ナムハさんのいないパンボチェ。 

4月5日

 ポルツェを朝8時に出発。ポルツェからパンボチェに向かう道が、エベレスト街道のなかでも最も美しい風景を見られるのではないか。

 ポルツェを出発して丘に登ると、まずタンボチェ寺院が遠くに見える。あたりを見回すと、堂々とそびえるタムセルクやクンビラが見渡せる。先に進んでいくと、アマダブラムが見えて、その先にエベレストとローツェが見える。こういう景色が見えると、気持ちが高揚する。疲れを感じなくなる。

 数時間後にパンボチェに到着した。去年の日記を見てもらえればわかるが、ぼくはこのパンボチェでナムハさんという老シェルパに会っている。ナムハさんは植村直己さんたちと一緒にエベレストに登った経験をもつ、ベテランシェルパだった。そのナムハさんが、亡くなっていた。また一人、歴史の生き証人がいなくなってしまった。

 去年はパンボチェに着くとナムハさんが迎えてくれた。そして、茶屋の二階に案内してくれて、往事の写真を見せてもらったのだ。エベレスト街道沿いの村には、さまざまな登山隊に参加した経験をもつシェルパたちが暮らしている。エベレスト街道を歩きながら、登山隊に一度でも参加したことのあるシェルパ一人一人にインタビューをして、シェルパの側から見た、ヒマラヤ登攀史を書き起こしたい。きっと、そこにはまったく異なる歴史が表出するのではないか。

 マロリーに始まり、ヒラリー卿とテンジンの初登頂を経て語られるエベレストの歴史は、すべて西洋からの視点である。シェルパのオーラル・ヒストリーを丁寧に掘り起こし、彼ら自身の歴史を書き留めること。それはぼくの夢でもある。

 パンボチェの寺でプジャをあげてもらった。僧侶から赤いヒモをもらい、首にかけてもらう。パンボチェの寺は、エベレスト街道のなかでも、格式が高い寺として知られる。寺の内部は、なんだか気持ちのいい空気が流れていた。

 パンボチェからショマレを経由してオルショへ。オルショで昼食を食べた。
 その後、ペリチェ着。ここで衝撃的な事実が……。Ncellを使用可能にするアンテナは、この先のゴラクシェプにある。ベースキャンプでもネットに繋がるのは、そのアンテナが機能しているからだ。しかし、現在、それが故障していて、ベースキャンプでNcellが使えないというのだ。
 もし本当にそうだとしたら、この日記が更新できなくなる。各雑誌の原稿も送れなくなってしまう。うーむ……。

 ロブチェは水不足でシャワーなどは使えないらしい。そのため、ペリチェで久々にシャワーを浴びた。Ncell、大丈夫だろうか。まずいなあ。