第25回:愛と冒険 第一部

2011年06月03日

 1977年夏、大阪。
 部屋に一つしかない窓を開けて昼ごはんを食べていました。ムスメ4歳がムスコ2歳の茶碗にタクアンを「食べ」と載せる。タクアン、干物の身をむしったやつ、白菜の漬物、少し粒の膨らんだ冷ごはん。私は昼ごはんが好きです。朝ごはんのような勢いや、夜ごはんのような緊張が無くて、楽です。窓から涼しい風が入っていました。珍しい。気持ちがいい。窓からおじさんとおばさんのケンカする声も入ってきました。
≪お前が俺を腐らせたんじゃ!≫
≪はじめっから腐っとったやろー≫
珍しくないし、気持ちのいいものではないけれど、アパートの2階から常に吹く風、どこ吹く風。昼ごはんは、楽。余裕が私に「オペラみたいやね」とシャクシャクとした例えを言わせました。ムスメとムスコは「オペラって何?」「今度聞かすわ。」と私。オペラなぞ聞いた事ありゃしません。なんとなく想像出来る程度にはどういうものか知っていますが、所詮遠い外国の話、知っても知った気になるだけで空しい知識になるだけであろう、と聞く気もしませんでした。
≪俺出ていくからなー。もう一緒におったらん≫
≪エエよー。でもこんなくっさいハゲ私以外誰も入れてくれへんでー≫
≪ハゲやと?!このブタ!デブブタ!≫
≪あーハイハイ、ブタやでー。早よ出てってやハゲー≫
ムスメとムスコが聞いてクスクス笑っていました。これがオペラや、と思って育ったら嫌なので、自分で撒いた種ですが、レコードを買って3人でオペラを聞いてみようと思いました。そして、そこへ母が登場。
 バタン、と戸の閉まる音がして、目をやると、玄関に立つ母がいました。母の勢いと緊張が一気に部屋に充満しました。昼ごはんは終わりです。
 母55歳、五十肩甚だしくも枯れ損なって花の初老。土地を転がして一家を養ってきた母です。
「行くで。早よ荷物まとめてや」
とだけ言って上がり込んできた母の手には大型の旅行カバン。母が旅行したことなんてあったかしら? HIDEKIと書いたシールが貼ってあり、妹達の誰かがそういえば旅行したと言ってたと思いだしました。私は隣の県へ旅行したことがあります。その時はこんな大きなカバンでなく、
「いるもんだけにし。時間ないで」
小さい花柄のビニールバックでした。一泊。ムスメとムスコと外国旅行へ行ってみたい。そこでオペラを聞けばいい。何を歌っているのかわからなくても最後には外人達と一緒に立ち上がって「ブラボー!!」と言おう。パチンと音がしました。母が棚に置いていた私のがま口財布を勝手に開き、見て、閉じた音でした。母はやれやれという風にため息をつきました。
≪これ俺のラジオやんけ!≫
≪あんたのものなんかあれへんわ。出てくんやったら裸で出ていき。≫
≪アホかブタ!≫
≪いっつも裸で帰ってくるやろー。はじめっから裸で行ったら話早いわ。行き行き≫
という二階からの風。母はちょっと上を見てからもう一つ同じため息をつきました。それから唐突に奥の部屋へ入って行きました。奥の部屋、といってもうちは二間しかないうえに、窓一つなので寝るとき以外は襖を開けて風を回しているので、実質一間みたいなものです。どこに立ってもほとんど我が家の全貌が見渡せました。ムスメは悪い気配を感じて固まっており、ムスコは「ばあちゃん何してん」と楽し気でした。そして母は奥の部屋の押し入れを開き、熱心に布団を見分し、ぶつぶつ「一組あったらええな」「これええわ」「くっさいな」などと言いながら、おそらく母が「ましや」と思った布団を引っ張り出しました。
「ちょっと何すんの、お母さん」
「アンタも早よ、いるもんまとめ。早よせなヒデオ帰ってくんで」
 ヒデオ、とは私の夫です。土建屋で働いており、日によって違うけれどだいたいいつも夕方5時くらいに一度帰ってきます。だいたいその後どこかへ出かけて、次に帰ってくる時間は寝てしまっているのでわかりやしません。新婚の頃は起きて待っていたり、同じ家にいるのに置き手紙をして寝てみたり、工夫のような事をしていましたが、今は寝ます。昔はたまにの事だったから工夫も出来たのです。
≪稼いどんねんオレは! なんじゃブタ≫
≪稼いだ分全部外で使うやろー? ウチが食べる分はウチが稼いでる。行き行き。アンタ出てったらウチはちょっとした富豪になれるわ≫
と、しつこく流れ込んでくる風に母は旅行カバンの中を探る手を一担止め、
「どこも一緒やな。でもアンタはまだ大丈夫や。うちに帰って来」と、カバンから出した大風呂敷をさっと広げました。
「私はここでも大丈夫や。お母さん、私出ていかへんよ」
 母は浄瑠璃でも包んでいるような顔をして黙々と布団を載せた風呂敷の端を結んでいました。その時、再び玄関の戸の音がしました。夫でした。
「いらっしゃい…」
と言いながらも夫の顔は既に「何しに来てんババア」になっていました。
≪俺は出ていかへんぞ!お前が出てけブタ!≫
≪出ていかんわ。ウチが家賃払っとんねん。出ていかんのやったらおとなしくしとけ≫
≪何をエラそうにブタ! きったないボロアパートやないか! エエとこ住ませコラ!≫
≪ボロですんませんな。ハイ、出て行き。ボール紙持ってくか?≫
≪ブター!≫
夫が少しの間、上を見て、それから
「何ですか?」
と、包み終わった風呂敷を見て言いました。母は答えず、また旅行カバンの中を探り、一枚の紙きれを取り出して夫に渡しました。そこで口を開き、
「離婚してもらうで。書いてや」
夫が私を見ました。
「勝手にやってるんや」
と私は夫に言いました。
「勝手にやない。オイ、お前、サキコ出て行きたいってゆってるんや。もうエエやろ? 5年も好き勝手したんやから?」
夫が私の方を「ゆったんか?」という顔で見てよこすので、
「そんな事ゆってないわ」
「ゆったやんか」
「だいぶ前の事やろ!」
そこでまた夫の「ゆったんか?」という顔。と、同時にムスコがガチャン、と茶碗を引っくり返しました。
「早よ食べ!」
私は怒鳴ってしまいました。ムスコは泣き出し、ムスメは固まりっぱなし。2階からは、
≪幸せな家庭がほしいんじゃー!!!≫
とおじさんが叫びました。
「そうや」とおじさんに賛同する母。
「サキコも幸せになりたいだけや。カイショーないのはしゃーないけどな、こんな、顔にアザつけられるような所おったらアカンわ。私は助けに来たんやで!」
ムスメとムスコに、
「外で遊んでき」
と私が言うと、ムスメが皿を下げようとし、
「ええから」
と言うとムスメはまだベソかく弟の手をひいて出て行きました。
≪アンタが壊したんやないのー!!≫
≪お前のせいじゃー!!! お前が俺をかわいがらんからアカンのじゃー!!!≫
≪アンタやないのー!!!≫
私は窓を閉めました。
「なぐったん僕やないですよ」
と夫。
 夫ヒデオ、私より3歳上の40歳で、無口な方で頑固な中年。体の弱い母親とフーテンのような弟を持つ。母親には懐以上の見栄を張る傾向がある。フーテンの弟が何の商売をしたのか景気のいい時には、借金をしてでも弟以上の孝行を母親に振る舞い、弟が何の商売で失敗したのか姿を見せない時も、稼ぎのほとんどを孝行に費やした。立派な男である。が、母親と暮らす世話人の女が愛人である事は皆にバレており、孝行すればするほど皆に「ようやるな、このエロガッパ」と思われてしまった。

