ベースキャンプを去る日。 

5月7日
BC→パンボチェ

 朝5時、早起きして、三脚をかついで写真を撮りまくった。エベレストに関する写真集を作るべく、今年はローツェからエベレストの写真を撮ろうと思ったわけだが、今回の遠征ではロブチェピークとBC周辺とエベレスト街道の撮影に終始した。それでもブローニーの220のフィルムを20本程度(120だと40本)、デジタルカメラのほうもある程度は撮れたので、自分的には満足している。

 それにしても、早朝のBCの風景は清々しい。地面には霜が降り、日の出の斜光に照らされてきらきらと輝いている。まだ誰も起きていないので、静寂があたりを包んでいる。空に雲はなく、青が透き通り、水平線上から注ぐ最初の光が、空を乳白色に染め上げる。無数のタルチョが風に舞い、薄い布地を透過した光が、ぼくの肩に注いだ。

 いつもは早起きのアレックが起きてこない。のろのろと後で起きてきた彼曰く「ここ15年間で最悪の夜だった・・・」と。それはそうだろう。標高5300メートルでは、ビールを1~2杯飲んだだけでもくらくらする。彼は酒を飲みすぎて、深夜にテントの前で雄叫びをあげながら吐いていた。「おれ、酔ってコンラッドをしつこくクライミングに誘ってたみたいなんだ。あのコンラッドにだぜ・・・」と彼は申し訳なさそうに言った。別にいいじゃないか、とぼくなんかは思うのだが、どうやらコンラッド・アンカーは、アメリカの山岳界では本当に有名人らしく、気軽に彼をクライミングに誘うというのは馬鹿げたことらしい。「もう、しばらく酒は飲まない」と吐露するアレックは、面白くていい奴である。アラスカのフェアバンクスに住んでいるので、いつか彼の家に遊びに行きたい。

 荷物をパッキングして、テント内を空っぽにしていく。今日でBC生活もおしまいである。寂しい。朝食を食べ終わった頃、C2から荷下げをしてきたシェルパたちがC2から下りてきた。背中には荷物を満載したバックパックを背負っている。彼らはこれから何度かBCとC2を往復して、HIMEXのC1,C2をたたまなくてはいけない。来年まで荷物や食料をC2にデポしておけばいいと思うのだが、規則によって、それは認められていないという。あらゆる隊はすべての荷をシーズンごとにきちんと降ろさなければいけないのだ。

 ロブチェピークで世話になったアン・ヌルという若いシェルパが下りてきたので、彼にぼくのバックパックをあげた。去年エベレスト登頂の際に使っていた52リットルのバックパックである。

 ヌルは25歳で、去年のエベレストではC2のキッチンボーイとして1ヶ月以上C2に滞在した苦労者だ。6400メートルのC2は、そこにいるだけでしんどい場所で、身体のエネルギーが奪われ、日々消耗していく。ヌルはそんな場所に長く滞在し、登っては下りてくる登山者と触れあううちに、この山に登りたいという願望に目覚めたのだろう。彼は、プルバに懇願して、昨秋のマナスルからクライミング・シェルパに昇格した。マナスルに登頂し、今年はエベレストに登るのだ、と意気込み、帽子にもペンで「Everest 2012」と大書していた。そのヌルの夢も今年はついえてしまった。エベレストに登りたい、という気持ちは何も登山者だけが持っているものではない。シェルパも同様なのである。

 そのヌルにノースフェイスの赤いアタック・サックをあげた。彼は何度も「ありがとう」と言い、ぼくたちは握手をして別れた。願わくば、今秋のマナスル、あるいは来春のローツェでヌルと再会したい。

 他の隊の動向だが、HIMEXの撤退を聞いて、逆に闘志を燃やしているのが、IMG(International Mountain Guides)隊である。HIMEXが撤退するんだったら、逆に何としてでも登ってやる、という感じだろうか。HIMEXがあきらめたシーズンに、もしIMGが登れたとしたら、翌年の集客にも繋がるだろう。生臭い話である。しかし、エベレストはこうした欲望や思惑がぶつかりあう山なのだ。だからこそ、ぼくは惹かれている。

 IMGはアメリカのレーニア山の麓に本拠地を置く会社で、世界中の山でガイド登山を実施している。「IMG」と「HIMEX」は現在のエベレスト南東稜登山における、双璧を成す公募隊となっている。IMGはアメリカ人のガイドと顧客が多く、HIMEXはヨーロッパとオセアニアからのガイドと顧客が多い。ラッセルがニュージーランド生まれでシャモニ在住なので、HIMEXにはキウィのガイド(ニュージーランド人のガイド)が在籍し、さらにENSAのフランソワやイギリスのハリーのようなヨーロッパのガイドが参加している。そうした、多様な顔ぶれが揃うのがHIMEXの特徴だといえよう。参加者もロシア、ラトビア、イギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、メキシコ、日本、中国など多岐にわたっている。アメリカを嫌うヨーロッパのマイノリティたちは、もしかしたらHIMEXを好んで選択する傾向が比較的強いのかもしれない。

 IMGのサーダー(シェルパ頭)を務めるザンブ-も非常に優秀なシェルパで、今後はザンブーを中心に、他の隊のシェルパが結集して、エベレスト頂上までのフィックス・ロープを張ろうという計画になったようだ。IMG, AAI, Adventure Consultants, Asian Trek, Patagonian Brothers, Peak Freaks, Jagged Globe, Mountain Trip, Indian, 7 Summitsの11隊のシェルパが、力を合わせて今後ルート工作をしていく。

 ただ、ローツェに関してはIMGも早々にあきらめたようで、IMG隊のローツェ組の下山は決定した。ローツェに力を分散させることなく、エベレストに最大限の力を注ごうという狙いなのだろう。今季、エベレスト登頂の可能性はまだまだ捨てきれないが、ローツェの可能性は、ほぼない。

 ラッセルの早期撤退の決断だが、もしもこれから遭難者が出たら撤退は英断として語り継がれるかもしれない。しかし、大量の登頂者が出た場合、ラッセルは参加者から、あるいはメディアから批判にさらされる可能性がある。ただ一つだけ言えるのは、今季のエベレストがどのようなシーズンになろうとも、ぼくはラッセルの決断を心から支持するということだ。

 ぼくがこの地に来たのは、頂を目指すことだけが目的ではない。もちろん登頂はしたいが、写真を撮るために、またエベレストのことを知るために来ている。その意味では、HIMEX隊に感謝している。他の隊にいたら気づかないこと、わからないこと、知りもしなかったことが、見えてくるからだ。この隊に参加して、再びエベレストやローツェに戻ってきたいと心から思う。

 隊の多くは、今日、一気にパンボチェまで下る(お金持ちはヘリでカトマンズへ)。BCに残るのは、他の隊に入ろうと交渉中の連中と、イギリスの負傷兵グループである。負傷兵グループは、スポンサーであるウィスキー会社の役員が来るのでその接待をしなければいけない。さらに、彼らを応援するツアー的なものが組まれていて、その人々に対応するためにBCに居残らなければならないのだ。

 もう撤退が決まっているのに、ただスポンサーのためにBC滞在を余儀なくされる負傷兵たちの心中はいかに・・・。大規模なスポンサーをつけると、山とは関係ないこのような俗世を登山に持ち込まなくてはいけないので、よくないなあ。

 かくして、ぼくたちは、パンボチェに向かって下りはじめた。さらば、ベースキャンプ。