日本列島を南から北へ。 

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2012年2月9日 

 3月末からエベレストの隣の山へ向かうことになったので、それに合わせてブログをリニューアルした。どのような遠征をぼくが考えているかについては、「はじめに」を読んでいただきたい。
 リニューアルといっても本ブログに関しては、ちょこっと体裁が変わっただけで、そんなに大きな変更はない。いつものように気が向いたときに日記をつけていくだけである。

 日記の更新をだいぶさぼってしまったが、今日までめまぐるしく移動を繰り返していた。年末は鹿児島の甑島で「トシドン」という行事を撮影し、正月はそのまま甑島で迎えた。その後、大分の別府に入り、国東半島にて来年行われる芸術祭のための写真を撮り下ろした。

 年始は新潟の村上市へ行き、大雪のなか「アマメハギ」という行事を撮影。
「水と土の芸術祭」に参加することが決まったので、新潟市に移動して会場の下見などをした。さらに十日町へ向かい、越後妻有アートトリエンナーレの撮影で、スノーシューを履いて雪山に分け入った。

 東京に帰って、VACANTや代官山の蔦屋でトークイベントを行い、一月中旬は東北へ向かった。三ヶ月おきに通っている岩手県宮古市の田老地区を訪ね、震災直後から四度目となる撮影を行った。さらに、岩手の大船渡市で行われた「スネカ」という行事を撮影した。前述した「トシドン」も「アマメハギ」も「スネカ」も、仮面の化け物が集落の家々をまわる来訪神の儀礼である。そうした“異人”を迎える行事は、主に東北と鹿児島以南の島々に残っていて、今はそれらを一つずつ撮影している。

 海は限りない恵みをもたらす一方で、時に災いをもたらすこともある。ただ、それでも日本列島に暮している人々は、海からやってくるあらゆるものを拒絶するのではなく、また打ち克とうとするわけでもなく、静かに受け止めて、柔らかく吸収してきた。
 こうした自然との付き合い方が、来訪神の儀礼と異人の迎え方にぼくは表れていると思っている。海の彼方から来た得体の知れない何かを居間にあげ、そこで迎えていくという祭祀儀礼を見つめ直すことによって、古くから存在していた人間と自然との付き合い方を今一度とらえ直してみたい。

 東北から帰ると、すぐに北海道の帯広へ向かった。厚内小学校の子どもたちと5ヶ月前から続けてきた鮭のワークショップの最後の授業を行うためである。全校生徒8人がそれぞれ自分のテーマに沿ってページを作り上げ、一冊の本にまとめる。編集はぼく、デザインは中島雄太さんが担当し、限定100部の記録集として、もうすぐ印刷所から納品される予定だ。鮭の生態にはじまって、漁師という仕事や鮭の調理法、港の機能や鮭とば作りにいたるまで、厚内に住む彼ら彼女らにしか作れないめずらしい本になったと思う。

 授業がすべて終わった放課後、子どもたちと「長靴アイスホッケー」をして遊んだ。スケート靴ではなく長靴を履き、氷の上でアイスホッケーをするという、その名の通りの遊びである。ヘルメットと肘当て、膝当てを装着し、幾度となく転びながらの対戦は、思いのほか爽快で楽しかった。厚内はごく小さい町ながら、ぼくにとっては特別な場所となった。

 帯広から東京に帰り、すぐに大分の国東半島を再訪した。「修正鬼会」という行事を撮影するためである。国東半島で計画されている芸術祭に向けての撮影は、今年一年をかけて続けていくことになるだろう。

 というわけで、鹿児島(年末〜1月1日)→大分(1月2日〜4日)→新潟(1月5日〜8日)→東京(9日〜12日)→岩手(13日〜16日)→東京(17日)→北海道(18日〜20日)→東京(21日〜27日)→大分(28日〜30日)、と日本各地を歩いているうちに、いつのまにか一月が終わっていた気がする。
 そして二月に入り、ぼくはいまブータンにいて、この日記を書いている。その話は、また後日。

*写真は、厚内の民宿の豪華な朝食。鮭児(けいじ)のルイベやイクラなどが並んでいます。美味。