つづく

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プロフィール



宇野祥平

1978年、大阪府生まれ。主演した短篇映画『女』『鵜野』(両作とも監督・前田弘二/05)がひろしま映像展2005でグランプリと演技賞を受賞し注目を浴びた。以降『オカルト』(監督・白石晃士/09)『超・悪人』(監督・白石晃士/11)等の映画に主演。その他の映画出演作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(監督・松岡錠司/06)『フレフレ少女』(監督・渡辺謙作/08)『くりぃむレモン 旅のおわり』(監督・前田弘二/08)『ウルトラミラクルラブストーリー』(監督・横浜聡子/09)『ゲゲゲの女房』(監督・鈴木卓爾/10)『NINIFUNI』(監督・真利子哲也/11)『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』(監督・入江悠/11)『婚前特急』(監督・前田弘二/11)『ハラがコレなんで』 (監督・石井裕也/11)『キツツキと雨』(監督・沖田修一/12)『苦役列車』(監督・山下敦弘/11)『黄金を抱いて翔べ』(監督・井筒和幸/12)『横道世之介』(監督・沖田修一/13)など多数。『舟を編む』 (監督・石井裕也)、『ぼっちゃん』(監督・大森立嗣)が現在公開中。テレビドラマには『深夜食堂』(09、11/TBS)に準レギュラーとして、『D×TOWN~太陽は待ってくれない~』(12/TX)では準主役として出演。BeeTVにて配信中のドラマ『午前3時の無法地帯』にもレギュラー出演している。舞台においても『真夜中vol.3鳥ト踊る』(作・演出:ノゾエ征爾/11)、あうるすぽっとプロデュース『季節のない街』(作・演出:戌井昭人/12)などに出演。

ひとこと・ふたこと

宇野さんが紹介した映画『自由が丘で』は2014年12月13日(土)シネマート新宿ほかにて全国順次公開です。