先輩から届いたメール。 

4月17日

 今日も標高3400メートルのナムチェバザールで休息である。ローツェ組は、クムジュンへと上がっていき、ロブチェピークに登った組はルクラへと帰っていった。ぼくは隊から一人離れて、ナムチェで休養中である。

 朝食は昨日と同じく「デラックス・ブレックファスト」を注文した。卵はオムレツと言ったのだが、間違えて目玉焼きが出てきたくらいで、後は変わらない。カリカリベーコン、じゃがいも、焼いたトマト、リンゴジュース、コーヒーである。昨日と同様、美味しい。

 日焼けしたおでこの皮がむけてきた。ロブチェピークでは、頬や鼻に厚く日焼け止めを塗ったのだが、サングラスからはみ出したおでこには塗らなかったため、今頃むけてきてしまった。

 昼はナムチェ・ベーカリーで、チョコデニッシュとピザとハウスブレンド・コーヒー。

 ローツェ遠征に出発する直前、ぼくは地平線会議が発行する「地平線通信392号」にローツェ出発について、寄稿した。それを読んだ早大山岳部OBの成川隆顕さんが、地平線会議の江本さんを通じて、ぼくにメールをくれた。

 そこにはこんなことが書いてある。成川さんに許可をいただき、転載する。

「石川直樹さんのローツェ登山の記事を拝読し、ブログも見ました。
 石川さんにお願いしたくなりました。
 好天に恵まれ山頂に達したら、エベレストだけでなく後ろを見渡して下さい。
 ローツェ・シャールから中央峰を経てローツェにいたる稜線を見てきてください。
 写真に撮ってください。
 そして、難しくても登れそうかどうかという目で、ルートを眺めてみてくれませんか。
 早稲田のパーティーが1965年に、イムジャ氷河側からローツェ・シャールに登ろうとして失敗しました。成川が転落したのが失敗の主な理由です。
 数年後にオーストリア隊が登りました。
 その成川が、登山から50年近く経って、いまさらお願いしたいのは、
「イムジャ ― ローツェ・シャール ― ローツェ ― エベレスト ― クーンブ踏破は、多分、登山者にとって究極の縦走ではないか。その可能性を考えながら、見てきてほしい」
 ということです。
 石川さんの登山が好天に恵まれるよう祈っています。
 江本さん、このことを石川さんに伝えていただけませんか。お願いします。お疲れの所をすみません。」

 と、このようなメールだった。
 これを読み、ぼくは改めて、目の前にクンブー地方の地図を広げた。アイランドピークの東に、イムジャ氷河から続くローツェ・シャール氷河がある。そこから岩壁を登った先に、ピーク38(標高7591メートル)、その西にローツェ・シャール(標高8382メートル)、さらにその西にローツェ(8516メートル)、その先はサウスコルを経由してエベレストへと続いていく。

 このルートの縦走は、凄まじいな、と思う。今年はローツェからエベレストへの縦走を、イタリアのシモーヌ・モロー(カザフの超人クライマー、デニス・ウルブコのパートナーとしても知られる)が計画していると聞いたが、はてさて、うまくいくかどうか。

 ぼくにはとてもじゃないが手に負えるルートではありませんが、成川さん、写真を撮れたら撮ってきますね。成川さんをはじめとする早大山岳部の、ローツェ・シャール登攀に関しては、同メンバーだった村井葵さんの『幻想のヒマラヤ』(中公文庫)に詳しい。早大山岳部がローツェ・シャールに挑戦していた最中、植村直己さんをはじめとする明大山岳部が、ゴジュンバカンの登頂に成功している。1965年は、そんな年だったのだ。あれからもう半世紀が経とうとしている。

 ローツェ・シャールは、当時、最も高い未踏峰だった。もしもローツェの頂に立てたら、かの南壁や、ローツェ・シャール方面の稜線を含めて、360度の写真をどうにか収めたいものだ。