ナムチェで、ローツェ・チームと合流。 

4月15日

 パノラマロッジで7時半に朝食。地元の人々がパノラマロッジに続々と集まってきたので、何ごとかと思ったら、カトマンズのインド大使がチャーターヘリでナムチェに到着。食事をするためにパノラマロッジにやってきたのだった。警官やネパール人記者なども同行し、物々しい雰囲気である。ぼくは追い出されるようにロッジを出て、日中は村を散歩した。

 ナムチェには年々建物が増えていく。30年前のナムチェバザールの写真を見て、あまりにも建物が少なくてびっくりしたことがある。今では目抜き通りを中心に、いくつものロッジや店が新設されている。

 ナムチェバザールの詳細な地図を作ったら面白いだろうな、と思う。ナムチェの集落は、個人でそういう調査ができるギリギリの大きさなのだ。

 一つ一つ店をのぞきながら歩いた。建物の二階、部屋の角でシェルパたちがカードゲームに興じている。タバコの煙がうねうねと立ち上り、充満し、頽廃を醸し出していた。プールバーでは昼間からビリヤードに熱中する若者がいる。「マンチェスターユナイテッドの試合を午後8時45分から放映しますよ」という看板を出しているバーがある。「ヒーリングセンター」というマッサージ屋は1時間2000ルピーという高額でマッサージを請け負う。ナムチェ・ベーカリーの二番煎じのようなカフェが、雨後のタケノコのように生まれ、ツーリストが集う。

 土産物屋には同じような品物が並び、観光客が店先をひやかしていく。グローサリー・ストアはシェルパ族ではないネパール人に牛耳られている。あるレストランには「チーズ・フォンデュあります」の看板。本当か?

 ビニール袋を口にくわえた子牛の尻を、拳で思いっきりぶったたく若者がいた。ヤク使いも同様だが、彼らは牛を動物としてではなく、自分より身分の低い人間のように扱う。殴られても牛は無表情だった。

 ロブチェピーク組がナムチェに着く頃、ナムチェには大雨が降っていた。時を同じくして、ルクラから、ローツェ登山組、ヌプツェ登山組も続々とナムチェに到着した。HIMEX隊が、ナムチェで一堂に会す。ローツェ組は、カラパタールロッジではなく、歴史のあるクンブーロッジに泊まっていた。

 というわけで、挨拶がてら、ぼくはクンブーロッジに向かった。クンブーロッジは、30年以上前に開店したナムチェで最も歴史のあるロッジの一つである。ナムチェで最初にインターネットを導入したのもこのロッジだった。数々の遠征隊がこのロッジに世話になっており、由緒正しい宿として知られている。

 クンブーロッジのレストランに行くと、まずジンジャーに出会った。中国人のジンジャーは、今回のHIMEX隊のテントや寝袋、ガイドの装備などを全て提供しているTOREAD社の女社長である。「ハーイ、ナオキ。今年はどこ?ローツェ?そしたら、ローツェの後に一緒にマカルーへ行きましょうよ。どーお?」ジンジャーは結婚して子どももいるが、そうは見えない若さを保っている。そして妙な色気をもった女性である。彼女は今回HIMEX隊でヌプツェに登り、その後、続けてマカルーへ行くというのだ。

 距離をつめてくるジンジャーにぼくはたじろぎながら「いやいやいや、マカルーの前にローツェに登らないと・・・」とお茶を濁し、ぼくはガイドのナリーを探した。ナリーは昨年もガイドとしてローツェに登っている。

 ナリーではなく、オランダ人のレネを見つけた。レネは昨年のエベレスト遠征で一緒に登り、最終キャンプのテントをシェアした仲である。アムステルダムの薬局勤務の初老の男性で、つまようじをくわえた姿が、ルパン三世に出てきた「次元」を彷彿させる。

 レネは相変わらずの雰囲気だった。ゆるやかに会話して、再会を喜んだ。ナリーは奥でワインを飲んでいた。すでに呂律がまわっていなかったが、「今年はよろしくね」と挨拶をして握手をした。もう一人日本人の参加者もいるはずなのだが、レストランにはいなかった。

 夕方、クンブーロッジでの挨拶を終えて、街を散歩していると「石川さんですか?」と日本語で声をかけられた。日本人のカップルで、エベレスト街道やゴーキョのほうをまわってきたという。4週間の旅の最後ということで、日焼けしていたが、とても元気そうだった。楽しそうでいいなあ。

 カラパタールロッジで夕食。鳥肉とフライドライスを頬張り、プール・バーから流れるやかましい音楽を聴きながら夜道を歩き、パノラマロッジに帰った。

*写真は、子どもが、インド大使を乗せたヘリの到着をのぞきこんでいるところ。