グレートヒマラヤトレイルとアマダブラム。 

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9月21日

 朝8時30分、恵比寿のナディフの二階にあるGPギャラリーで、後藤繁雄さんと打ち合わせをする。群馬県川場村で行われる写真のイベントについて。

 10時、千駄ヶ谷の三浦ドルフィンズの低酸素室で高所順応トレーニング。たまたま三浦雄一郎さんとその長女の恵美里さんがいて、ご挨拶。三浦さんは、エベレストBCでお会いしたときと同様、お元気そうだった。

「今度はどこ行くの?」
「アマダブラムです」
「あ、こういうやつね(といって壁をよじ登る動作)」
「はい、そうですね。倉岡さんや平出さんも一緒ですよ」
「そうか〜」
 そんな会話をした。

 ぼくが低酸素室に入ってトレーニングを開始すると、三浦さんがグアバジュースの缶を二本差し入れに持ってきてくれた。優しい方である。ぼくは飲み物を持ってきていなかったので、このグアバジュースがなかったら、低酸素室の中で日干しになっていたかもしれない。三浦さん、ありがとうございます。

 先週富士山にゼロメートルから登ったので、今回のトレーニングは、いきなり標高4000メートルの酸素濃度からはじめた。走ったり、腕立てや腹筋をしてみたりして、自分の身体に負荷をかけ、定期的に息切れ状態にもっていく。3時間で、標高5500メートルまであげたが、問題はなかった。エベレスト、マナスル、ローツェ、その合間にもブータンやらインドやらの高所に身を置いてきた甲斐があって、高所の感覚が身体に染みついてきて、違和感がない。

 左手の人差し指につけたSPO2を計るためのパルスオキシメーターの数値は、自分を息切れ状態にもっていくたびに、70代まで下がるが(通常は100)、いつもの深く速い呼吸を繰り返すと、80後半まで上がる。

 標高5500メートルの状態で、走ったり、腕立てをしたり、クライミングウォールにぶら下がったりして、小さな部屋の中で動きまわる。息切れ状態が続くと頭がぼーっとするが、この標高ではいつものことだ。初めてエベレストBCに着いたとき、あるいはマナスルBCでシェルパとバレーボールをしたときと全く同じ感覚。東京にいながら、ヒマラヤがぼくの中に飛び込んでくる。嬉しい。

 3時間フルに低酸素室に入り、その後、代々木体育館へ。

 13時30分、代々木体育館の近くのレストランで、今回のグレートヒマラヤトレイルとアマダブラム遠征に同行してくれるNHKスタッフと打ち合わせ。チキンカツレツ+ごはん大盛りを食べた。

 これから徐々にこのブログで解説をしていくが、今回ぼくはアマダブラムのノーマルルートではなく、北稜のバリエーションルートを登ろうとしている。非常に難易度が高く、ぼくみたいな一介の写真家で、登山に関しては素人に毛が生えたような者が果たしてそんなルートを登れるのか、少々不安だ。とにかく、アマダブラムに関しては全力を尽くす。それはそれでいい。

 問題は、アマダブラムへのアプローチである。

 アマダブラム登山自体は、いつものHIMEX隊に入って登る。HIMEXでは、ここ最近は毎年アマダブラムに隊を出しているのだが、それはノーマルルートであって、北稜に隊を出すのは初の試みである。そういう隊なので、今回もメンバーに名を連ねているのは、猛者ぞろいだ。生き字引ホーリー女史のところで働いているドイツ人のビリー(8000m峰4座登頂、ヌプツェ無酸素登頂)や中国人のジン(8000m峰7座登頂、ヌプツェ無酸素登頂)をはじめ、事前に送られてきた名簿には知っている友人の名前がいくつもあった。

 で、この隊は、通常通りルクラからエベレスト街道を歩き、ナムチェバザールやクムジュンを通って、アマダブラムBCに入っていく。が、ぼくはルクラからは行かない。東のタプレジュンから「グレートヒマラヤトレイル」を行き、マカルーBCなどを通って、HIMEXのアマダブラム隊に合流する。そして、このアマダブラム隊に合流するまでのアプローチ、すなわち「グレートヒマラヤトレイル」が問題なのだ。

 「グレートヒマラヤトレイル」とは何か。ヒマラヤ山脈が東西に長くのびていることはみなさんもご存じだろう。その南側に、東西に長いヒマラヤ山脈を横断する一本の道が繋がったのだ。「繋がった」と書いたのは、その道が国境付近などを通過することから、部分的に未解放地区に指定されており、今まで外国人が入ることが許されない場所があったからだ。つまり、分断されていて、一気に歩き通すことができなかったのである。

 それが数年前に、繋がった。

 世界にはいくつものロングトレイルがあり、昨今では日本でもトレイルが整備されて、人気が出てきているが、このグレートヒマラヤトレイルに関しては、その長さも難易度もハンパじゃない。間違いなく世界で最も難しいロングトレイルであると言い切ることができる。地元のシェルパ族が世界で初めてこのトレイルを踏破して、ネパールの新聞に掲載されたのがつい最近の話。外国人では、部分的に歩いた人はいるが、踏破した人はもちろん皆無。うまく行けば、160日間で歩き通すことができるという。

