• 20090821

    石川直樹連続トークセッションvol.3 その2

 
5月15日にジュンク堂書店新宿店で行われた、文筆家・大竹昭子さんをゲストに迎えての石川直樹連続トークセッションvol.3。

 
話は“山”が持つ意味や、富士山の特異性など、興味深い方向へ進みます。
 
 
 

第2回 「“山”が持つ意味」

 
大竹:写真集『Mt.Fuji』を見てもう一つ思ったのは、富士講とか、富士山のふもとの富士吉田のお祭りとか、そういうものに目を向けてますよね。
 
石川:最後の方に出てくるお祭りの写真ですね。
 
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富士山のふもと、富士吉田のお祭り。中央に富士山の形をした赤い御輿が見える。(写真集『Mt.Fuji』より)
 
大竹:石川さんというと、世界中各地を冒険して、ほかの人がしたことのないことを体験して歩く人という印象が強かったけど、あるときから、そこに民俗学的、人類学的な興味が加わってきたと思うんです。それはいつ頃からなのかなというのと、それと写真集『Mt.Fuji』とは関係があるのだろうかと思ったんですけど。
 
石川:人があまり行かないような場所に行くときに参考になるのは、民俗学者や人類学者の日誌や記録です。ガイドブックに載っていないようなところ、つまり事前の情報が少ない場所ほど当然ながら目新しい世界が広がっているわけで、僕はそうした未知の場所を自分の目で見てみたい、と子どもの頃から思っていました。民俗学や人類学関係の論文からしか情報が得られないような場所はまだまだあって、研究者っていうのは凄いな、普通の旅人以上に奥まで入り込んでいくんだなあ、と憧れを感じていたんです。
 
大竹:じゃあ、本から入っていったんだ、最初に。
 
石川:本からだと思いますね。
 
大竹:それ、いくつぐらいのときからですか?
 
石川:10代の後半ぐらいから探検記や冒険記はすごく読んでいたし、その中に描かれているさまざまな未知との遭遇に、いつもワクワクしていたんです。
 
大竹:民俗学も読んでいたわけ? 10代のときに?
 
石川:そうですね、10代、特に大学に入ったくらいからですかね。
レヴィ=ストロース(クロード・レヴィ=ストロース、フランスの社会人類学者、思想家)や、日本だったら宮本常一(民俗学者)さんとか、手当たり次第に読みました。ただ奥地に入って行くだけじゃなくて、そこに暮らしている人たちと話をして、物語や伝説や神話、そういったものの裏付けをしていく。いろいろな事象が繋がっていって、そうした本を読むと、今まで見えていなかった世界の細部が見えてくる気がしたんです。
僕が肉体的に旅を続ける一方で、“辺境”などと呼ばれる場所には、そこから一歩も動かないにも拘わらず、伝説や神話を自分の中に持つことによって、精神の中で旅をしている人たちがいる。そうした人間の営み自体に興味があったし、民俗学や人類学は旅と相性がよかった。そういった部分から、興味を持ちはじめたんです。
 
大竹:日本の山の大きな特徴というと、山そのものが信仰の対象になっていて、しかも霊山の場合は頂に社があって、ということが多いですよね。富士山の山頂にも建っていて、この写真集にも出てくるけど、風が吹いたら吹き飛ばされそうな小さな弱々しい鳥居がいっぱいありますよね。
 
石川:ありますね。
 
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富士山の山頂付近にある、風が吹いたら吹き飛ばされそうな、たくさんの鳥居。(写真集『Mt.Fuji』より)
 
大竹:こういうのは、10代の頃に登っていたときは、ただ「あぁ鳥居だな」みたいな感じで、それほど意識に上らなくて、だんだんとそういう(民俗学や人類学のような)視点が生まれてきたってこと?
 
石川:頂上までこんな必死に登ってやっと着いたところに鳥居が建ててあって、こういうのを見たときに、そこにある人の思いみたいなものの源泉を知りたくなってしまう。富士山は頂上付近にもいろんなものがありますけれど、例えば麓の風穴にも人の痕跡があります。疑問に思ったこと、興味をもったことを一つずつ調べていくと結局そういった(民俗学や人類学のような)視点が作られてしまう。
 
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富士山のふもとに広がる樹海。富士山は、「登る山」のほかにもいろいろな顔を見せる。(写真集『Mt.Fuji』より)
 
石川:山と人間との関係を探っているときに、麓のお祭りなんかは、どうしても避けて通れないな、という風に感じましたし。
 
大竹:そうするとね、海外の密林や奥地、要するに人があまり行かないところに行けば、当然そこに暮らす人々は、自然とそのような信仰の関わりをもっていますよね? 奥地に行けば行くほど自然への崇拝の度合いは強いですよね。
 
石川:強いですね。
 
大竹:やっぱり海外に行ったことから、そういう視点が生まれて、富士山も見るようになったんですか?
 
