中華料理と登山の言葉。 

9月20日

 朝、腹の調子が悪くて目覚める。ここ数日は、食べ過ぎている気がしていた。体重をあと5キロ増やしたいと思い、毎日毎日昼夜を問わず、チョコレートだのクッキーだのを食べまくっていたのだが、そんなに簡単に高所で体重が増えるものではなく、体重が増える前にまた胃腸をやられてしまったようだ。バカなことをした。

 昨夜は、夕食に中華料理が出た。ラッセルが、ぼくたちのBC滞在が長くなったことを気遣って「いま食べたいものは何かアンケート」を行った。自分はいまの食事に満足しており、不満はない。三食のメニューもきちんと考えられており、飽きることもない。ただ、他の人は食べたいものを叫びながら盛り上がっていて、なかでも中華料理を要望する声が多かった。

 そのことをラッセルがキッチンシェルパのラチューに伝えて、中華料理を作らせたのだった。野菜スープにはじまって、肉炒め、野菜炒め、ビーフン、米などが並び、どれも一定の水準をこえていて、美味しかった。2001年にチョモランマに登った際、ラサからシガツェへ行く道中で食べた中国料理に味がよく似ていた。チベット人やネパール人が作る中華料理は、なんというか日本で食べる中華と少しだけ味付けが異なる。それを適切な言葉で表現できるほど、ぼくの舌が肥えていないのが残念だ。とにかくラチューの「ネパール風中華料理」を食べた。目一杯食べた。そして、ぼくの胃腸はぎとぎとの油にやられてパンクしたのであった。頂上へ向かう日が近づいているというのに、何たることだろう。

 この日の午前中に、ラッセルから酸素ボンベに関する講義があった。エベレストなどでもおなじみのあれである。ということは、アタックが近づいているということを意味している。

 ぼくはこの「頂上アタック」という言葉が嫌いで、これを原稿の中などで使うたびに違和感を覚える。ただ、他に適した言葉がないので、これまで散々使ってきているのだが……。なぜ頂上に「アタック」しなければいけないのか。頂上に登るだけなのに、なぜ攻撃なのか。これは日本の近代登山が軍国主義の時代の前後に開花したということもあるだろうし、ヨーロッパのアルピニズムを模倣した際、用語の翻訳が軍隊のそれとかぶるところがあったのだろうと想像する。

 日本人として初めて14座に登った竹内さんはアタックではなく、「サミットプッシュ」という言葉を使っている。英語ではたまに聞くのだが、これをカタカナで言うのは竹内さんの専売特許のような気がするので、真似して使うことは控えたい。とすると、やはり「頂上へ向かう」と、ストレートに言うのが一番いいのではないかとぼくは思うのだ。

 登山では、他にも物々しい言葉の使い方がたくさんある。いわく「頂上を攻め落とす」「頂上を征服する」「〇〇山は陥落した」など。昔の山岳小説などを読んでいると、「頂上攻撃を明日から開始する」などという言い方が出てきたりして、ぼくなどはそれだけですっかりしらけてしまうのだ。

 何度か書いてきたことだが、山の頂上に立った程度で、その山を「征服した」などと表現するのは、人間の奢りの極みではないか。山は、地球の造山活動によって生まれた地表における凹凸に過ぎない。そんな場所に勝手に登り、いくら苦労して頂上に立ったとはいえ、「征服」したわけではまったくないし、山が「攻め落とされた」わけでもない。ネパール人やブータン人やチベット人が山を聖なる場所として登ることを禁じてきた理由はよくわかる。それは彼らにとって、山は人智の及ばない神のいる場所だからである。それはハナから攻め落とす対象などではなく、畏怖の念をもって崇めるほかなかったのである。

 一方で、ヨーロッパ人は自然の克服をテーマに歴史を歩んできた。キリスト教も同様である。その末に生まれたアルピニズムが、あたかも山と戦うような姿勢を標榜し続けてきたという負の影響は、今も登山の世界に影を落としている。男性原理が支配してきた登山という行為に、近年のブームによって若い女性が分け入り、それが引き金となって、こうした軍隊的とも言い換えられる登山の古い価値観をぶっ壊してほしい、と心から願う次第である。

 というわけで、マナスルに話を戻すと、頂上へ向かう時期が迫っている。ラッセルの計算によれば、26日か27日ごろに風が弱くなって登頂日和になるという。
 とすると、22日か23日にBCを出発することになる。C1、C2、C3、C4と順番に標高をあげていって、26日か27日に頂上に立つ、というスケジュールだ。プルバによれば、チベタンカレンダーの日取りも、そのあたりはいいらしい。チベタンカレンダーで登頂日を決めるというのは、なんだかお見合いの日取りを決めるようで、面白い。そろそろ体がなまってきたので、早く出発したいものだ。

*写真はラチューが作ってくれた中華料理。どこかチベット風の味付け。