕入れるようになった。

 フジゲストハウスならぬフジホテルは、今でも日本人に人気があるようで、受付のスタッフと日本語で話している姿をよく見かける。年輩の方も多い。

 カトマンズもこうやって変わっていくのだなあ、としみじみ思うわけである。