 最近になってイギリスからグレートヒマラヤトレイルの地図が何冊かに分かれて出版されたのだが、その地図にも記載されていない、いわば「アッパー・グレートヒマラヤトレイル」が存在しており、今回の旅で、ぼくはそこを通ろうとしている。ロミ族という先住民が暮らしていて、その村を訪ねたいからだ。日本人でその地域に入った人はいない。もし「私は行ったことがある」という人がいたら、是非情報を教えてほしい。近隣の地域出身のシェルパが一緒に来てくれるのだが、彼もそのあたりを通過したことはなく、どんな道なのか、それ以前に果たして道と言えるようなトレイルが存在しているのかも不明。ロミ族の村を通過すると、その先はアマダブラムまで一週間近く無人の荒野で、わずかにカルカ(ヤクなどの放牧場)の跡があるかどうか、という場所らしい。

 そのルート上には、5000mの峠ならまだしも、6000mの峠を越える場所がある。しかし、6000m越えは、果たして「峠越え」と言えるだろうか?その場合、当然、アイゼン・ピッケルが必要で、時にはフィックスロープを張る必要も出てくる。グレートヒマラヤトレイルの中でも最難関にあたる地域を、今回ぼくは行こうとしている。事前に調べた情報によれば、6000mの峠を2つか3つ越える。恐ろしい。「6000mの峠を越える」と書けばたやすいが、要は6000mの山を連続で2つ3つ登るのと同じである。そして、最後に待っているのがアマダブラムの北稜だ…。

 とにかく、すべては行ってみないとわからない。今まで書いてきたことも、机上で収集可能な範囲の情報であって、行ってみたら違うかもしれない。書物やインターネット上に書かれたことが世界のすべてではないという当然のことを思い知らせてくれる場所が存在し、自分の目でそれを確かめに行けることは、至上の喜びである。

 未知のグレートヒマラヤトレイルからのアマダブラム北稜を目指す旅は、これまでヒマラヤ通いを続けてきた自分の総仕上げとなるだろう。たしか、ローツェに行く前もそんなことを書いた気がするが・・・、まあいい。色々な意味で、今度こそ本当の総仕上げになるはずだ。

 というわけで、日記に戻る。代々木でNHKチームと打ち合わせを終え、四ッ谷のルノアールへ。

 15時から、平凡社のSさんと、フリー編集者で最近は作家でもある畑中さんと打ち合わせ。ルノアールの会議室を借り切って、宮本常一の写真を片っ端から見る。数日前に訪ねた小値賀島の写真がいくつもあって、思わずページをめくる手が止まった。写真は記録である。そのような世界が在った、ということを証明してくれる無二の記録であること以外にどんな価値があるというのだろう。撮って撮って、撮りまくれ。それしかない。

 17時、ルノアールでの打ち合わせを終え、東京アートブックフェアへ。たくさんの人で賑わっていて、びっくりする。こんなに本好きがいるのに、なぜ出版業界はふるわないのか疑問だ。

 18時、アイヴァンとトークをして、写真集にサインをした。50冊も売れて、ありがたい。買っていただいた皆さん、どうもありがとうございました。

 20時、原宿のノースフェイスへ。アマダブラムの装備で足りないものを選ぶ。

 21時、学芸大学駅近くの沖縄そば屋で、沖縄そばを食べる。紅ショウガを山盛り入れすぎて、汁が酸っぱくなった…。

 22時、帰宅。急いでイタリア取材のための荷物をパッキング。時間がなさすぎて、パニック状態。

 23時、家を出て、羽田空港へ。最近は、成田ではなく羽田から国際線がバンバン飛ぶようになって便利になった。

 23時40分、羽田空港着、チェックイン、パリ行きのJAL便。ぼくは国際線でも出発時間の2時間前に行くことはない。いつも1時間前。

 パスポートはすでに出入国スタンプでいっぱいになって増ページしてもらっており(パスポートはそういうことができるのだ)、通常の倍の80ページ強になっている。が、それでも残り1ページしかなくなってしまった。
 思えば世界中の色々なところに行ったものだ。出国カウンターの係官に、新しいページにスタンプを押さずに、古いページのあいているスペースにスタンプを押してください、とお願いすると快く了解してくれた。
 
 深夜0時40分、パリに向かって飛行機が離陸。

 長い一日が終わろうとしている。12時間のフライトの末、パリで乗り換えて、イタリアのベネチアへ。これはその機内で書いた。

*写真は、パリのシャルルドゴール空港にて。乗り継ぎ待ちをしているあいだ、文學界10月号を読んでいるのだが、柄谷行人さんの「遊動論−山人と柳田国男」が面白い。寺尾紗穂さんのカラスのエッセイも発見。ぼく自身もさっさと原稿を書かねば・・・。