フランソワのこと、そしてプジャ。 

4月24日

 昨日の日記、思いっきり間違いがあった。知人がフランス語のウエブを見て、メールで教えてくれたので、訂正する。ローツェに一緒に登るフランス人のFrancois Marsigny氏だが、もともと建築家だけれど登山ガイドをしており、ENSAというのは人物ではなく、シャモニにある由緒正しい登山スキー学校の名前であった。自分の無知を恥じたい。ENSAは正式名称:l’Ecole Nationale de Ski et d’Alpinismeといい、その頭文字をとって、ENSAという。フランソワ氏は、そこで教えている先生でもある。

 そして、このフランソワ氏がピオレドール賞の発案者で、彼の案を、GHM(フランスの登山協会?)の当時の会長と、『Montagnes』という雑誌の編集長がかたちにした、ということらしい。

 国際山岳ガイドの江本悠滋さんをシャモニで教えたことがあるよ、とフランソワが言っていた。とにもかくにも、ピオレドールの創設者とぼくはローツェに登ろうとしている……。恐れ多いことだ……。せっかくの機会なので、彼の背中から、あらゆることをとことん学びたいと思う。

 ぼくは幼稚園の頃から中学くらいまでフランス語を学んでいた。フランス人が作った都内の私立学校に通っていたので、「フランス語」という授業があり、半ば強制的に学んでいたのだ。しかし、いつからか忘れたが「フランス語」と「英語」の選択制となり、英語を選んでしまったがゆえに、フランス語の知識はぼくの頭から消失した。

 必死にフランス語を思い出して「今日はいい天気だね」とフランソワに言ったら「ふふふ」と笑って、「そうだなー」と返してくれた。以来、顔を合わせると、「Hoe are you?」ではなく「サバ?」と聞いてくる。フランソワ、いい人……。

 朝10時頃から、登山の安全を祈願するプジャがはじまった。ベースキャンプに作られた祭壇の周辺に全シェルパ、全メンバー、全ガイドが集合する。プルバと、普段は僧侶をしているというシェルパの一人がお経をあげ、ぼくらは後ろに座ってそれを聞いている。

 アメリカの帰還兵たちの態度がひどい。供物の米を投げ合って遊んだり、寝転がったりしている。登山は、戦争じゃないんだぜ。相手を痛めつけることとは対極にあるのが、登山である。彼らは「郷に入っては郷に従え」という言葉を知ったほうがいい。

 祭壇の上空には鳥が舞っていた。カサン君のことを思う。儀式の終わりに、プルバから赤いヒモをもらった。プジャの参加者はそれを首にかける。シェルパも含めて、全員もらう。シェルパのなかにはこの赤いヒモを集めている者もいて、ヒモを1本なくしたと言って、落ち込むシェルパもいるほどだ。ヒマラヤで登山をするごとにヒモをもらい、さらに寺を訪ねたときにもヒモをもらえることもあるので、ぼくの手元にも、赤いヒモが何本もたまってきた。このヒモは幸運を願うお守りである。

 ぼくはパンボチェの寺でも赤いヒモをもらっている。今回の遠征で2本目となる赤いヒモを、ぼくは遠征中、首につけ続けるだろう。なんだか守られているような気がして、心強い。

 最後にシェルパ・ダンスが披露されて、プジャは終わった。プジャは登山者のためのものでもあるが、何よりシェルパのために行うものである。信心深いシェルパたちはプジャを行わなければ、本格的なルート工作には入らない。逆に言えば、このプジャが、エベレストのC2より上の、上部ルート工作の開始を意味する。

 エベレスト頂上への扉は、今日、本当に開かれたのである。