『垂壁のかなたへ』スティーヴ・ハウス(著)、海津正彦(訳) 

  • 『垂壁のかなたへ』
  • スティーヴ・ハウス(著)、海津正彦(訳)
  • 白水社


わたしは刹那的な陶酔を得るために登っているのではない。わたしが好きなのは、クライミングのあとに訪れる明るく穏やかな気持ち——頭の中のもやもやしたものが磨き落とされた、あの状態なのだ。だが、そう言っただけでは、首尾よく終わった登攀体験が、どうして何日も、何カ月も、何年も、ときに一生心に残るのか、説明したことにはならない。
わたしは同時に、存在の証しが欲しくて仕方がないのだ。三島由紀夫に次のような主旨の記述がある。「リンゴの芯は存在しても、それを外から見ることはできない。芯の存在を証明する唯一の方法は、リンゴを切ることである。リンゴにしろ、血を流して死んだときに初めて、芯の存在を確認することになる」。わたしは数知れぬ回数の登攀を通じて、この比喩としてのリンゴを切ってきたのだ。

P361 7行目~

登山の体験を語るにあたって三島を引用することについて、個人的にはあまり共感しないのだが、「明るく穏やかな気持ち――頭の中のもやもやしたものが磨き落とされた、あの状態」ということについては、わかる。今回の遠征で、ぼくは何を感じることになるのだろう。



行動はメッセージ。成功はどの過程にある。

P360 4行目〜