HIMEX、撤退か続行か(後編) 

 ホワイトポッドの空気は沈鬱だった。ラッセルは、一通り今年のエベレストの状況を皆に伝え終えると、次に、近くにいたプルバ・タシに発言を求めた。プルバは、HIMEX隊のサーダー(シェルパ頭)であり、エベレストに20回近く登頂し、さらにチョオユー、マナスル、シシャパンマなどにそれぞれ複数回登頂している。もっと言えば、アマダブラムやアイランドピークやロブチェピークなどの登頂も含めたら、何度ヒマラヤのピークを極めたかわからないほどの経験をもつ。登頂ばかりではない。数多くのレスキューをこなし、ヒマラヤを知り尽くした文字通り世界最強のシェルパである。そして、登山経験ばかりでなく、リーダーの素質を備えた人格者でもあった。

 そのプルバが言う。“This is just too dangerous for me and my Sherpas. I am very sorry as I know you all have spent a lot of money for this…”。この言葉はそのときのミーティングの様子を書き取ったビリーのメモに記してあったものをそのまま引用している。(以下、英文はすべてビリーのメモによる)。

 「いまの状態は、わたしたちシェルパにとっても危険すぎます。あなたがたがこの遠征に多額のお金を投じているのも知っています、けれども……本当にすみません……」と言って、プルバは声を詰まらせた。あのプルバが、こんなことを言うのを、ぼくははじめて聞いた。プルバのこのような発言を聞いて、ホワイトポッドのあちこちで、鼻をすする音や、小さな嗚咽が聞こえはじめる。

 2001年、ぼくと共にチベット側からエベレストに登頂したHIMEX隊参加の常連・エレンが手を挙げた。彼女はアメリカ人女性として初の南北両側からのエベレストに登頂した人物でもある。すでにローツェにも登頂していて、今年はヌプツェに登るために来ていた。

 “I just wanted to say that I have always trusted the Sherpas and I have to thank them for getting me up to the summits of many Himalayan peaks, but I have never seen Phurba Tashi or Nima so shaken or scared. This tells me that it is just not right to climb up these peaks this year – we must respect the feelings and worries of the Sherpas, who work so hard for us.”

 自分が最高の信頼をおいているシェルパたち、プルバやニマ(ぼくが一緒に登ったニマ・テンジンではない別のニマ)のこのような怯えた姿を初めて見た、と彼女は言う。「シェルパのこのような発言や姿を見ると、今年は登るべきタイミングじゃない。シェルパの感覚や不安を尊重すべきよ」と彼女はラッセルやプルバの言葉を後押しするように、はっきりと声をあげた。

 ガイド陣からも声があがった。まずはハリーである。彼はエベレストに6回登頂(そのうち1回は無酸素)し、さらにエベレスト北東稜にラッセルと二人で新ルートも切り拓いている(ラッセル自身も当然クライマーであり、このエベレスト登攀の他にも、アマダブラムやチョオユーの最速登攀記録をもつ)。ハリーはイギリス軍の特殊部隊のトレーニングにも関わっており、通常はHIMEX隊でガイドはしていないが、今回は負傷兵グループが来ているので、そのための特別ガイドとしてエベレストにやってきた。

 “We all know that Everest is dangerous but this year the hazards are just out of proportion. When I was in the icefall looking up on the West Shoulder and seeing these huge office blocks just waiting to come down, I was wondering what we were doing there .”と言い、つづけて“This is a poor season and I have the feeling that there is a huge potential that a lot of people will get hurt in the icefall.”

 「エベレストはもともと危険な場所だけど、今年はその度合いが本当に飛び抜けている。アイスフォールに入ったとき、エベレストの西の肩から、ビルのような氷が今にも落ちそうになっていて、まったく為す術がなかった。今年はアイスフォールで大量遭難の可能性が大いにある」と彼は言う。

 アイスフォールとローツェフェイスの状況は人海戦術で改善できるものではない、ハリーはそう言うのだ。普段は何かとうるさい負傷兵チームも、ハリーの言葉にだけは素直に耳を傾ける。

 ハリーの後、他の参加者から、ラッセルの判断を信頼するという旨の発言がいくつかあった。すると、別の参加者や負傷兵グループなどから「状況が好転する見通しはないのか?」「遠征を中止するという意味は、まったく好機を待たずに、今すぐ中止するということか?」などといった当たり前と言えば当たり前の質問があがった。その言葉の端々には、ラッセルの決断への批判がこめられていないと言えばウソになる。

 ラッセルは繰り返す。「たとえローツェフェイスにまとまった雪が降ったとしても、アイスフォールの今年の状態は変わらない。アイスフォールの氷塊の度重なる落下は免れず、どうしたって大きなリスクは回避できない」。ラッセルは、登山を続ける組、中止する組などに分けることも考えたという。しかし、それも冷静に考えれば無理な話だ。シェルパと参加者の多大なリスクがそれによって軽減されるわけではない。死人が出てからでは遅いのだ(すでにダワが意識不明になっているが)。

 遠征はここで終わりである。エベレストはもちろん、ローツェもヌプツェも、これ以上の登攀は、ない。3チームとも解散だ。ミーティングが終わると、メンバーもガイドも、ある者は意気消沈して呆然とし、ある者はハグをして慰め合った。今後の混乱が予想された。

 ラッセルは他のチームの動向を気にすることなく、自分のチームのことを考えて、とてつもなく大きな決断をくだした。日記に何度も書いているが、イギリスからテレビ取材も入っている。壮行会などが開かれて地元の誇りとしてエベレスト遠征に参加した者もいただろう。何年もかけてトレーニングを積み、多額のお金を支払って参加した者もいる。会社を辞める覚悟で長期休暇をとってエベレストに賭けていた者もいたに違いない。

 みんな並々ならぬ決意でここに集まっている。そうした期待や思いを存分に知りながら、判断を鈍らすことなく、シェルパと参加者のリスクを考えて、ラッセルは素早く決断した。ねばること、あきらめないこと、それは時として好意的に受け取られるが、そのことがプラスに働くとは限らない。クラカワーの『空へ』を読んだ人はわかるだろうが、もしもロブ・ホールだったら、まだまだ遠征を続行していたように思う。ロブホールが三流だったとは決して思わないが、今回のラッセルの決断は、体裁を気にする三流のリーダーや経営者には決してできないことである。ぼく自身、今春のローツェ遠征をここで終わりにするのは非常に残念だが、数十年に一度あるかないかの悪状況のエベレストというものを間近に見て、さらにHIMEX隊の重大な決断の瞬間に居合わせて、書き手としては光栄である。昨年が幸運に恵まれただけに、その対極ともいうべき最悪な状況のエベレストとそれをめぐるシビアな現実を垣間見ることができたからだ。

 ダワは結婚して二人の子どもがいる。この日の夜、植物状態だった彼は、心肺機能が停止した。彼の遺体は、パンボチェに運ばれて荼毘に付されるという。

 HIMEX隊の決断を聞いた他の隊がどう動くのか。こうした状況のエベレストに参じたスーパークライマーたちがどう動くのか。さらに一度はラッセルの決断に納得したHIMEX隊のメンバーたちの今後の動向は……。

 エベレストをめぐる旅は、もう少し続いていく。