ヒマラヤ登山学校とエベレスト博物館。 

6月1日
ダージリン→スィリグリ

 パゴダホテルに南京虫はいなかった。今日、ダージリンを出るが、その前にヒマラヤ登山学校とエベレスト博物館へ行かねばならない。

 朝、乗り合いタクシーに乗って、ヒマラヤ登山学校の門前まで行くと、小雨の降る天気にも関わらず、大勢の人が遊びにきていた。おそらく併設された動物園目当てなのだろう。

 チケットを購入して、中に入ると、まず動物園を通ることになる。大きなヤクが二頭いたが、低い標高、そしてこの暑い最中によく生きていられるな、と思う。ヤクは通常3000メートルから4000メートルの高所に生息している。動物園では緑の草を食んでいたが、森林限界を越えたところにこのような草は生えないので、ヤクも環境に適応しているということか。
 この動物園の名物は雪豹なのだが、これに関しては姿が見えなかった。ベンガルトラや他の豹などを見てまわる。関係ないが、芹沢さんが訳したピーター・マシーセンの『雪豹』は素晴らしい。ネイチャーライティングのなかでは出色だと思う。

 動物園を通り過ぎると、ようやくヒマラヤ登山学校が現れる。いまはシーズンオフらしく、授業などは開講されていない模様だ。室内のクライミングウォールや、生徒のための寄宿舎もあった。

 その近くに「エベレスト博物館」なるものがあり、これがなかなか面白かった。ヒマラヤにまつわる展示で、道具の移り変わりや、ジオラマのヒマラヤ山脈などによって、8000メートル峰について概説していく。主にエベレスト登山に関する展示が多く、他にもマカルーなどのコーナーもある。

 博物館の前に、テンジン・ノルゲイの墓があった。テンジンの評価が、ネパールよりもインドで高いのは、テンジンがこのヒマラヤ登山学校の初代校長として尽力し、さらにダージリンで最期を遂げたことにも起因するのだろう。

 2011年4月25日に、ヒマラヤ登山学校の2代目か3代目の校長を務めたナワン・ゴンブが75歳で亡くなっている。世界で初めてエベレストに二度登頂し、数々の遠征隊に同行した超ベテランシェルパである。タイガーメダルをもらった彼も、最終的にはインド国籍をとってしまったのかもしれない。ネパールではほとんどその名を聞かないが、ここダージリンでは英雄の一人である。

 展示をじっくり見てまわり、エベレスト博物館を後にした。雨が本降りになってきているうえに、早めにダージリンを出ないと、今日中に国境を越えることができない。ぼくの予定では、今日中にダージリンからスィリグリに戻り、そこからバングラデシュへ入るつもりだった。

 乗り合いタクシーに乗って市街へ戻り、パゴダホテルをチェックアウトして、バス停へ向かった。スィリグリ行きのバス・チケット売り場は人でごった返している。こんなにもたくさんの車やバスがひしめきあっているのに、スイリグリ行きの乗り合いタクシー自体が不足して、行列しているという。

 押し合いへし合いしてようやく120ルピーのチケットを購入し、いつものすし詰め状態でスイリグリへ向かった。

 朝から何も食べておらず、途中の休憩所で、モモを二皿たいらげる。スイリグリのテンジンノルゲイ・バスターミナルに到着したのは夕方だった。テンジンノルゲイ像の前に三脚を立てて撮影し、国境行きのバスを探すが誰に聞いても「もう時間が遅いのでない」と言われる。それでもあきらめずに探して、バスを二度乗り継げば国境へ行けることがわかったが、そうすると18時を過ぎてしまうので、手続きができないだろう。今日中の越境をあきらめてスィリグリに泊まることにした。

 幸いバスターミナルの近くにいくつかのホテルがあったので、部屋を確認してライフスタイルホテルという妙なネーミングの宿に泊まることにした。半分屋台と化した近くのレストランでカレーを食べ、夕食とする。日が暮れてからもスイリグリを歩き回り、インドの喧噪を堪能した、というかさせられた。

 明日こそ、バングラデシュへ越境しなければ、ビザが切れてしまってまずいことになる。

*写真はダージリンの街並み。