ベースキャンプとルート工作に関わるもろもろ。 

4月27日(エベレストBC)

 朝5時頃に目が覚める。小便をしたいが、寝袋から出たくない。思い切ってテントを出てトイレに行こうかと思ったがその気にならない。テントどころか寝袋から出たくない。控えめに思い切って寝袋から上半身だけ出して、ピーボトルに小便をする。そして二度寝。

 7時、ちゃんと起床。おしぼりとミルクティー。
 
 8時、オレンジジュース三杯と、ベーコンとオムレツとトマトの朝食。
 
 9時、テント前の通路が崩れてきたので、工事。岩を積み上げる。
 
 午前中はホワイトポッドで日記を書いた。
 
 12時半、昼食は、チキンウィング。日本語で言うとたぶん手羽先だが、いわゆる手羽先とちょっと違うのは、こってりした味付けがなされていること。美味しかった。
 
 13時半、シェルパニのヤンジンとケニアの少女マヤがベースキャンプを去るので見送った。マヤはC2まで行くはずだったが、ロブチェ順応が原因でギブアップした模様。ロブチェピークでは、下から頂上まで10時間かかっており、そのスピードではアイスフォールを抜けられないとラッセルが判断したらしい。友人と登山するだけならゆっくり山を楽しめばいいが、本当に登るときはそれなりのスピードが要求される。速いこと=強いこと、である。

 14時、新ナオキの丘へ向かう。今年は、タルチョ舞う丘(旧ナオキの丘・トレッカーがエベレストBCに着いたという記念撮影をする場所)ではNCELLが全く繋がらないことを確信した。ゴラクシェプのアンテナは新しくなって電波は強くなっているはずなのに、なぜ去年のように繋がらないのか?意味が分からない。仕方がないのでモレーンまで出て、さらにゴラク方面へ歩き、小高い丘に登るとようやくNCELLが繋がる。そこを今年の新しい「丘」とする。ちょっと遠いが、ゴラクシェプやプモリC1へ行くよりはマシだ。

 友人から、4月21日付けの日経新聞文化面の記事が送られてきた。そこには管啓次郎さんの「コロンブスの島犬」というエッセイが掲載されており、カリブ海の風を感じる素敵な随筆であった。こういう犬原稿を自分も書きたいと思う。

 ぼくは『世界の犬』という無謀な連載をしているが、その掲載場所であるマトグロッソ(深い森という意味)が、アマゾンから独立したという報せも届いた。これ(http://matogrosso.jp/inu/inu-09.html)が、その直接リンクである。今年はエベレストBCに、まだ野良犬は来ていない。去年BCに現れた老犬は亡くなった、とラッセルが言っていた。

 目の前にある現実が強烈すぎて、目の前のこととリンクした原稿でないと書けなくなっている。エベレストBCで、正月に出会った秋田犬のことを書こうと思っても、なぜだか書けない。北極のことを急に思い出せないのと同じだ。しかし、東京では何でも書ける。目の前の現実が希薄で、生きることに必死にならなくていいからかもしれない。

 今日、エベレストのルート工作中にもめ事が起こった。今年もまた、「スイス・マシーン」ことウーリー・シュテックと、そのパートナーとしてイタリアのシモーヌ・モローがエベレストに来ている。昨年ウーリーは当初の予定を変更してノーマルルートでエベレストに無酸素登頂したが、今年は目標通り西稜からの登頂を目指しているらしい。そして、彼らは順応をローツェフェイスで行っていたのだが、そこでシェルパともめ事を起こした。

 各隊から派遣されたシェルパ連合(IMG、HIMEX、アドベンチャーコンサルタンツなど主要な公募隊から選出されたシェルパたち)が現在キャンプ3までのルート工作の真っ最中なのだが、それに先駆けて、ウーリーとシモーヌがローツェフェイスに登り、上から氷塊を落として、ルート工作中のシェルパが顔に大けがを負ったのである。そのシェルパはアドベンチャーコンサルタンツから派遣されたシェルパで、歯を何本か失い、唇に裂傷を負った。

 その後、C2でシェルパとシモーヌだかウーリーがつかみ合いのケンカをして、一騒動となった。ラッセルたちの見解としては、ウーリーとシモーヌに非がある。ウーリーらは技術も力もあるのだから、200人ものシェルパが荷揚げをしたりルート工作をしているエベレストのノーマルルートを順応に使う必要はないし、さらにルート工作よりも先に上がったあげく、氷塊を落としてシェルパに怪我をさせてはいけない、と。

 このため、シェルパたちはルート工作の中止を発表。明日は一切のシェルパが、荷揚げやルート工作をしないことになった。いわゆる抗議デモみたいなものである。

 こういうときに頼りになるHIMEX隊のサーダー、プルバ・タシは、奥さんのお父さんが亡くなり、クムジュンに一度戻ってからBCに帰ってきたばかりだった。ポルツェで行われた大きなプジャ(葬式)に参加していたのだ。だから、プルバは今回のもめ事に関わっていない。

 これは4月18日のことだが、IMG隊がホストとなって第一回目の「ルート工作会議」なるものが開かれた。主要な公募隊のリーダーが集まって、フィックスロープを張るルート工作について、話し合いが行われたのだ。その際にシェルパの給料の取り決めもなされたのである。例えば、BCからC2まで荷揚げした場合はUS30ドル、C2からC3まで荷揚げした場合は40ドルなどなど。ちなみにC4(サウスコル)から頂上までのルート工作でロープなどを持ち上げた者には400ドルが渡されることになった。

 さらに今年からネパール政府公認の、the Expedition Operators Association(EOA)が発足することになった。長年ラッセルがエベレストのルート工作のイニシアチブを担い、ロープやスクリューやスノーバーなど、身銭を削って提供してきた面があったわけだが、それに対してきちんとした財政支援が成されることになったのだ。今まで隊同士の取り決めであいまいに価格が設定されてきたが、エベレストに登る登山者には230ドル、ローツェに登る登山者に150ドルのルート工作料が課されることになり、そのお金がルート工作にかかる道具などにあてられることになる。

 こうして、エベレスト登山も日々体系化し、進化している。ぼくたちはそれを目の当たりにしながら、上にあがる日を待っているわけだ。

 HIMEXの高所順応最終ステージは、アイスフォールを抜けてC2で3泊、C3で1泊してBCに戻ることである。そのためにはC2の建設とローツェフェイス上に作られるC3までのルート工作完了を待たねばならない。少なくともあと数日は、ぼく自身もBCにいることになりそうだ。

 夕方、日焼けした耳の皮がむけた。耳の外側や耳たぶの皮がむけることはまれにあるのだが、耳の内側の皮もむけた。ヒマラヤの太陽光は、こうして耳の穴奥にまで届くのである。そろそろ日本を出て一ヶ月が経つ。ぼくはこうしてヒマラヤの光に、身も心も冒されようとしている。

*写真は、新ナオキの丘から見たベースキャンプ。左のほうにテントがぽつぽつ見えるだろうか。BCからここまで歩かないとネット接続できないのです。しかもむちゃくちゃ寒くて、この場でメールの返信をする場合は、最大でも二行くらいしか書けません。手がかじかんで・・・。
右に見える三角がエベレストのウエストショルダー。この山の向こうはチベットです。