10年ぶりに野口君と再会。 

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4月25日

 今日もまた休息日である。膝の痛みや足の疲れもなくなってきたので、午前中はメインのベースキャンプにはじめて遊びに行った。

 「メインのベースキャンプ」とは何か。エベレストのベースキャンプというのは標高5300メートルの凹凸のある河原のような場所に存在する。アイスフォールと呼ばれる危険地帯の手前の、岩がごろごろとした平地のことを総称して、「エベレスト・ベースキャンプ」と呼ぶ。そのどこにテントを張ろうが勝手だが、多くの隊は次のキャンプ1(C1)への移動を短縮すべく、なるべくアイスフォールに近い場所にベースを設置する。

 しかし、ぼくが属するラッセル隊は、そのアイスフォールから最も遠い場所にベースを作った。逆にいえば、ゴラクシェプから最も近い場所ということになる。そこにベースを作った理由は、多くの隊が密集する場所から離れているために静かであること、水の汚染が少ないことなどがあげられる。ベースキャンプではトイレの問題も深刻で、トイレをきちんと設置している隊はまだいいが、そのへんで糞尿をまきちらすモラルの低い隊もいて、問題になっている。「エベレスト・ベースキャンプがスラム化している」という指摘は、あながち大袈裟ではない。

 ラッセル隊のベースは、メインの「これぞベースキャンプです」という地帯から歩いて15分ほどの距離がある。面倒なので、アイスフォールの近くにあるメインのベースキャンプまで行っていなかったのだが、休息日が続いて暇なために、午前中に写真を撮りがてら訪ねることにした。

 4月末ともなれば登山シーズンもたけなわで、ベースキャンプは村のような賑わいを見せている。目抜き通りともいうべき、ゴラクシェプから続く砂利道をひたすらアイスフォール方向に歩いて行くと、左右にテントが見え始める。各隊ごとにプジャのための塔を作り、タルチョをたなびかせているから、なんとなくブロック分けされていることがわかる。

 中ほどに、美人のイギリス人医師二人が常駐しているという噂の医療テントがあり、さらに進んでから振り返ると、日の丸の旗がかけられたキャンプ地があった。訪ねてみると、それは野口健くんの隊のベースであった。
 ちょうどロブチェピークへの高所順応登山に出発する直前ということで、野口くんもまだテントにいた。地震などの件で出発が遅れて、数日前にベースキャンプ入りしたばかりだという。

 彼と会うのは、何年ぶりだろう。ちゃんと会うのは10年ぶりだと思う。ぼくは10年前の2001年にチベット側のエベレスト・ベースキャンプで、彼と初めて出会ったのだ。その2001年に、野口君が保持していた「七大陸最高峰史上最年少登頂記録」(←あまり意味がない)というのを破った。その後、今はなき名雑誌『月刊PLAYBOY』(週刊プレイボーイではなく、月刊のほう)で対談をした。対談時、野口君はぱりぱりのジャケットを着てネクタイを着けていたのに比べて、ぼくはTシャツで対談会場に来てしまったため、誌面には「王子と乞食」(子どもの頃に読んだイソップ童話にそんな物語があった)じゃないか、というような写真が載った。もちろんぼくがみすぼらしいほうである。懐かしい思い出だ。
 その後、野口くんが産経新聞か何かの書評で、『最後の冒険家』をとりあげてくれたので、久々に電話をしたことがあった。話すのはそれ以来だと思われる。野口くんは変わっていなかった。ベースの食堂テントに招いていただき、お茶を二杯ごちそうになった。

 10年前の野口君との出会いで覚えているのは、野口隊の日本食がうらやましくて、憧れのまなざしで食料を眺めていたら、「中華三昧」という生麺から作る高級ラーメンのパックをくれたこと。あれは今でも感謝している。10年前のラッセル隊は、ラチューがキッチンで料理を作っていたが、ダルバート系のネパール食ばかりだった覚えがあり、日本食に飢えていたのだ。

 もう一つ、5200メートルのベースキャンプから、6400メートルのアドバンスベースキャンプへ向かっている最中に野口君に会ったとき、彼はイヤホンで音楽を聴いていた。当時はiPodなどというものはなく、みなCDウォークマンを持参していたわけだが、「何を聞いているんですか」とぼくが尋ねると、「これ」と言ってイヤホンを貸してくれた。イヤホンを耳に装着して、言葉を失った。何か雄叫びのような台詞や、物々しい楽曲が流れている。なんだこれは、とぼくが絶句していると、「これ、『豊臣秀吉』のサントラ」と野口君が教えてくれた。当時、NHK大河ドラマで『豊臣秀吉』というのを放送しており、彼はそのサントラを聴きながら歩いていたのだ。まるで異空間であった。

 そんなことを思い出しながら、野口君と積もる話をした。「ネパール側のほうが楽しくていいよ」と彼は言う。野口君だけではない。10年前に一緒にエベレストに登ったエレンも両側からエベレストに登ったが、「ネパール側からのほうが簡単よ」と言う。果たして本当にそうなのか。それを自分の体で確かめるために、ぼくはここにいる。

 彼らは昼の12時にロブチェピークへの高所順応登山へと旅立っていった。ぼくらがロブチェピークの頂上にテントを張ったことを話すと驚いていた。それはそうだろう、あんな場所にテントを張って順応する隊など他にいない。
 数日後に彼らはベースに戻ってくる予定だ。たぶんまたこの遠征中に何度か会うことになるだろう。お互い登頂できるといいのだが。

*野口隊のベースキャンプにて。ちなみに、ぼくは当時から、男子校の先輩後輩の呼び方にならい、敬意を込めて野口「君」と呼んでいるのだが、どうも彼はいやがっている節がある。ロブチェピーク、がんばってきてくださいね。