頂上へ:その4、(C4→頂上→C2→BC) 

9月30日:C4→頂上→C2→BC

 9月30日、午前4時30分起床。すぐにお湯作りを開始。朝食は、カニの味噌汁ともち一つ。もちを茹ですぎて、とろとろになってしまい、せっかく作ったお湯が米のとぎ汁みたいになってしまった。その濁った湯を、500ミリリットルのナルジンに入れ、日本茶のもとを多めに投入。乳白色がかった緑茶は、見るからにまずそうだが仕方ない。いま思い出しただけでも気持ち悪くなる。

 午前5時30分にC4のテントを出発するはずが、もたついて5時55分の出発となった。相棒はプラ君だ。

 雪原を横切り、斜面にとりついて、ゆっくり登る。時々後ろを振り返ると、プラ君が立ちながら居眠りしていて、ふっと我に返り、ぼくと目が合う。きっと今日まであまりよく眠れなかったのだろう。プラ君の背後に広がる夜明け後の空は、筆舌に尽くしがたい複雑な色を帯びていた。

 再び広い場所を横切り、長い斜面へ。ここでぼくより30分早く出発したSさんを追い越してメンバーのトップに立った。後ろを振り返ると、猛烈な勢いでプルバが登ってきて「ナオキサーン」と言う。プルバはプラ君を追い越して、ぼくのすぐ後ろについた。ここからプルバに煽られまくる。ぴったり後ろにつき、ぼくが「先に行っていいよ」と言っても「ノーノー」と言われ、影のような追走状態に。石川、プルバ、プラ君という3人部隊は、エンジン全開で何人もの登山者を追い抜いた。

 ついにHIMEX隊の先頭を切っていた田村さんとシェルパの二人組が休んでいるところまで追いついた。やれやれ休憩でもするか、と思って、雪の上に座ったところ、プルバがぼくに手を伸ばしてくる。「よくここまでがんばった、おつかれさん」という握手かと思って、ぼくもそれに応じると、そのままグイと腕を掴まれて、立ち上がらされた。マジかよ、プルバ……。

 ここからは隊の先頭に立って、ブルドーザーのように登った。後ろにはプルバがいる。これ以上心強いことはなかったが、プルバからのプレッシャーは甚大で、止まれない。プルバも超高所で無理強いはしないはずなので、おまえならもっと行ける、ということなのだろう。自分だけだったら確実に休んでいただろうし、歩みも遅くなっただろうが、プルバによってぼくの気力と体力は倍になったように思う。

 スキーを担いだ外国人や、朝3時頃に出発したらしいAG隊を追い抜き、頂上ピラミッド手前に到着した。ここに着いただけでも「マナスルに登頂した」と認められるらしいのだが、目の前には明らかに小高いピラミッドがあり、登らずに帰るわけにはいかない。

 HIMEX隊のシェルパ二人、ツェリンとラクパがいつのまにか先行し、彼らがマナスルの最後の最後にある、その小高い丘にフィックスロープを張った。ツェリンはMさんのシェルパ、ラクパはダリルのシェルパで、両者とも、サポートすべき登山者がリタイアしてしまったので、最後のルート工作の役割を担った。どちらも他の隊ならサーダークラスの強力シェルパである。

 本当の頂上から帰ってきたその二人とすれ違い、後ろでプルバが「足もとがもろいので、写真を素早く撮ってもどってこい」という。たしかにその雪のピラミッドというか「丘」の足もとはもろかった。稜線というのも憚られるような、ひどく柔らかい雪の上を歩いていたように思う。フィックスはあるが、アンカーが今にも抜けそうで、滑落などでロープにぶら下がった場合、フィックスはフィックスでなくなってしまうのではないか。扇子の端を歩いていて、その先がどんどん崩れていくような、そんな感じである。

 ともかく最後は、雪の稜線を崩しながら少しずつ登っていき、本当の頂上に立った。いや、正確に言えば、立てるような場所ではなかったので、這いつくばるようにして座った。午前9時8分登頂。C4から頂上まで、3時間13分。快晴微風。最高の天気。

 頂上で、プラ君に写真と映像を撮ってもらった。ぼくはフィルムカメラで、四方の風景を撮影した。雲もなく素晴らしい景色だったが、目が麻痺している。驚愕の風景なのに、とっかかりがないように感じられて、シャッターを切りづらい。とにかくシャッターを切った。フィルムを15本荷揚げしたのに、結局頂上付近で使ったのは3本だけだった。

 後ろがつかえるので、プラ君と素早く下山を開始した。HIMEX隊の他のメンバーとすれ違いざまに握手をし、シェルパたちから祝福の言葉を投げかけられる。頂上ピラミッド下のわずかな平地(写真の場所)でカメラのフィルム交換をし、さらに下った。斜面の下りは単調だった。しばらくすると、眼下に雪原が見えてくる。登ってきたときにはそこまで感じられなかったが、C4の上部はかなり広いプラトーになっており、このあたりでホワイトアウトになったらルートを間違えかねないな、と思った。小西政継さんは、疲労のうえに、悪天と暗闇が重なって、この雪田で間違った方向に進んでしまったのかもしれない。

 途中で単独の鈴木さんと出会った。C2から夜通し登ってきたらしい。かなり疲れているようだったが、しかしまだ余裕もありそうだ。がんばってほしい。握手をして別れる。

 ちなみに、HIMEX隊のウィムも無酸素での登頂を目指していたが、ペースが遅すぎて最後の最後で酸素を使用。しかし、登頂には成功した。HIMEX隊は、C1まで行かずにリタイアしたダリルと、C2からC3へ出発直後にリタイアしたMさん以外の6人全員(Sさん、Kさん、Gくん、石川、ウィム、アンドレア)が登頂を果たし、凍傷などを含めてケガ一つ無く、全員無事である。

