国境を越えてインド入国。 

5月30日
イラム→国境→ダージリン

 朝、バナナパンケーキの朝食を食べた後、洞窟や滝があるという小さなヒンドゥー教の寺院へ向かった。イラムの街から茶畑を抜けて延々と坂道を下り、標高を下げていく。気温が上がっていくのがはっきりとわかったので、だいぶ低い場所まで歩いたのだろう。結局、谷の底にある川の近くまで下ったところに、寺院があった。

 巨大な岩などがあって、日本なら確実に重要な聖地となるような場所である。滝のそばに小さな洞窟があって、一番奥の窪みが女陰を模しているらしい。入口には男根らしき、岩がいくつかあって、花や色のついた粉で飾られていた。寺の前には、プジャをおこなうためにやってきたという家族がいて、岩の影で焚き火をして料理を作っていた。

 汗だくになって、寺からイラムまで山道を登り返し、荷物をまとめてホテルを出た。ホテルの前の茶屋で、最高級の紅茶であるという「ホワイトティー」の茶葉を買った。色が無色透明に近いのでホワイトティーというらしい。日本で紅茶を煎れるのが楽しみだ。

 イラムから再びすし詰めバスに乗って国道まで出て、その後トラックに乗り換えて、国境の町カーカルビッタへ向かった。トラックの荷台に乗れと言われ、尻を打ちつけながら、荷台の上で揺られ続けた。国境の手前でストライキが行われており、道路が封鎖されていたので、回り道をしてようやくカーカルビッタに到着。

 カーカルビッタにはモノが溢れており、バザールは活気づいている。ダルバート定食を食べて周辺を散策した後、タクシーに乗って国境へ向かった。ネパール側のイミグレで出国シールをパスポートに貼ってもらい、その後大きな川に架かる橋を越えた。川が国境になっているのだが、河原には多くの人がうろうろしていて大らかである。そのままインド側に入って入国スタンプを押してもらう。

 インドに入ると急に人の雰囲気が変わった。人々の肌の色が浅黒くなり、いかにもベンガル人という身なりの人たちに出会う。国境を越えた途端に、ネパールの携帯電話が使えなくなった。SIMフリーのiPhoneなので、インドのSIMカードを入れてインド仕様に変更する。

 国境を越えたのに、ネパールで台頭するマオイストの赤い旗が街のあちこちに掲げてある。インド側でもマオイストは活動しているのだろうか。

 スィリグリという街まで行き、ダージリン行きのバスを待った。ダージリン行きのバスは、テンジンノルゲイ・バスーターミナルから出発する。その名の通り、巨大なテンジンの像が設置してあり、ちょっと感動してしまった。テンジンは、言うまでもなくヒラリー卿と一緒に世界で初めてエベレストの頂上に立ったシェルパである。ネパールよりもインドのこのあたりのほうが、テンジンをスターとして扱っている感がある。

 バス停でダージリン行きの乗り合いバスを待っていると、近くのおじさんらが話しかけてくる。「中国の首都が東京だろう」とか「ジャッキー・チェンはニセ物で、本当に強いのはジェット・リーだ」などというくだらない話を聞いていると、バスが出る時間になった。

 3人掛けの席に4人が座る、相変わらずのすし詰めバスである。3時間かけてダージリンに到着する頃には、夜21時頃になってしまった。ダージリンのバスターミナルに降り立つと人もまばらである。

 土地勘もないので、薄暗い路地をうろうろしながらホテルを探した。最初の二軒は満室。時間がかなり遅いうえに、一人なので断られているのかと思ったが、本当に満室のようだ。今は紅茶の収穫の時期で、シーズンのピークであることを後で知った。避暑にやってきたインド人観光客でどこのホテルも満室なのだ。

 一泊300インドルピーがいいところのボロい安宿なのに、「一室だけあけてやる」と言い、一泊1500ルピーだとふっかけられた。いくら時間が遅くても野宿を強いられようと、そんな宿には泊まらない。

 その後、歩き続けて一軒の中級宿を見つけて、チェックインすることができた。一人旅のうえに、こんなに遅い時間だと、怪しまれて困る。しかもぼくは誰にも日本人だと思われない。みんなぼくのことをネパール人だと思っているので、なおさら良くない。

 くたくたの体に夜の闇が染みこんでいく。 ダージリンの最初の夜は、こうして過ぎていった。

*写真は、スィリグリのバスターミナルにある、テンジン・ノルゲイの像。テンジンは、エベレストにヒラリー卿と共に初登頂したシェルパの英雄である。