第13回:日常を走る、人生を走る

2010年03月08日

 猛然と走りたくなるような衝動は、誰もが経験するものです。
 僕は子どもの頃から白い筋肉が多かったためか、瞬発的な走りには自信がありました。とにかく逃げ足が速かったのです。その分、中学校くらいから行う長距離走(10キロくらい)は苦手で、バテまくりでありました。
 さらに遡ると、遠足や家族旅行で広い高原などに連れて行ってもらうと、縦横無尽に走り続けたものです。今気づきましたが、小さな頃からサッカーが好きだったのは、ボールを蹴るという行為よりも、それ以上に「うりゃー」と広場をただ走り回りたかっただけなのかもしれません。
 でも最近、自分がそれほど猛然と走ってみたり、猛然と走ったりしている人を見かけたりしません。もちろん、競技場などでは秒数を競い合うために走ったりしますが、あれは特殊なケースです。ひと昔前の青春ドラマにありがちな「みんな! 走ろうか!」なんていうセリフは、今となっては死語に近いかもしれません。
 そもそも、「走る」目的はなんだったんでしょう。動物を観察して予想されるのは、獲物を捕らえるため。また逆に、捕食者から逃げ切るために走ったと思われます。小学校の頃読んだ本に、「アフリカのどこかしこの部族は、走りながら用を足すらしい」とあったのですが、それは用を足そうとしている瞬間が最も人命として危険にさらされているから、ということらしいです。うる覚えではありますが。現代社会でトイレが個別になったのは、そんな理由も考えられます。まあどちらにせよ、我々は本来の走る目的を見失ってしまったのかもしれません。
もう一つ空想であります。もし我々人間が1、2時間走り続けても、乳酸も溜まらず、息が上がることもなくいられたとしたらどうでしょう。街中で人々は常に走り続けていて、もしかすると電車も自動車も発展が遅れ、東京―箱根間くらいは走って家族旅行。会社でも「10分遅刻します」とか言いながら、3キロ先から何食わぬ顔して走ってくる、なんてことが起こるかもしれません。
 そう考えると、適度にくたばってしまう人間の非力は少しありがたいのかもしれません。「人は歩く、そして時々走る」という現在の姿はステキなのであります。
 ところで、最近のランニングブームは、高橋尚子さんの効用が大きいと思います。テレビで何度も彼女の走る姿を観ましたが、あんなに気持ち良さそうに走る日本人はいません。すばらしいと思います。あんなに気持ちよく走れたら、人生も気持ちよく走れそうです。東京マラソンなど市民マラソンに参加される方の多くは実に楽しそうに走っていますが、ちゃんと人生を走っているのでしょう。
 ニンゲンの走る姿は(シルエットでも)、日常の動きの中でもスペシャルなものだと思います。それは、「生命感」が溢れているから。大袈裟に言えば、「走る」ことを忘れてしまったら、ニンゲンおしまいです。誰もが徐々に訪れる老化には勝てませんが、走ることは生きることに前向きな証拠なのかもしれません。年齢を増した方でも、「次はどこで走ろうか!」と企んでいる人はたくさんいるのです。
 僕もそんなおじいちゃん、おばあちゃんを見習って、そして今の時代なので、「いつも走ってます」ではなく、「時々走ってます」と言えるようになりたいものです。 

プロフィール

近藤良平

東京生まれ、ペルー、チリ、アルゼンチン育ち。振付家・ダンサー。男性のみ学ラン姿でダンス・映像・コントなどを展開する舞台で人気のダンスカンパニー「コンドルズ」主宰。
アジア、中南米をはじめ数多くの海外公演もこなす。第四回朝日舞台芸術賞・寺山修司賞を受賞。テレビやミュージシャンのPVなどで振付家として活躍する一方、横浜国立大学、立教大学などで非常勤講師としてダンスの指導もしている。また、NODA・MAP公演『THE BEE』で役者としてデビュー。バンド「THE CONDORS」ではベースを担当。

ひとこと・ふたこと