あるシェルパの死。 

4月22日

 ロブチェBCで7時に朝食。8時半に出発、ゴラクシェプで日記を更新。エベレストBCに着いたのは昼過ぎ。およそ1週間ぶりの5200メートルである。

 「ヘーイ、ナオキー、タイ土産はどしたー?」とか「ハイアットで豪遊してたのかー?」とか、いろいろからかわれる。白人にとって、アジアのパラダイスといえば、タイのビーチなんだなあ。たしかに暖かいタイのビーチに行って、海パン一枚でのんびりしたい……。

 エベレストチームは、ロブチェピークの頂上で二泊し、順応を終えて帰ってきたところだった。ローツェチームは明日エベレスト・ベースキャンプに入ってくる。

 長く自分のテントをあけていたが、異常なし。地面の氷が溶けて水たまりができていたので、石を置いて整地する。横になるとちょうど背中の部分に大きな石が当たるのをなんとかしないといけない。

 昼飯はサラミ・バーガーとサラダ。荷物を整理しているうちに午後の時間は終わってしまった。

 今日、二人のシェルパが亡くなった。一人はアイスフォールで滑落した。ロープにカラビナをクリップしないまま、アイスフォールを進んでいて、足を踏み外したという。うちの隊のシェルパではなかった。

 もう一人は、2001年にぼくと一緒にチベット側からチョモランマに登ったシェルパのカサン君だった。カサン君は、ぼくが23歳のとき、チョモランマの頂上アタックで、最後の最後、頂上まで一緒に登ったシェルパである。頂上でビデオカメラを渡して、ぼくのことを撮ってくれたシェルパだった。拙著『いま生きているという冒険』に酸素マスクを付けた彼の顔写真が出ている。カサン君は今回アジアントレック社に雇われてきており、ぼくらのベースキャンプから数百メートル上のところで亡くなった。どうもいろいろ話を総合すると、酒を飲みすぎて倒れたらしい。

 彼は、かの有名なアンリタ・シェルパの息子で、初期のHIMEX隊では、プルバやロプサンと並ぶ優秀なクライミング・シェルパだった。しかし、アルコールに溺れるようになってから、ラッセルは彼を雇わなくなった。

 去年ゴーキョピークに登った帰り、ターメの彼の実家を訪ねたが、カトマンズにいるとかで、留守だった。あのとき会えなかったのが悔やまれる。また一人、優秀なシェルパが逝ってしまった。明後日は、プジャが行われる予定である。彼に追悼を捧げたい。

 深夜、エイドリアンがアイスフォールを越えてキャンプ1まで様子を見に行った。今年は、アイスフォールに、梯子が2本しかかけられていないというが、本当だろうか。だとしたら、今年のアイスフォール越えは去年よりも楽になる。

 いよいよエベレスト+ローツェ登山の本格的なシーズンが幕をあけた。幕をあけてしまったといってもいい。

*写真は、エベレスト・ベースキャンプ遠景。