石川:それもありますよね。
(富士吉田の)火祭りみたいなものは世界でもあまり例がないし、これはいったいなんなんだ、と知りたくなりました。だって富士山の形をしたお御輿を担いだり、町中が火に包まれたりするんですよ。
僕は熊野へも通っていたので、また異なる火祭りは見ていたんです。でも、いつも登っている山の身近にはこんなものがあるのか、とびっくりしました。
 
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富士山のふもと、富士吉田は、お祭りのとき町中が火に包まれる。(写真集『Mt.Fuji』より)
 
大竹:そうすると、やはり最初のきっかけは海外で、その視点を介して自分の足元のものを発見してきたような感じなのかなあ。私自身はそうだったけど。
 
石川:僕も似たような感じだと思います。
世界中の山を見ていくと、富士山はけっこう特殊だということが分かる。海からもそびえ立つ独立峰って実はほとんどないんですよ。海からグワーってせり上がっていて、海越しにこんな三角形の山の形が見えるところはそうそうない。僕らはそうした富士山に慣れ過ぎちゃって、富士山はああいうもんだというイメージがこびりついているけど、実はすごく美しいフォルムをした面白い山なんです。
 
大竹:そうね。彼らが「Mt.Fuji!」「Fujiyama!」って大騒ぎするのも当然。例えば、ハワイ島のマウナケア山とかはダラ~っとしてるでしょ。3000メートル級だし、島の中心の山だから、もっと独立峰のかっこいい山かと思って行ったんだけど、溶けたアイスクリームみたいに、どこが頂上なのか分からないくらいにしまりがないんですよ。だから、そういう山を見ると逆に、富士山が特殊な山なのが分かりますよね。
 
石川:ハワイ島もそうだし、例えば、エベレストもそうですよね。エベレストは世界で一番高い山だって誰もが知ってるけど、その山影を思い浮かべてくださいって言ったときに、すぐに浮かびますかね?
 
大竹:え? こうギザギザ……くらいの感じ?
 
石川:エベレストは、きれいな三角形の山じゃないんですよ。ギザギザしたヒマラヤ山脈の一角にあって、形を思い出しにくい。だから山影を、富士山ほどはっきりとイメージできないんです。日本に暮らす人なら誰しもが山影を思い浮かべることができる富士山は、特異だと思いますね。
 
大竹:たぶん日本の場合、崇拝の対象になっていった山は、山影がはっきりしてる山じゃないですか。
 
石川:そうかもしれないですね。
 
大竹:例えば、剣岳なんかは、信仰の対象にはなってないじゃないですか。近くまで行かないと山の形が見えない。遠くからちょこっと見たってねえ、どうってことないでしょう。生活の場所から仰ぎ見ることのできる山だからこそ、厳かな気持ちになったんだと思う。
 
石川:青森の岩木山とか、そうですね。
 
大竹:そうですね。だから、やはり山の形が重要ですね。弟が長野の穂高の方に住んでいるんですけど、そこに有明山っていう山があるんです。奥には穂高山や有名な万年雪の山がいっぱいあるんだけど、その手前に、本当におにぎりのように、バカッと型にはめ込んだように山影の山が見えるんです。高さは大したことないけど、登ると意外と大変らしい。たしかに見ただけで頭を下げたくなるような、異様な感じの山で、信仰の対象になってます。
 
石川:昔の人は、でっかくて動かない自然の造形物を精神的な拠り所にしていました。それが聖地して信仰の対象になっていったわけですが、富士山なんかはまさにそうですね。
 
大竹:だって普段は忘れているけど、日本は80パーセントくらいが山ですよね。
以前、お正月の頃に海外から帰ってきて、飛行機で日本の上空を飛んだことがあったんですけど、びっくりしました。お正月だから空がクリアで、眼下にどこまでも襞を寄せたような山並みがつづいていて、雲ひとつなくてすべてが丸見えで、私はこんな国に住んでいるのかって思って。そんな山国のほんの小さな平野部に人が密集しているのが日本ですよね。
 
石川:空から見ると、結構ドキドキしますよね。僕はいつも窓側の席で離陸直後と、着陸直前の大地を眺めるのが本当に好きなんです。
 
 
富士山をはじめ、日本の山々の美しくも特異な姿、そして山頂に立つ社や鳥居……これも「山に登ること」の、ある一つの意味を表している光景なんですね。
次回「vol.3 その3」では、今回のトークセッションの目玉でもあった“朗読”の模様をお伝えします。石川さんの意外な? 一面も……。
続きをお楽しみに。
 


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