『シェルパ―ヒマラヤの栄光と死』根深 誠 

  • 『シェルパ―ヒマラヤの栄光と死』
  • 根深 誠
  • 中公文庫


このパサン・プタールもまたタイガー・メダルの保有者である。彼は一九五二年・スイス隊、翌五三年・イギリス隊、そして六三年・アメリカ隊(N・ディーレンファース隊長)のエヴェレスト遠征に加わっている。この間、サウス・コルまで八回登ったという。
「スイス隊のとき、サウス・コルに残したテントをもらって帰り、三十数枚のブラウスをつくりました。…」

P196 11行目~

テントの生地でブラウス!老いた熟練シェルパたちの聞き書きは、もっと残されて然るべきだろう。



ナムチェ在住のパサン・プタール(ダージリン在住のパサン・プタールとは別人)はこう語る。
「エヴェレスト登頂後、エヴェレストやシェルパの名前が世界中に知られました。わたしたちはとてもそのことを喜びました。それまでわたしたちの地方は貧しくて暗い世界だったのです。人びとは動物とほとんど変らない生活をしていました。その後、ヒラリーのおかげでクムジュンに学校ができ、クンデに病院もできました。子供たちのためにも村びとのためにもとってもよかったと思います。村は明るくなりました。ヒラリーに感謝しています」


ここクンブー地方では、ヒラリー卿は英雄である。谷で唯一の学校、ヒラリースクールには子どもたちが通い、クンデの病院は村の人々に頼られている。ただ、本当にクンブーは「貧しくて、暗い世界」だったのか。その先にある、豊かで明るい世界が、先進国のことだとしたら、彼は思い違いをしているかもしれない。もっともっとぼくはシェルパと話し、彼らのことを深く知りたい。