エベレスト登頂への窓が開いた。 

5月17日

 帰国した翌日から、早速仕事を再開した。
 10時、小川町のオリンパスに行って、『日本カメラ』誌の打ち合わせ。オリ ンパスの新製品OM-Dを手渡される。月末から再びネパールへ舞い戻ることになった。バングラデシュとエベレスト街道(また!)の取材をするので、その道程で新しいカメラを使ってみることにしよう。
 13時、早稲田奉仕園内にあるNGO「シャプラニールの会」の事務所へ。バングラデシュ撮影に関する打ち合わせをした。バングラデシュは初めて行くので、 楽しみにしている。ネパールから陸路で国境を越えてインドのシッキムに入り、 それからさらに陸路でバングラに入ろうと計画している。
 17時、新宿で『暮らしの手帖』の打ち合わせ。秋から新連載がはじまる。あの『暮らしの手帖』で書かせていただけるのは、嬉しい。
 18時、新宿の蒼穹舎とプレイスMとコニカミノルタプラザで写真展を見る。

5月19日

 エベレストの状況がにわかに動き出している。

 まず、コンラッド・アンカーが西稜ルートを完全にあきらめた。以下、ナショナルジオグラフィックの特設サイトにコンラッド・チームのブログがある。その なかの「A change in plans」というエントリのなかにコンラッドの見解が詳しく出ている。
http://ngm.nationalgeographic.com/everest/blog/

 コンラッドは今年の西稜について、ホーンバイン・クーロワールを空撮した写真を見ながら「表層の雪がはぎ取られて氷がむき出しになっており、古い氷なのでアイゼンの食い付きが悪すぎる」などと語っている。ちなみに、この空撮写真はシモーヌ・モローが撮影したものだ。シモーヌはヘリのパイロットでもあって、彼は自分の登山活動そっちのけで、今季、かなりのレスキューに時間を費やした。

 コンラッドのブログには、今季のエベレストの落石について「雪が豊富にあると、岩はその場所に押し留められる。しかし、通常より温暖になり、昼間に雪が解けて夜間に凍結すると、岩の亀裂が広がってはがれ落ちる」という解説があった。ローツェ頂上付近のクーロワールから転がってくる落石もまた、そういうことなのだろう。

 コンラッドは西稜をやめて、ノーマル・ルートの南東稜から登ることに決めたようだ。ホーンバイン・クーロワールという名称は、1963年にアメリカ人としてエベレストに初登頂したトム・ホーンバインにちなんだもので、彼と同じように西稜から登って南東稜から下ることが、ナショジオにバックアップされたコンラッド隊の大きな目標だった。それが崩れた今、隊の意義自体も揺れている。
 ちなみにコンラッドは許可証を、西稜ルートから南東稜ルートに変更するのに時間がかかっており、未だBCにいる模様だ。

 そうこうしているうちに、エベレストにも登頂者が出始めた。IMG、AAI、Peak Freaks、Chilean、7 Summits clubという5隊に属するシェルパが協力して、5月18日に頂上までのルート工作に成功した。つまり、今季は、5月18日が最初の登頂日と相成った。繰り返しになるが、例年は4月末~5月はじめにはルート工作が完了しているはずなので、今季は極めて遅い。

 そして、このルート工作完了翌日の5月19日、さらに登頂者が出た模様だ。IMGやアドベンチャーコンサルタンツ、ピークフリークスなどの公募隊のサイトが更新され、登頂を知らせている。

 ウーリー・シュテックは5月18日に、21歳の若いシェルパ、テンジンと二人でノーマル・ルートから無酸素登頂に成功した。ウーリーのサイト(http://www.uelisteck.ch/en/)には、登頂の時間が書かれていなかったので、シェルパのルート工作の前なのか後なのかがわからない。5月18日は、ルート工作の合同シェルパ隊、ウーリーとテンジン、そしてチリ隊も登頂に成功している。ちなみに、ぼくはこの21歳のシェルパ、テンジン君が気になっている。ウーリーが挑戦する姿を見て、自分も無酸素で登りたくなったということらしいが、若い彼に何か熱いものを感じる。無酸素では確実に最年少だろう。将来が楽しみなシェルパである。

 ウーリーもまた西稜をあきらめ、ノーマル・ルートに計画を変更している。いろいろ挑戦するのは、まずノーマル・ルートで登ってから、ということだろう。今年のエベレストの状況を考えれば、妥当な判断である。

 彼のサイトには、登頂前に順応でサウスコルまであがった写真などが掲載されていたが、見事にテントが1つもなかった。ただでさえ荒涼として死臭のするサウスコルだが、誰もいないサウスコルの寂寞さは想像にあまりある。

 5月19日午前に、HAT-Jの人からぼくのところに電話がかかってきて、渡邊玉枝さんのことを知らないかと尋ねられた。渡邊さんは、大まかな計画書を一切れ残していっただけで、まわりの人はほとんど何も知らされていなかったとか。だから、新聞社の人が情報を欲しがっている、と。
 今日、渡邊さんが女性最高齢の73歳でエベレスト登頂に成功したという報が流れたが、多くの人は勘違いして、ぼくがいたネパール側から登ったと思っている。が、渡邊さんは反対のチベット側からの登頂である。もし渡邊さんや村口さんがBCにいたら、ぼくは会いに行っていただろう。渡邊さんには日本で何度かお会いしたことがある。静かで控えめなのに、強い情熱をうちに秘めている素敵な女性である。渡邊さん、本当におめでとうございます。

 次に登頂への窓が開くのは、25日だと言われている。だいたい、春のエベレストでは、毎年5月に2回だけ、登頂への窓が開く。今年は25日に二度目のそれがあり、さらに登頂者が出て、あとは6月はじめにかけてパラパラと小さな隊が登頂して、今季のエベレストは静かに幕を閉じると予想される。

 ちなみに、ローツェの登頂者はまだ出ていない。おそらく今春は一人も登れないと思うのだが、はたしてどうだろう。