山も、人も、動く。 

5月9日
(ベースキャンプ/5200m)

 朝7時起床。おしぼりとミルクティー。

 プルバたちのルート工作が、エベレストの標高8300mにあるバルコニーに到達した。あとは、南峰を越えさえすれば、ヒラリーステップから頂上は目の前である。シェルパとデイヴィッドは、いまサウスコル(C4)に戻り、明日いよいよ頂上までのフィックスロープが張られる予定になっている。

 今日もレストである。

 フランソワの奥さん、マルティニが一人でBCを去った。マルティニは、ヌプツェに登るためにきていたが、アイスフォール通過を過度に恐れていた。ヌプツェ隊は先の順応の際にC2から一気にヌプツェに登る予定だったが、天候が悪くてかなわず。そして、一度BCに戻ってきてから、マルティニはヌプツェ登山への気持ちが失われてしまったらしい。もう二度とアイスフォールを通過したくない、と。

 こういう人もいるのである。シェルパは荷揚げのために何度もアイスフォールを通過する。一方でぼくたちは、アイスフォールのリスクを軽減するためにロブチェピークで順応を行い、本番前にアイスフォールを通るのは一回のみ。そうやってアイスフォールの通過回数を極力減らしてきた。雪崩やセラック崩壊、滑落をはじめ、アイスフォールは予想できない何かが必ず起きる場所だからである。

 アイスフォールを恐れないのも無知。アイスフォールを恐れすぎるのも無知。高いリスクを理解した上で、何千分の一、何万分の一の確率で何かが起きた場合は仕方ないと思うしかない。だからこそ、シェルパたちはプジャの祭壇に祈ってから出発し、アイスフォールの危険箇所に差し掛かれば「オムマニペメフム」と祈りを唱えながら歩く。自分の意志を越えた何かに身を任せるほかないからだ。

 その覚悟がなく、なまじアイスフォールについて知識のある者は、恐怖に押しつぶされる。そうやって引き返していった登山者をぼくは二年前から何人も見てきた。マルティニもその一人となった。もちろんマルティニの選択を責めることはできない。何も知らずに、前にいる人のお尻を見ながら盲目的にアイスフォールを渡る無知な登山者のほうが圧倒的に多いのだから。
 
 以下、メモ。

〇キッチンボーイの一人が、てんかんの発作から来る痙攣で、クンデ病院に運ばれた。こちらではそんなにめずらしいことではないという。

〇HIMEXのBCを野口健さんが訪ねてくれたようだが、ぼくは順応で上に上がっていて、留守だった。いつかローツェのC4も掃除してほしい。ローツェのC4もサウスコルに負けず劣らず墓場のような場所だという噂。

〇リエゾンオフィサーがやってきた。エベレストに向かう隊には、必ず一人リエゾンオフィサーが課される。その男は一人でBCにやってきて、隊のBCのどこかに滞在することになっている。リエゾンオフィサー制度は、極地法の時代に作られた悪習で、ほとんど意味のない制度なのだが、今も続いている。ラッセルからも「決してウエルカムな態度で接するな」というお達しが。

〇エベレストは長い。マナスルだったら一ヶ月で登頂なのに、エベレストもローツェもまだまだである。

 今日も一日が終わった。数時間おきにどこかで雪崩の音がする。こうして山も氷河も動いている。生きている。

*写真は、HIMEXのBC近くの池。毎日形が変わっている。氷河もだいぶとけてきた。