 C4に到着すると、テントが風でぼろぼろになっている。夜明け前後は暗かったので気づかなかったが、新品のテントも春秋に遠征で目一杯使うと、ジッパー部などが破れてくる。テントも消耗品なのだ、と当然のことをあらためて感じた。そのボロボロのテントでも風よけにはなる。テントの布地が風にたたかれる激しい音を聞いていると、早くC3まで下りたかったが、他のメンバーを待とう。

 C4からC3の下りでは、フィックスが一本しかない部分で動けなくなっているロシア隊などがいて、遅れ気味となった。C3まで下り、ダウンスーツの暖かさを呪った。ここでダウンスーツを脱いでザックにしまうと、ザックには何も入らなくなってしまう。C3では、デポしておいたゴミ袋やシットバッグやスコップなどを詰められるだけザックに詰めて、ふらふらになりながらC2へ向かった。シェルパの荷下げの苦労が、こうして少しでも軽減されればいい。

 とにかく暑くて重くて倒れそうだった。雪崩の現場は上から見えると「雪崩れたんだな」とはっきりわかった。テントや装備の残骸が雪上に見え隠れしている。まだ三人のフランス人が見つかっていない。この雪の中のどこかに眠っているはずだ。途中、ひっくり返るように休みながら下り、C2に到着したのは14時を過ぎていた。

 C2にデポしてあった予備のウィダーインゼリーを飲み、少々回復。ダウンスーツを脱いで、ゴアテックスの上下に着替えた。Sさん、ウィム、アンドレアは疲労のためC2に一泊してからBCに帰ることになり、田村さんも共に残った。ぼくとGくんとKさんと、ガイドのウディとブルースが、今日中にBCまで戻ることになった。

 15時にC2を出発、さらに下山を続けた。C2からC1のあいだにある二つの急斜面はATCを使って下った。いくつか立ち現れるクレバスは日を増すごとに大きくなり、思いっきりジャンプしないと奈落の底へ転落する。以前も危険だった一つのクレバスが、本当に危険な状態と化し、オーバーハングした氷の上から、クレバスの上に身を落とすようにして懸垂下降をして、さらにそこから這い上がらないと越えられなくなっていた。しかも、底が見えないほどに深い。危険なクレバスだが、こういうところを越えるときに「ちょっと楽しいぞ」と感じてしまう自分は、アルティチュード・ジャンキーなのだろうか。一番神経を使ったのが、このC2からC1の下りだった。体力もひどく消耗した。

 ようやくC1に到着し、アイゼンを外した。この先は緩やかな雪面と小さなクレバスが連続して続く。シェルパのように、多少の場所ならアイゼン無しで進んだ方が早いので慣れればアイゼンを外して滑るように進めばよい。空が少しずつ暗くなっていく。日が落ちる前に、BCに帰り着かなければ。

 ガイドのウディ、ブルースと、Gくん、Kさんは、C1で一服してから戻ることに。無線でやりとりしながら、ぼくは一人で家路を急いだ。アイゼン無しだと速い。大きなクレバスをいくつも越えてきたので、BCからC1までの、裂け目のような小さなクレバスなどは、軽々とジャンプで越えられる。

 途中で滑りすぎて転んだりもしたが、無事にクランポンポイントに到着した。ハーネスを外し、最後の岩場を歩く頃には18時半を過ぎ、完全に日が落ちた。空には幸いなことに満月が浮かんでいたので、道というか轍がおぼろげに見える。ヘッドライトはザックの底にあり、こんなところで荷物を広げたくない。暗くなった岩場で二度ほど滑って転んだ。本当に疲れて疲れて、仕方なかった。足もとは三重靴のままだし、荷物が重すぎて腰が痛くなり、何度か岩場で大の字になった。そのたびに背中のザックにくくりつけたシットバッグが気になった。袋が破れて中身が出たらどうしよう、と。シットバッグは破れなかったが、ゴミ袋が破れ、空のガスボンベが音を立てて岩場に転がった。ここまで捨てずに持ってきたのに、ここでポイ捨てなんてしたくない。みじめな気持ちになりながら空のボンベを二つ拾い上げ、それを手に持って、歩き続けた。

 ようやくBCの灯りが見えたときには心が躍った。腰が痛すぎる。早くザックを降ろしたい。ふらふらになりながらBCのダイニングテント前に到着すると、ラッセルとMさんが迎えてくれた。ラッセルと握手をしながら「ラッセルのおかげで登頂できました。本当にありがとう」と言うと、勝手に涙が出そうになった。「おれは何もしてない。おまえが登ったんだろう」とラッセル。Mさんが「何か飲む?それともシャワー?」などと言うから、奥さんが出迎えてくれたみたいでおかしかった。Mさんにファンタオレンジを持ってきてもらうと、一気飲み。体に染みるとはこのことだろう。もしかしたら脱水状態に近かったかもしれない。

 19時30分過ぎ、GくんやKさんら、全員の帰着を待って、いつもより1時間遅く夕食がはじまった。夢にまで見たBCの温かい夕食で、しかも美味しそうな肉を出してくれたのに、ほとんど食べられなかった。疲労などによって胃が食べ物を受け付けなくなっている。

 夕食後、ベースキャンプ用の厚いダウンを着て、早々に寝袋にくるまった。朝5時55分に標高7300メートルのC4を出発し、8153メートルの頂上を経て、19時に4700メートルのBC帰着、という長い長い一日が終わった。この13時間、30分以上の休憩をしていない。全身が痛い。そして、吐きそうだった。

 ぼくは帰ってきたのだ。体はズタボロだが、しかし、心底から充実した登山だった、と思える一ヶ月間であった。

*写真は、頂上直下でのプラくん。