『ヒマラヤを駆け抜けた男 山田昇の青春譜』佐瀬 稔 

  • 『ヒマラヤを駆け抜けた男 山田昇の青春譜』
  • 佐瀬 稔
  • 中公文庫


 アタック・キャンプをひとたび出ると、一人一人が自分の生存作業に集中する。共倒れをおそれて、ザイルで結び合わない。徹底的に自分自身の登り方で登り、行動する。死の匂いが濃密にたちこめる頂上で、パートナーがやってくるのを待つ、などというセンチメンタルな儀式は行わない。
 自分で自分の面倒を見きれない者は、ヒマラヤに行く資格がない。行く以上は、自分の命の面倒は自分一人でみる。みんなそれをやれるのだから、隣にいる者の面倒を他人が見る必要はない。ヒマラヤン・サバイバルのルールである。
 だが、山田はそのルールを超えた。自分自身が生きるか死ぬかの瀬戸際にいながら、他人のために酸素ボンベを背負う作業までおのれに強いた。ごく当然のこととしてだ。このとき、山田は三十三歳、尾崎は三十一歳。
 平地でのやさしさは、湿っている。八〇〇〇メートルの高さにあっては、湿ったやさしさはたちどころに凍結する。凍結を逃れるには、やさしさの持ち主自身が、烈風の咆哮、ナイフ・リッジの崩落などなど、地獄の矢弾が飛びかうなか、氷のように冷静でいなければならない。そういう不思議な作業が、山田昇という人物には可能だった。

P189 8行目~

研ぎ澄まされた文章だと思う。ぼくはいま35歳。当時の山田さんや尾崎さんの年齢をこえてしまった。この頃の日本の登山家は本当にすごい。凄まじい。