第26回:愛と冒険 第二部 前篇

2011年06月24日

「なぐったん僕やないですよ」と夫が言う。
「じゃあ誰がやったんや!」と母。
「弟です。トシオです」と夫。

 昨日のことでした。
 お昼前に電話があり、夫の実家に義母の世話人として住んでいるキョウコからでした。
「もしもしサキコさん?」
「はい。いつも義母が。お世話になっております」と受話器を持っていない方の手でエプロンを外し、緊張しないように注意しながら言いました。キョウコが私に電話してくるのは初めてのことでした。よっぽどのことが義母に? それとも何か…と頭をグルグル回していると、「ちょっと待ってね」とキョウコが言い、すぐ、「オウ義姉さん、ワイや! トシオや!」と馬鹿のフーテンの義弟の声が受話器から聞こえてきました。
 トシオは35歳になった今も定職に就かず、薬やらスニーカーやら、その時々で違う物を売って行商だかセールスマンだかをしています。一口に言えばフーテンです。ですから滅多に大阪にいることがなく、そのせいか“ワイ”と今時おじいちゃんくらいしか使わない自称を使います。たぶん“ワイ”と言う自分を粋だと感じています。叩き売りでもない、ただの行商もしくはセールスマンなのにスーツのボタンをわざと外しこれみよがしに腹巻きとお守りをつけています。たまに標準語で「お義姉さん、これからはインターナショナルの時代だぜ」などと喋ります。関東と関西をごちゃ混ぜにしたよくわからない憧れに身を任せて暮らしており、つまり一口に言うと馬鹿なのです。そのトシオが二年振りに帰ってきました。
「アラ、トシオさん帰ってたの? 久しぶりやね」
「今朝大阪着いたんや! 義姉さん元気そうやないか! チビたちどないや!?元気かいな!?」
「元気な盛りや。今日は私の妹と動物園行ってるわ」
「おお、そうかー、たまの休みやな! 丁度ええやん、カニ買うてきたんや!たまにのことや! 今から来いや!」
 やだ。と即座に思い、どう断ろうか考えていると「兄ちゃんも仕事終わったらまっすぐ来るゆうてるから、みんなで集まろ!たまにのことや! な、義姉さん来てえな!」というトシオの声が聞こえ、そのトシオの背後から「ちょっとトシオ君、無理強いしたらアカンで…」とたしなめるキョウコの声も小さく聞こえました。トシオとキョウコの会話の感じは思っていたよりも親しそうで、今にもトシオはキョウコのことを“ネエさん”と呼ばんばかりの口調でした。「じゃあ、用事済んだら行くわ」と言って、私は電話を切りました。
 キョウコは私より一つ上の38歳で、30歳から夫の実家で義母の世話をしている女です。地味な顔立ちの女で、細い女です。夫と出来てる女です。1年程前に義母が少しの間だけ入院し、見舞いに行ったら付き添っており、「こんにちは」を言い合っただけで、それぐらいしか知らない女です。
 電話を切ってから、本当は用事なんか無いのでやることがありませんでした。お昼も食べる気がしなく、寝転がって「動物園か」「何見てるかな?」「何食べたかな?」と思っているうちに寝てしまいました。起きるともう2時過ぎでした。めかしこみ過ぎず、しかし、めかしこまな過ぎずに気を付けて出かける用意をしました。こんなときに夢を見なくてよかったと思いました。いい夢だろうと悪い夢だろうときっと落ち込む気がします。

