13年ぶりの、西蔵・ラサより。 

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12月29日

 中国の成都から、およそ2時間のフライトを経て、チベットのラサに到着した。ラサの標高は3600メートルなので、エベレスト街道のナムチェバザールよりも少し高く、富士山頂上よりも少し低い。

 ラサの空港には、ガイドのおじさんが迎えに来てくれていた。彼は東チベット生まれのチベット人で、もちろん名前も聞いたのだが、覚える前に失念した……。明日もう一度聞いてみよう。

 2001年4月、チョモランマに登るため、ラサに入った。あの日の記憶が徐々によみがえってくる。ぼくを含めたHIMEX隊の面々は、空港からバスでラサ市街へ向かったはずだ。今回はランクルで向かう。乾燥した大地に岩山が連なり、畑を貫く一本道に、早くもヤクの列を見かけた。このような風景のなかをあのときも通ったような気がするが、あきらかに異なるのは、その先に線路が見えることだろう。13年前にはなかった鉄道が開通している。

 中国政府がダムなどの発電設備を作りまくったがゆえに、川の水量がだいぶ減ったんだ、とガイドが言った。中国全土と比較しても随一の良質なセメントがとれるそうで、付近にはセメント工場も多い。

 彼に、2001年にチョモランマに登ったことを伝えると、嬉しそうな笑顔を浮かべた。「13年前と今では、だいぶ変わったでしょ?」というガイドの言葉に、ぼくは大きくうなずく。

 「エベレストに初登頂したのは、ヒラリーではなく、チベット人のテンジンだよ」と彼は言う。「テンジンが最初に登頂して、ヒラリーの手を掴んで引っ張り上げたんだ」と。「ヒラリーとテンジン、どちらが最初に頂に立ったのか、なんて誰にもわからないよね。ぼくはテンジンが初登頂者だと信じてる」と彼は冗談か本気かわからないような笑みを浮かべて言うのだった。そんな話を車内で聞きながら、なんだかこのガイドに好感をもった。

 チベットでは、中国の警官や兵士に絶対カメラを向けてはいけないよ、と彼は口を酸っぱくしてぼくに忠告した。「さもないと、厄介なことに巻き込まれることになるからね」と。それは13年前から承知しているつもりだ。

 ラサの市街に近づくと、徐々に人の数が増えていく。冬場は、お祈りをするためにラサを訪れるチベット人が多いのだ。車の多い車道の脇で五体投地をしている青年を見つけて、ああチベットに来たんだな、と思う。

 ジョカンというお寺の近くにある、老舗のヤクホテルに泊まることに決めた。事前の予約はしていなかったが、部屋はすぐにとれた。ぼくが「ヤクホテルに泊まりたい」というと、ガイドの彼は「ああ、あそこはいい。ラサで最も歴史があるし、ジョカンにも近いしね」とすぐに同意してくれた。

 ホテルの隣にあるレストランで、太麺のチョウメン(ヤキソバ)を昼食に食べ、午後からジョカンへ。広場の入口に検問ができていたが、それ以外は昔と変わっていない。ジョカンの前では以前と変わらず五体投地をしている人々が大勢いた。

 ジョカンのまわりはバルコルと呼ばれる八角形の通路になっていて、土産物を売る店が建ち並んでいる。ぼくは野良犬の写真などを撮りながら、ジョカンのまわりを二周した。アマダブラムでの順応が体に残っていることを願っていたのだが、だいぶ薄れてしまったようだ。体が重い。

 ジョカンの屋上にあがって、写真を撮った。遠くにポタラ宮が見える。このあたりの風景で最も変わったのは、中国の旗がそこら中にはためいていることである。ああいいな、と思って三脚を構えると、必ず中国の旗がファインダーに入ってきて、閉口する。そんなに主張しなくてもいいでしょう、と思ってしまう。公安の兵士がビルの屋上に転々と座っており、常に見張りをしているのも気になった。

 夕食はヤクホテルの向かいにあるレストランで。瀟洒なバーやレストランが随分と増えたものだ。そして、理由は不明だが、なぜか日が長い。冬至を過ぎたばかりなのに、なぜこんなに日が長いのだろう。19時30分を過ぎても、遠くの空が明るいのである。緯度のせいだろうか。

 夜の街を歩きながら、再びラサを訪ねられた喜びを実感している。
 本当に嬉しい。

*写真は、ジョカン寺の屋上から。五体投地をしている巡礼者たちの姿が見える。懐かしい風景だ。