撤退、その後。 

5月6日
エベレストBC

 HIMEX、全面撤退のニュースは、すぐにBC中に伝わり、さらに世界中を駆け巡った。

 クライマーによって運営されている『ROCK and ICE』デジタル版のトップニュースにも『Everest Too Dangerous!』と題した記事が、ラッセルの顔写真と共に掲載された。『ROCK and ICE』は歴史のあるクライミング雑誌である。
http://www.rockandice.com/news/1960-everest-too-dangerous

 そこには、HIMEXエベレスト・チームのグレッグのブログが引用されて、昨日のミーティングの様子が描かれていた。さらに「ローツェ・フェイスから一分間 に2~10の落石がある」と書かれており、これを読んだメンバーから「おいおい、誰がそんな計測したんだよ」という声が上がっていた。マスコミはいつも、自分が見てきたかのように書く。しかし、状況を一番よくわかっているのは、現場にいる登山者やシェルパたちである。

 他に『ROCK and ICE』の記事で目を疑った文面がある。他の隊のシェルパで顎 に落石を受けた者がいたことはこの日記でも書いたが、そのシェルパをカトマン ズの病院に搬送する5000ドルの費用を、隊のリーダーが支払いを拒んだ、と書いてある。そのシェルパは、顎が砕け、脳に損傷を負った可能性があった。シェルパの命は5000ドル以下なのか、と医師が、隊のリーダーを説得し、結局は無事に搬送されたようだが、シェルパをこのように扱う隊もいると知って、愕然とした。

 ぼくがラッセルのことを好きなのは、シェルパのことを登山者と同じく仲間として心から尊重し、対等につきあっているからである。シェルパをぞんざいに扱う登山家は、たとえどんなに優れた実績を残していても、尊敬できない。ベースキャンプにいると、そういう噂は絶えず流れてくる。そのたびにぼくはうんざりさせられる。

 というわけで、HIMEX撤退の報は、BC中に伝わった。アドベンチャーコンサルタンツ隊のメンバーの大部分は、ローツェフェイスの悪状況のために、一時ナムチェまで下って静養している。IMG隊は、まだ上にいるはずだ。彼らがどう動くのか、この後、各隊でミーティングが開かれることになるだろう。

 このまま天候待ちという名目でダラダラとBCに留まり、期限ギリギリまで進退を決めずにいて、C2あたりまで一応登ってみて、最後にやっぱりこれ以上は登れませんでした、とするのが、最も無難な遠征の終わらせ方である。そうすれば、参加者からも文句は出ないだろう。でもラッセルはそれをしなかった。すぱっと終わらせた。もしかしたらシェルパの日当の問題もあるかもしれないが、それ以上に、ラッセルにはそうした決断を下せるだけの、経験に裏打ちされた判断力があった。

 このあたりの決断を、BCにいる他の多くのクライマーが支持している。午後、ラルフとガリンダがHIMEX隊を訪ねてきて、ラッセルとミーティングをもった。
 ラルフはドイツに本拠地を置くアミカル・アルパイン社のオーナーで8000メートル14座を完登しているクライマーである。

 ガリンダは数日前の日記にも出てきたように、女性として初めて14座を無酸素で完登したクライマーで、ラルフのパートナーでもある。このガリンダに関しては、ナショナルジオグラフィックの2012年4月号に特集記事が載っている。K2登攀と関連させた人物記で、ぼくは英語版でしか読んでいないが、おそらく日本版にも出ているはずだ。写真も迫力があって、いい。ナショジオは、やはり写真の使い方と編集の仕方が、とてもうまいと思う。

 そのラルフとガリンダが、ラッセルのもとにやってきてミーティングをもち、その後ぼくらと一緒に夕食を食べた。ガリンダは控えめな女性で、自然に対して謙虚な姿勢をもっていることが話の端々からうかがえた。でないと、14座の8000メートル峰に無酸素で登って生きて帰ってくることなどできなかっただろう。

 公募隊を率いた経験をもつラルフは、ラッセルの決断に「とても感銘を受けた」 と繰り返し語った。ガリンダは、今回C3で一泊した際の落石の恐怖について、 淡々と話してくれた。二人とも、ラッセルの撤退の判断は正しいということで一致している。HIMEX隊のダイニングテントで皆と夕食を囲みながら「毎日こんなにいいものを食べているの!」と二人は驚き(お世辞もあるだろうが)、もりもりと色々なものを食べて、二人は帰っていった。

 HIMEX隊に参加してよかったなと思うのは、こうしたクライマーたちが次から次へと訪ねてくることである。みんなラッセルを慕っているのだ。隣のコンラッド・アンカーたちも再びやってきた。HIMEXメンバーの多くは明日にも下山を開始するということで、夜はホワイトポッドに色々な人が集まって、さながら送別会のような様相で、賑やかだった。

 コンラッド隊に関しても前に書いたように、ナショジオの専属カメラマンでコンラッドのパートナーを務めるはずだったコリー・リチャーズが高山病にかかって下山してしまったので、コンラッドは仕方なく、目標としていた西稜ルートから南東稜のノーマル・ルートに計画を変更した。(C2に行った程度で高山病になってしまうカメラマンを雇うくらいだったら、ぼくをカメラマンとして雇ってほしい・・・)。

 それはともかく、さらに彼らは計画を変更し、ローツェ-エベレストの縦走を考えたイタリアのシモーヌ・モローと、コンラッド・アンカーがタッグを組んで、再び西稜からエベレストの頂を目指すというのだ。豪華共演の実現だが、にわか仕込みのタッグがうまく機能するかどうか。シモーヌ・モローもローツェ・フェイスを回避した模様だ。

 ウーリー・シュテックに関しては、情報が入ってこない。彼もブログなどをやっているのだろうから、それを見た方が早いかもしれない。いずれにせよ、西稜に的を絞っている模様だ。今やエベレストのノーマル・ルートを無酸素で登っても「よくやったねえ、すごいねえ」で終わりである。ましてやウーリーである。どのように登るか、世界中が彼に注目している。コンラッドのチームが西稜にフィックス・ロープを張っているようなので、それを横目にウーリーがどのようなタクティクスで今後動くのか、注目したい。

 HIMEX隊のエベレスト・メンバーの中には、まだあきらめきれずに、他の隊に移ってエベレストに登りたいと考えている者もいるようだ。ロシアのセルゲイや、フランスのピエールがそうである。しかし、ラッセルが撤退の判断を下した隊のメンバーを受け入れて、事故に遭ったりしたら、ややこしい問題になる。遠征の途中から、別隊のメンバーを受け入れてくれる隊などないだろう。許可の問題も複雑で、そう簡単にメンバーを入れ替えることはできないのだ。他にもラッセルに詰問するようなメンバーも現れだした。それもすべて折り込み済みでの決断をラッセルは下したのだろうから、一時の嵐のようなもので、明日になればすべて落ち着くと思われる。

 ホワイトポッドでは深夜まで音楽が流れていた。夜中の二時頃、ぼくのテントの前で、「オエーーッ」と言いながら吐いてる奴がいる。寒いのでテントから出ずに、ぼくはその声だけ聞いていた。声の雰囲気からして、アラスカのアレックに違いない。凍るように寒いBCの深夜に、地面にへたりこんで吐いているのだろうか。でも、今晩飲み過ぎるのもわかる気がする。BC最後の夜は、こうして緩やかに過ぎていった。

*写真は、セラックの崩壊が続くアイスフォール。今年のルートは、この左端を抜けて、C1、C2へ向かう。この氷河は生きて、今も動き続けている。