世界最強のシェルパたち。 

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5月8日

 報告が遅れたが、5月5日16時、ついにエベレストの頂上が解禁になった。頂上までフィックスロープが張られ、初登頂者が出たのだ。誰がフィックスロープを張り、誰が最初に登ったのか。それはもちろんシェルパたちである。
 フィックスロープというのは、登攀を補助するための固定ロープのことだ。自分の腰に付けたハーネスから伸びたユマールやカラビナをそのロープにかけて、滑落しないようにしながら登っていくためのもので、多くの登山者にとっては命綱でもある。「ハーネス」や「ユマール」や「カラビナ」が何かわからない読者は、本ブログに新設された装備のページを見てほしい。そこに道具が写真入りで紹介されている。

 とにかく、頂上までフィックスロープが張られ、そのルート工作を行ったのは、各隊から選ばれた8人の優秀なシェルパたちであった。
 8人のシェルパの内訳は以下。HIMEX(ヒマラヤンエクスペリエンス)隊からプルバやドルジなど5名。IMG(インターナショナルマウンテンガイド)隊から2名。AC(アドベンチャーコンサルタンツ)隊から1名の合計8名である。

 彼らは、ネパール時間5月5日深夜0時30分、フィックスロープを張るための重い装備をかついでC2(6400m)を出発した。荷物は一人25キロ。高所を移動するにあたっては、とんでもない重量である。
 C4、つまり7984メートルのサウスコルまではすでに今日までのルート工作によってフィックスロープが張られていた。朝5時20分、8人のシェルパ達はC3を飛ばしてC4(サウスコル)に到着。C4で一時間だけ休んで、そこからおよそ2000メートルのフィックスロープを頂上まで伸ばしていった。ルート工作をしながら頂を目指し、登頂は16時。C3から酸素ボンベを用いての登頂であった。
 真夜中に出発してからおよそ15時間以上におよぶハードワークの末、今季もついにエベレスト頂上までフィックスロープが張られた。8人の優れたシェルパたちに、ぼくたち登山者は心から感謝せねばならない。

 フィックスロープに関しては、エベレストのような有名な山になると、張ってあって当たり前といった態度の登山者も多い。フィックスロープの費用の支払いを拒む登山者もいると聞く。一人わずか100ドルとか200ドルの話であるというのに、だ。
 エベレストでは頂上に立つことだけにスポットがあたりがちだが、その裏ではシェルパ達による何十回におよぶ荷揚げとルート工作があり、その末にフィックスロープが張られ、そしてようやくぼくたちがその轍をたどって登頂しているのである。シーズンで最初に登るシェルパ達の苦労なくして、毎年の登頂はありえない。

 ホーリー女史のところで働くビリーの資料によれば、今年はエベレストのネパール側に、距離にしておよそ8000メートルのフィックスロープが張られ、そのフィックスに関するベースキャンプからC2へのシェルパ達による荷揚げは52回におよび、さらにその上のサウスコルまでの荷揚げは40回におよんだという。ちなみに一回の荷揚げの重量は25キロである。それぞれの隊がフィックスのためにシェルパを出しているが、一番多いのがアジアントレッキング隊の10回で、その次にHIMEX隊やIMG隊の9回と続いていく。もちろん一回もシェルパを出していない、すなわちフィックスを張るルート工作にまったく関わっていない隊もたくさんある。そういった隊は分担金としてある程度のお金を支払うわけだが、それさえも払っていない隊も多い。
 春のエベレストの南東稜ルートがこうして開拓されていくことを、今回ぼくは改めて知っていくことになった。これも自分がHIMEX隊に参加したからだろう。もし、他の小さな隊に参加していたら、このようなルート工作のプロセスも知ることなく、当たり前のようにフィックスロープを使って頂上に立つことだけを考えていたかもしれない。

 素晴らしいのは誰よりシェルパたちである。今シーズン最初に頂上に立ったシェルパ8人をまとめたのは、他でもないこのブログにたびたび登場してきたプルバだった。プルバは18回目となるエベレスト登頂を5月5日に果たした。
 歴代のエベレストの最多登頂者は、アパ・シェルパである。たしか20回前後だったと思うが、定かではない。プルバの18回登頂はそれに次ぐ回数である。アパの記録を抜くのも時間の問題だろう。
 アパ・シェルパはすでにアメリカに移住し、悠々自適の暮らしをおくっている。彼はエベレスト登頂によって富と名声を得た。そして、ヒマラヤでの伝統的な暮らしを捨て、アメリカでの物質的な豊かな生活を選んだ。
 でも、プルバは違う。
 プルバは生まれ故郷のクムジュン村に住み続け、ロッジを経営し、オフシーズンは数十頭のヤクの世話を続けている。テントの中で暇を見つけてはお経を読み、西洋での暮らしに妙に憧れることもない。かといって真面目一辺倒ではなく、冗談も言う。「ナオキサーン」と言って人なつこい笑顔で話しかけてくれる。ぼくはプルバのそのような変わらない姿勢が好きだ。決して偉ぶるところがなく、物静かだが、山では強すぎるほど強い。

 ぼくは海の世界でマウ・ピアイルグやナイノア・トンプソンを尊敬するのと同じように、山の世界ではプルバ・タシを尊敬する。植村さんやメスナーもすごいけれど、やはり本当の凄みを感じるのは、プルバである。8000メートル峰14座がどうとか、無酸素がどうとか、新しいルートがどうとかにはまったく興味を示さず、無心で登山者をサポートする。自分の名声とか記録には興味を示さない。頂上目前でも、手助けが必要な登山者が下にいればすぐに引き返して助けに行く。エベレスト登山よりも冬場のヤクの世話のほうが大変だ、と素朴に言い放つ。でも、山では誰よりも強い……。ぼくはいつかプルバに入念なインタビューを繰り返して、彼の人生を追った真摯なノンフィクションを書いてみたいと思っている。プルバという男はそれに値する人物だろう。

 プルバを含む8人のシェルパたちに心からありがとうと言いたい。彼らのおかげでぼくはこれからエベレストの頂上に向かうことができるのだから。

*写真はC3(7200m)のテントから、C2(6400m)を見下ろしたところ、谷の先にはアイスフォールがあり、そのもっと先にベースキャンプがある。が当然見えない。