情報の瓦礫。 

 東京の家に帰宅した。

 ガソリンがなくなって、もう動けない状態になったからだ。久慈市を基点に、物資を積んだ車で南へピストン移動を続け、通行止め地点や市街地から歩くことを繰り返していたが、連休に入って現地のガソリンは本当に底を尽きはじめた。

 地震から一週間が経ち、一面瓦礫の荒野だった風景は復興に向かって刻一刻と変化をはじめている。まずは車が通れる道ができた。各地から送られた大量の物資も徐々に届くようになり、一部の地域では炊き出しや仮設住宅の建設も次々とはじまっている。個人での細かな輸送は、そろそろ潮時だろう。

 予約などをせず、直接三沢空港へ向かい、JALのカウンターで当日の航空券を買い求めると、二時間後に出発する羽田行きのチケットがあっさりと買えた。報道では、空の便はどこも満席のように言われているが、それは事前の予約でいっぱいというだけで、当日のキャンセルが大量に出る。みんなネットや電話で予約だけはするのだが、その全員が本当に乗るかどうかは、この緊急時なので疑わしい。「どうやって現地に入ったんですか?」と、よく聞かれるのだが、普通のルートで普通に行っただけである。航空券も宿も事前に予約してから旅立つ人にはわからないだろうが、野宿も辞さないと思えばどこにでも行ける。

 帰ってきて、空港の書店などに並んだ週刊誌を見て、その扇情的な表紙や見出しにあきれた。被災者は雑誌を読まないと思っているのだろうか。被災していない人の気持ちを不安の方向へ煽れば売れると思っているのだろうか。今後、メディアの多くは、文化人や有名人などの震災に対する知見を披露する場になるだろう。にわか原発通が増え、ネットにはどこから引っ張ってきたのか、あらゆる種類の情報が垂れ流される。

 戦後最大の天災であり、未曽有の災害であるわけだから、人々の話題が今回の震災に集中するのは当然である。しかし、湧き上がった情報の大半はゴミになる。三陸沖は瓦礫の荒野になったが、首都圏を含むその他の地域は、情報という瓦礫で埋められた荒野と化すに違いない。瓦礫の中にはわずかに使用可能なモノもあるが、大半は泥をかぶり、その見定めは難しい。特に原発に関しては、誰かの言ったことに簡単に扇動されると、自らも瓦礫に埋もれることになる。

 ナントカ大学のダレソレ先生がこう言った、とか、海外の権威あるナントカジャーナルに英語でこう書かれている、とかいうことと、津波で家を失った現地の人々はまったく別の次元で生きていた。

 日常を失わなかった人は、その日常を続ければいい。ただ、繰り返しになるが、 マスコミその他にとりあげられることのない、無数の人の人生が被災地には存在している。かの地について想像し続けることをぼくはやめたくない。