ゴーキョピークとレンジョパス。 

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 カトマンズに戻ってきた。いつも泊まっているホーリーヒマラヤホテルは、ほとんど満室で、一泊分の部屋しかあいていなかった。隣のフジホテルにいたっては、ツアー客の指定宿になったのか、日本人が大挙して泊まっており、ロビーが大混雑している。案の定、部屋はない。
 仕方なく安宿街のタメルをふらついて、ラサホテルという一泊500ルピー(500円くらい?)の宿に落ち着いた。チベット人が経営しているらしく、名前の通りラサの安宿を彷彿させる。日本のガイドブックに紹介されていないので客は多くない、にも関わらず温水シャワーが使えて、悪くない宿だった。トイレ・バス無しの部屋は400ルピーだったが、100ルピーをけちることなく、トイレ・バス付きの部屋にしてもらった。一階には、コーヒーが美味しい「ちくさ茶房」があって朝食に困ることもない。何より宿泊料が激安なので、次からここを定宿にしてもいいなと思う。


 今回のトレッキングは天候にも恵まれて、充実した行程になった。タンボチェではなく、ゴーキョ方面へと向かうルートに変更したのだが、それがぼくをまた新しい風景へと導いてくれた。
 ナムチェからクムジュン方面へ向かい、“ヒマラヤのドンキホーテ”こと宮原さんのご厚意でホテルエベレストビューに泊まらせてもらった。そこからモンラ峠を越えて、ポルツェタンガ、ドーレを経由して、標高4360メートルのルザで泊まった。
 ルザには宿が二軒ほどしかなく、そのうちの一軒はゴーキョ谷のなかで最も古い宿の一つだった。宿の主人は当然シェルパ族で、エベレスト周辺とカンチェンジュンガ周辺をガイドしてきた山のベテランである。彼の三人の息子のうちの一人は、現在プモリに行っていて、10年ほど前にはラッセル・ブライス隊のシェルパとして活躍していたという。もしかしたら、ぼくはその息子に10年前のチョモランマ登山でお世話になっていたかもしれない。
 ルザの宿に、泊まり客は他に誰一人いなかった。馬の鳴き声で目が覚める、静かな宿だった。

 ルザからマッチェルモを経由して、ゴーキョ(標高4790メートル)に到着した。山奥にも関わらず多くのロッジがあり、ちょっとした村になっている。
 普通のトレッキング客はドーレやマッチェルモなどで一泊してゆっくり高度順応をするわけだが、ぼくは面倒だったので、ルザから一気にゴーキョまで行ってしまった。そして、その日の午後に、ゴーキョピークに登った。ゴーキョピークは、標高は5357メートルと地図にある。ルザが4300メートルだったので、一気に1000メートルほど高度を上げたことになり、高山病の症状が少しずつ出始める。

 翌日は、来た道を引き返すのではなく、レンジョパスを通り、チベット国境方面からぐるっとまわってナムチェへ戻ろうと考えた。レンジョパスは標高5360メートルの峠で、ゴーキョピークよりも少し高い。ドゥードゥ・ポカリという光り輝く湖を左手に見ながら、谷を登り詰め、さらに目の前の急斜面をジグザグに登っていくと、レンジョパスに到着する。ここからの眺めが最高で、エベレストやチョオユーをはじめ、ヒマラヤの峰が雲一つない青空の彼方から目前に迫ってきた。カラパタールへ向かうエベレスト街道よりも、ゴーキョピークとレンジョパスをまわるルートのほうが、景色としては数段美しいと思う。
 レンジョパスの周辺は雪に覆われており、日本ならば、確実にアイゼンを装着するような状況と相成った。現地で買った地図には、「荷運びのポーターのためのフィックスロープが張られている」と注意書きがあるのだが、そんなものはなく、夏山用のトレッキングシューズを時々滑らせながら、しかし注意深く下った。

 レンジョパスを下って最初に出てくるのが、ルンデンという村である。川を隔ててルンデンの向こう岸にはゴモという廃墟のような村が見える。ここから北西に行けば、かのナンパラ峠がある。ナンパラ峠はチベットとネパールの国境で、そこを越境しようとしたチベット人僧侶が中国兵に撃たれた事件があった場所である。世界的な話題となったあの事件の映像は、チョオユーかエベレストか定かではないが、とにかく登山遠征に来た外国人が撮影したものだった。ナンパラ峠には、いつか行ってみたいのだが、それがかなう日は、色々な意味で、すぐには来ないだろう。
 ルンデンからマルルンという村に下って、ここで一泊した。マルルンはロッジが数軒あるだけの寒村で、この村にも自分たち以外誰一人泊まり客はいなかった。宿の御主人は、日本隊にシェルパとして何度か参加している人で、日本人のエベレスト最多登頂者である村口さんと一緒の隊でエベレスト遠征に参加したらしい。彼は英語が得意ではなく、それ以上詳しいことは聞けなかった。
 ここもルザの宿と同様、牛の鳴き声と鈴の音で目が覚めるのんびりした宿だった。翌日、このマルルンからターモ村、ターメ村を経由して、ナムチェバザールへ戻った。

 ターメ村には、10年前、チベット側からエベレストに一緒に登頂したシェルパのカサン君がいる。前にこのブログで書いたが、カサン君は、アンリタ・シェルパの息子という登山エリートの家柄にありながら、アル中になってしまい、登山を辞めてしまった青年である。そのカサン君をターメ村で探したのだが、今はカトマンズにいるという。そのことを教えてくれたのは、エベレストに20回以上登頂したアパ・シェルパが経営するロッジの女将さんだった。
 こうしてぼくは再びナムチェに戻り、ルクラに帰り着いて、2日間の飛行機待ちをして、カトマンズに帰還した。


 5300メートルの小さなピークと峠をこえたこの旅で、220のフィルムを30本使った。エベレスト周辺の風景が自分のなかでゆっくりではあるが、立体的に把握されつつある。もっと知りたい。もっとこの地のことを身体で理解したい。その思いはエベレストに登頂したあの日から、衰えるどころか、日を増すごとに強くなるばかりだ。