『類推の山』ルネ・ドーマル 

  • 『類推の山』
  • ルネ・ドーマル(著)/巌谷国士(訳)
  • 河出文庫


「ある山が<類推の山>の役割を演じることができるためには」と私は結論していた。「自然によってつくられたありのままの人間にとって、その峰は近づきがたく、だがその麓は近づきうるのでなければならない。それは唯一であり、地理学的に実在しているはずだ。不可視のものの門は可視でならなければならない。」
 こんなふうに私は書いたのだった。じっさい私の記事を文字どおりにとれば、私はこの地表のどこかにエヴェレスト山よりもはるかに高いひとつの山が実在するのを信じている、ということになって、これはいわゆる分別のある人から見ればばかげたことだった。

P16 うしろから3行目~

シュールレアリストが書いた荒唐無稽な本かと思ったが、案外面白かった。というか、登攀記などよりもよっぽど面白い本である。



どうやら、と私はいったものだった、高山というのは、たとえば海や森とくらべて、幻想的な伝説がずっと少ないように思えるのですが、と。カールが彼なりにそのことを説明した。「高い山に幻想のための場所がないのは」と彼はいった。「そこでは現実自体が、人間に想像できるどんなものよりもすばらしいからです。地の精、巨人、七頭蛇、幻獣カトブレパスといったものをいくら夢想したって、氷河——それもいちばん小さな氷河にすら、まともに対抗できるものではありません。……(略)


この本、かなり面白い。筋書きは置いておくとして、上記の場面は納得できる。高山、高峰、特に8000メートル峰の現実は、人間の想像を凌駕する。ヒマラヤは驚きに溢れている。だから、一度行くと、クセになってしまうのだ。



私はそのまま進んで、勝手口の階段を五階までのぼると、とある窓のそばに、こんな掲示が貼られているのを見つけた。
「ピエール・ソゴル、登山教授。講義は木曜と日曜の七時から十一時まで。入りかた——窓から外へ出て、左手のバンドを進み、チムニーを登攀し、岩庇の上でひとやすみしてから、風化片岩の斜面をのぼり、ジャンダルムをいくつか迂回しながら、痩尾根を北から南へとたどって、東斜面の天窓からお入りください。」
 階段はちゃんと六階までつづいているのだが、私はこの酔狂にとろこんで応じた。



空中はるかに高くはるかに遠く、いよいよ高まる峰といよいよ白む雪の環を幾重にも越えたかなたに、眼に耐えられぬ眩☆をまとい、光の過剰ゆえに不可視のまま、<類推の山>の絶頂はそびえたっているのだ。「かしこ、こよなく細い針よりも尖った頂には、なべての空間をみたす者のみがおわす。かしこに高く、ものみな凍る極微の待機のうちには、こよなく硬い結晶のみが生きまさる。かしこに高く、ものみな燃えさかる天の火のさなかには、絶えざる白熱のみが生きまさる。かしこ、万物の中心には、なべてのものを、はじめにもおわりにも完成された姿に見る者がおわす。」かしこに高く、山びとたちはこう歌っている。そのとおりなのだ。