少々絶望的な状況……。

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7月24日
BC

 昨晩、隣のテントのアレックが、また家族に衛星電話をかけていた。
「朝は毎日パンケーキを食べてる。ベーコンとかは出ないんだ。K2でまた雪崩があったよ。天気が悪くてしばらくBCに缶詰だ」とかなんとか。

 そう、ここはイスラム圏なので、食事にベーコンは出ない。ハムも出ない。豚汁なんてありえない。街から遠く離れたこんな山中でも、パキスタン人のスタッフが食事を作る以上、カリカリに焼いたベーコンは逆立ちしても出てこないのである。

 朝、毎日毎日シリアルとパンケーキと目玉焼きを食べ続け、ついに「毎日同じものを食べ続けてるけど、これってどうなの?」と不満の声があがった。ドイツ人のハーバートがぶつくさ言い始めたのだった。ぼくは毎日パンケーキでもよかったが、言われてみれば、毎日寸分違わず同じものを食べている気がする。それに加えて、粉末ジュースのTANGというやつを毎日のように飲むのだが、その袋の中に青虫が混入していたことが判明し、そんなことも手伝ってハーバートがぶつくさ文句を言い始めたのだった。日本でもペヤングにゴキブリが入っている時代である。パキスタンの食料に青虫ごときが入っていてもまったく驚かない。むしろ当然入ってるだろうとさえ思う。何万分の一の確率とかではなく、10袋買ったら1袋に青虫とかアリみたいなのが入っていたって、パキスタンやネパールだったらおかしくないだろう。そんなものはつまみだして気にせず食べればいい。

 が、ともかくハーバートの不平は何となくメンバー全員にうっすらと共有されており、その空気を受けてラッセルが、やんわりとキッチンに何事か伝えたらしい。そして、今日の朝は、ついにパンケーキではなく、ジャガイモとソーセージの炒め物とパンが出たのである。さらに昼食は、揚げパンの中にチョコクリームらしきものが入っている謎の一手間かけたパンと、豆サラダが出た。いつもと異なるメニューで、ちょっとだけ工夫されている。

 そんな些細なことに一喜一憂している、おれたちは何なんだ、と思う。単調でシンプルな日々のなかにあると、ちょっとした変化にありがたみを覚えてしまう。

 朝食後、ブロードピークBC方面へ撮影に出かけた。ブロードピークABC(=取り付き)までいつもここから氷河を越えてダイレクトに行ってしまうので、ブロードピークのBCにはまだ行ったことがない。

 というわけでモレーンを歩いて撮影散歩に出た。今日は小さなウィンドウが開く日だから、K2にもブロードピークにも雲がかかっていない。撮影にはもってこいである。

 モレーン上をうろうろしていると、昨日頭の傷を縫ったニュージーランド人たちがブロードピークBCへと帰っているところに遭遇した。表情は明るい。「元気でね」と声をかけると、にっこりと笑って「ありがとね」と。よかったな、と思う。

 モレーン上で写真を撮りまくり、昼食前にはBCに戻った。本題はここからだ。ベーコンもモレーン歩きも、はっきりいってどうでもいい。

 サミットプッシュに入っていたマイクホーン隊が、キャンプ3で引き返したことを知る。二度目のプッシュはしないで、帰国するとのこと。彼らの遠征は終わった。

 15時、マイクホーンたちがK2のBCに戻り、上の方での状況を報告しにHIMEXのダイニングテントまで来てくれた。シェルパを含め、ぼくたちメンバーも全員がダイニングテントに集まった。

 マイクが話してくれたのは、絶望的な状況だった。マイクホーン、山岳ガイドのフレッド、コビー、その三人がいわゆるマイクホーン隊である。他にアルパインスタイルのスペイン人3名(?)、ソロのチェコ人1名、あわせて7人がサミットプッシュに入った。