 私は夫の実家の近くを歩いていました。玄関をくぐる勇気がなかなか湧かず、着いては通り過ぎを繰り返し、グルグル回っているうちに、6周目でした。炎天が頭を直撃し、クラッとしてきました。汗と疲労で“適度のめかしこみ”も今や“ややめかしこまな過ぎ”となっていました。「ヨシ、もうアカン今度こそ」、と顔にグッと力を入れて歩きだしたとき、「サキコさん?」と横から声がしました。「こんにちは!」とキョウコに言いました。気合いを入れたてだったので声がでかくなりました。それだけでもう帰りたい、と思いました。「今お醤油買って戻るとこ。トシオさん首長くして待ってるわ。ふふふ。迷ったんやろうか、なんてゆうて、迷うわけないやんナア」と言うキョウコは“トシオ君”と言っていたのが私の前では“トシオさん”になっており、「気を使わせて悪いな」と間違って思う程、親戚のお姉さんのような自然な振る舞いでした。でも、家に着いて玄関を開き、「さ、どうぞ」と言われたとたん、炎天下にいたせいか、頭がカッと熱くなりました。飾りっ気のない服も自然な振る舞いもわざとかしら? と考えながら玄関に入ると、ピカピカの男物の革靴が揃えてありました。この靴と土産のカニが儲けたときだけ限定のトシオの帰りを主張しており、家に上がる前に私は「わかったわかった、もうエエわ」という気分でした。
「義姉さん!!」と、居間へ行くとトシオが両手を広げ立ち上がって言いました。「そんな仲良くないやろ」と思いながらもトシオの両手に抱え込まれ、そして離しながら「なんや外人さんみたいやな」と私が言うと「さすが義姉さん勘エエなあ! ワイ外人と商売してたんや! なんやと思う? 当ててみ当ててみ、外人のもんやで、なんや思う? 当ててみ義姉さん、当ててみ、なんや思う?」とうっうしく、「オルガンやろ」と横の机にパンフレットがあったので、すぐに私が当てると、トシオが「エエ勘してるやんけ…」と少し悲しそうに言い、かわいそうなので、「いや、それ…」と私がパンフレットを指すと「オー、ノー!」とトシオは言いました。
2年振りに会うトシオは真っ白の三つ揃いのスーツを纏い、髪はツヤツヤに撫でつけており、どうやら関東を捨てて関西と西洋の融合を計った模様でした。
「そうや、オルガンや! ワイ、ドイツ人と商売しとったんや。嘘やないで、ホンマやで。義姉さんもチビたちにどや?! ホラこれやるわ!」とトシオがパンフレットを渡してきましたが「まだそんな年齢ちゃうし、エエわ」と断り、「いやこうゆうのは早いうちがエエんやで! 嘘やないで、ホンマやで! 義姉さんが才能育てたらな! 嘘やな……!」と、しつこい。一応パンフレットを開いて見てみると、確かにドイツの会社のようですが、“中国製”“浜松営業所”という文字が見えました。どこで西洋と触れ合ったんや。ただ、トシオの見た目だけは本当の外人さんのようでした。トシオは元々、兄である私の夫とは全然似ていない、彫りの深い顔立ちで、こういう西洋の格好がなかなかよく似合っていました。馬鹿を差し引いてもこの容姿で主婦の心でも摑んだのかもしれません。
「義姉さんちょっと太ったか? ちょっと裕福なったんちゃうーん? 嘘やないで、ホン…!」
 いえ、いくら見た目が良くってもやはりトシオは致命的にアホそのものです。日本の好景気、トシオの懐が暖かくなった理由はただそれだけのことでしょう。
「お義母さんは?」と聞くと「寝てんねん。さっき見てきたけどまだ寝とったわ。なあキョウコさん?」と台所のキョウコにトシオが言い、「みんな揃ったらちょっと起こしてみましょうか」とキョウコが盆にコップとカニを載せて運んできました。
「あ、手伝います…」と私が立ち上がろうとすると、エエから、と言うように首を横に振り「もうそろそろいい時間だから先やりましょ」と、トシオと私の前に一杯ずつ盛ったカニの皿を置き、ビールを私のコップに注いでくれました。私はまた頭がカッと熱くなっていました。ごく自然に動いているキョウコはたとえ炎天下に50時間曝されて火が点きそうなくらい熱くなっても全然平気な鉄のような脳ミソの持ち主なのかしら? と疑いました。私はこのときすごくキョウコが恐くなりました。こちらがどんなに熱くなっても向こうは鉄なのです。燃え尽きるのはこちらだけ。私はビールを沢山飲みました。私はお酒があまり好きではありません。嘘です。嫌いじゃないけど弱いようで、すぐに酔っ払うため、いい年してそんなところを人に見られたくないので好みません。特にキョウコには見られたくありません。しかし、あまりにも恐く、この時間を乗り切る勢い欲しさに、沢山飲みました。
「ホラ、キョウコちゃんも飲も、たまにのことや!」とトシオが瓶も持ち上げ、「トシオさんもう出来上がってるの。ふふふ」とトシオの傍らにある空瓶3つを目で指して私に言い、「じゃあ、一杯もらおうかな」と台所へ行きコップを持ってきて、3人で乾杯をする。何やってんねやろ、とつくづく思い、グッとまた飲みました。この後夫も来る、と思ってまた飲み、トシオが「兄ちゃんはエエなア、いっつもこんなベッピン二人と飲めんねんもんなー、ワイなんかたまにのことやで!」と言って更に飲みました。酔って私は「ヒデオさん、私も来てるて知ってんの?」とキョウコに聞いてしまい、なんだかこちらが妾のようで後悔するも遅く「ううん、トシオさん帰ってきてるでとしか言ってへんな」とまた自然にサラリ攻撃。デーンと構えるこの感じはまさに妻! 頭がまたカッ! もう一杯! と、そこに義母が登場。
後篇へつづく)

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プロフィール



宇野祥平

1978年、大阪府生まれ。主演した短篇映画『女』『鵜野』(両作とも監督・前田弘二/05)がひろしま映像展2005でグランプリと演技賞を受賞し注目を浴びた。以降『オカルト』(監督・白石晃士/09)『超・悪人』(監督・白石晃士/11)等の映画に主演。その他の映画出演作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(監督・松岡錠司/06)『フレフレ少女』(監督・渡辺謙作/08)『くりぃむレモン 旅のおわり』(監督・前田弘二/08)『ウルトラミラクルラブストーリー』(監督・横浜聡子/09)『ゲゲゲの女房』(監督・鈴木卓爾/10)『NINIFUNI』(監督・真利子哲也/11)『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』(監督・入江悠/11)『婚前特急』(監督・前田弘二/11)『ハラがコレなんで』 (監督・石井裕也/11)『キツツキと雨』(監督・沖田修一/12)『苦役列車』(監督・山下敦弘/11)『黄金を抱いて翔べ』(監督・井筒和幸/12)『横道世之介』(監督・沖田修一/13)など多数。『舟を編む』 (監督・石井裕也)、『ぼっちゃん』(監督・大森立嗣)が現在公開中。テレビドラマには『深夜食堂』(09、11/TBS)に準レギュラーとして、『D×TOWN~太陽は待ってくれない~』(12/TX)では準主役として出演。BeeTVにて配信中のドラマ『午前3時の無法地帯』にもレギュラー出演している。舞台においても『真夜中vol.3鳥ト踊る』(作・演出:ノゾエ征爾/11)、あうるすぽっとプロデュース『季節のない街』(作・演出:戌井昭人/12)などに出演。

ひとこと・ふたこと

宇野さんが紹介した映画『自由が丘で』は2014年12月13日(土)シネマート新宿ほかにて全国順次公開です。