シェルパの故郷、ポルツェ。 


4月4日

 クムジュン村のタシフレンドシップロッジで7時に朝食、8時に出発。
 いつもクムジュンに寄ると、必ず会うシェルパの青年がいて、今朝も土産物屋の前で彼に出会った。「行ってくるよ」と言って握手をすると、「これもっていく?」と、折り畳まれて袋に入ったタルチョをくれた。
「ローツェのてっぺんに置いてくるね。また5月末か6月に帰ってくるから。」
 そう言いながら、彼と別れた。タルチョをくれるなんて、本当にいいやつである。

 書き忘れていたが、ナムチェのパノラマロッジでは、宿を切り盛りするラジューの母親から、カタをもらった。カタは旅の無事を祈る白い布のことである。クムジュンの青年からもらったタルチョと、ナムチェのお母さんからもらったカタ、両方とも遠征が終わるまで大切に持っていよう。

 エベレスト街道を幾度となく訪ねていると、こうした顔見知りが増えて、嬉しい。チームの中でカタをもらったのはぼくだけで、少しばかり誇らしい。遠征を終えて再びこの道を帰るとき、彼ら彼女らとまた会えるのを楽しみにしている。

 クムジュンからモン峠を越えて、ポルツェに向かった。HIMEX隊がナムチェに一泊しかせず、クムジュンに二泊、ポルツェに一泊するのは、この二つの村がクライミング・シェルパたちの故郷だからである。

 去年、一緒に頂上を目指したニマ君はポルツェの出身である。また、アレック・ロウ財団が設立した、シェルパのためのクライミング学校「クンブークライミングセンター(KCC)」もこの村にある。

 ポルツェには昼前に到着した。小雨が降っていて、天気が悪い。この数日間で、ロブチェピークに1メートルの積雪があったとも聞いた。雷も鳴っており、天気が安定することを願うばかりだ。

 午後、手塚治虫のマンガ『火の山』(文春ビジュアル文庫)を読了。いろいろ書きたいことが思いついたので、何かの連載で『火の山』について書こうと思う。

 夕食のとき、全身に刺青を入れたアメリカ人と話が盛り上がった。坊主頭で髭をたくわえており、話し好きのおじさんである。彼は1989年に関西学院大学に留学していたことがあり、日本語を少しだけ話せる。得意の日本語は「もう行きましょう」。
 首の後ろ、両腕、胸と腹、両足など、身体のあらゆる場所に刺青をしていて、その絵柄はすべて南北アメリカ先住民の文様ばかりだった。インティライミ基金という先住民文化を保護する会社の代表を務めていて、特にペルーを愛している。マチュピチュの近くの村やアマゾン先住民の、ある部族を援助しているとのこと。余談だが、全身の刺青を彫るのに総計110時間、費用は100万円以上かかったという。首の後ろには、三枚のコカの葉が彫ってあった。

 今年のHIMEX隊のエベレスト登山組は、彼のような刺青男や、中国に暮らしてガラスの器を作っているアメリカ人、オーストラリアの元気な女性チーム、若い頃モルモン教を布教するために熊本に二年滞在していたという不動産会社社長、そして戦争負傷兵チームとTVクルーなど、とにかく個性派揃いである。

 さてさて、この先ぼくたちにどんなことが待ち受けていることだろう……。