 あらかじめ説明しておきたいのは、この人たち、素人ではない。スペイン人の実力はよくわからないが、まずソロのチェコ人、クソ強い。キャンプ3までほぼフリーで一気に登ってしまう。もしかして有名なクライマーなのかもしれないが、そんな素振りはまったく見せない穏やかな男。

 マイクホーンもキャンプ3までは、ハーネスも付けずにフリーでガツガツ登ってしまう。フレッドもコビーも然り。マイクホーン隊の3人とソロのチェコ人は、8000メートル峰を少なくとも5つほど、無酸素で登っている。マイクホーン自身は、今回でK2は四回目の挑戦。マイクホーンをして、そんなにまでしても登れない山が、K2ということだ。

 ともかく、そうした実力をもった強い彼らがキャンプ3から少し上がっただけで引き返してきてしまった。なぜか。

 キャンプ1までは問題ないそうだが、キャンプ1より上が劇的に変わってしまったという。まずフィックスロープがすべて氷の中に埋まって使えないとのこと。雪面が、この一週間かそこからのあいだにすべて氷になってしまったようだ。フィックスもなく、足下が雪ではなく氷だとしたら、格段に難しくなるのは言うまでもない。

 次にぼくも前に言及したいやらしいトラバース。そこにもう雪がなくなり、数センチの薄氷がついているだけでアイゼンが効かないらしい。トラバースのフィックスロープも、もっときつめに張り直さないと意味がない状態だ、と。足をおいた先から岩が崩れる、とも言っていた。

 そしてキャンプ3より上。決して誇張ではなく、雪が腰上まであって、とてもじゃないが進めない、と。「酸素を吸った20人のシェルパがいたらともかく、おれたちは無理だった」とマイクは言った。

 これはちょっと厳しいかもしれない……。彼らの話を聞いて、口には出さなかったが、誰もがそう思った。時間が解決する問題でもない。好天周期がきたとしても、C1より上のロープが氷に埋まっているとしたら再び張り直さなければいけない。が、そんな時間もないし、ロープ自体も足りない。

 C3にはすでにダウンのワンピースや酸素ボンベなど、もろもろ道具を荷揚げしており、今の状態ではそれさえも取りに上がれない。

 マイクホーンの報告後、ダイニングテントには沈鬱な空気に満たされた。「今季、K2は厳しいかもしれない……」。みんながそう思っている。ラッセルの表情もまた険しい。キャンプ3には寝袋、ボンベ、コッヘル、ストーブ、マット、テント、ロープ、登攀器具などなどもろもろ荷揚げしており、もし取りに行けなかったら、隊としては数百万円の損害となる。

 南南東リブからアブルッツィ稜にルート変更は可能か。そんな話も出た。リエゾンオフィサーは「たぶん大丈夫だ」という。が、そうしたとしてもほとんど状況は変わらない。セブンサミッツ隊のC1のデポが雪崩でうまり、多くの荷物が失われた、と情報が入っている。またガレット・マディソン隊のシェルパが落石で骨折したという情報も入っている。アブルッツィ稜はアブルッツィ稜で、まったく進んでおらず、それどころかなかなか深刻な状況のようだ。

 さて、マイクホーンたち撤退の報を受けて、ぼくたちは今後、どのような舵取りをするのか。8月19日前後の飛行機で帰るので、帰途を逆算すると、8月10日頃まではギリギリ登山を続けられる。

 泣く泣くK2をあきらめてブロードピークにしぼるか。そうしたとしても、K2のC3に荷揚げした装備の問題や、ブロードピークのパーミッションをもたないメンバーはどうするか、など問題は山積だ。

 好天周期を待ち続けるうちに、もしかしたら奇跡的になんらかの活路が見いだされるかもしれない。ラッセルが難しい顔をして考えを巡らせている。時間は限られているが、まだある。

 HIMEXのK2遠征は、いま、岐路に立たされている。

*写真は、ダイニングテント内で撤退の報告をするマイクホーン(左)。立っているのはシェルパのラチュー(真ん中)。右は、聞き役のラッセル・ブライス。写真が赤いのは、ダイニングテントが赤いからです……。