第16回:「ケンタとジュンとカヨちゃん国」とマッチャンとショウさんの国と僕

2010年06月09日

 
 マッチャンは当時60歳手前で、肉体労働者でした。
 その時は地下鉄のトンネルの防水工事をしていました。電車が走らなくなった深夜の2、3時間の間にトンネル内の水が漏れている箇所を削(はつ)ったり埋めたりして、線路や電気系統に水が触れないようにする工事です。
 当時18歳くらいだった僕は、その工事をしている工務店の下請けの会社の息子と友達で、そこでアルバイトをしていました。力仕事なだけに、ほとんどが僕と同じ短期間だけ働く若者でした。年配の肉体労働者はマッチャンとショウサンくらいでした。
 マッチャンは加藤茶とウィリアム・H・メーシーとくしゃおじさんに似た顔をしていました。いつもひたすら赤い何かを噛んでいて、全然人と口を利きませんでしたが、常にニコニコしているように見えるその顔立ちのせいもあって、一緒に働く人たちから好かれていました。
 マッチャンはたぶん、唐揚げとビールが好物でした。仕事終わり、一緒に飯を何度も食べに行きましたが、それしか注文しているところを見たことがありません。「かんら~げ~」と舌足らずで鼻にかかる独特の声で嬉しそうに言っていました。その歳で身内がおらず、肉体労働者で唐揚げとビールで、この人は長生きでけへんのちゃうか、とみんなマッチャンが心配でした。
 でもマッチャンはいつもニコニコしていました。顔の深い皺のせいでそう見えるだけかもしれないけれど、何が楽しいのだろうと不思議でした。今思えば失礼な話ですが、若い僕にはマッチャンは生きていて楽しいことが無いように見えました。
 ショウサンもほぼ同じような顔と年齢でしたが、舌足らずでない分マッチャンよりしっかりしているように見えました。似た顔なのだけど、ニコニコしているようには見えませんでした。ショウサンは何故かマッチャンにだけ厳しく、エラそうにしました。「マツ、だからお前はアカンねん」と、ニコニコそれを聞くマッチャンによく怒鳴り散らしていました。なんでそんなにつらくあたるのか、不思議に思っていました。
 ショウサンには子供がいるようでした。ショウサンが乗って来るエブリイという車の中は落書きでいっぱいで、「子供が書きよってん」と言っていました。後部座席にいつも積まれている銭湯道具と車内に充満したメリットの匂いから、なんとなく悲しい家庭事情がありそうでドキッとしました。人の出入りが激しい職場なので、同僚でも知らないことの方が多く、ちらりと家庭の事情などが見えるとドキッとするものでした。
 ショウサンがマッチャンを疎ましく思う理由も、その車内の中にあるように思えました。年格好が似ているだけに、いろんな事情を抱えるショウサンは、いつもただニコニコしているだけに見えるマッチャンに腹を立ててもおかしくありません。
 僕は一度、マッチャンと二人きりで仕事をしたことがありました。クリスマスイブの夜で、大半が若者の僕らはみんな休みを希望しました。でも、最低でも二人作業に出なければならなかったので、じゃんけんで決めることにしました。マッチャンとショウサンもじゃんけんに参加していました。そのクリスマスイブの夜、僕は初めてのマッチャンをいくつか見ました。
 作業中、初めてマッチャンの「かんら~げ~」以外の声を聞きました。僕たちはお互い頭に付けたライトの点しか見えない、10メートルくらい離れた所でそれぞれ作業をしていました。マッチャンは「そのパテ持ってこい」と言いたかったのでしょう。言えばいいのに、「ホー、ホー」とだけ言いました。いつまでも「ホー、ホー」と言っているので体が見える所まで近づくと、身振り手振りと「ホー、ホー」で何を言いたかったのかがやっと伝わりました。いつも、もう何人かと作業しているときは、マッチャンが人に何かを伝えることはありませんでした。
 いつもマッチャンが噛んでいる正体不明の赤い物も、その日に 「かんらだが楽んなる」ものだということも教えてもらいました。
 作業を終えていつも行く中華屋へ二人で行きました。僕はチャンポンを注文しました。しかしいつまでたってもチャンポンは来なく、催促すると、注文を忘れていたようでした。マッチャンはとっくに「かんら~げ~」を言い終わり、ビールも飲み、唐揚げも食べ終えており、明らかに早く帰りたそうでした。そんな中やっと来たチャンポンに、煙草のフィルターが入っていました。
 マッチャンは烈火の如く怒りました。何を言っているのかは全然聞き取れませんでしたが、ショウサンにいくらいびられてもニコニコしているマッチャンが顔を真っ赤にして暴れていました。フィルターが入っていたことにか、さらに時間がかかって帰れないことにか、なんせ聞き取れなかったので何に怒っていたのかは分からないままでしたが、それ以来マッチャンが不思議だと思わなくなりました。初めて見る怒ったマッチャンの顔は、いろんなことに怒ってきたし、今もいろんなことに怒っているのだろうと思わせる迫力がありました。

 僕はマッチャンやショウサンを『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』へ連れて行きたい、と思いました。
 大森立嗣監督の2010年6月12日から公開される映画で、仕事と生活に不満を持つ、肉体労働者であるケンタとジュンが、順応の奥にやはり大きな不満を抱えるカヨちゃんとともに出発する物語です。
 仕事があり不満があり、辞めるのではなく壊す、肉体労働者の出発の映画を、マッチャンとショウサンはきっとドキドキしながら観るのだと思います。ずっと労働者として生活してきたマッチャンとショウサンさんは、ケンタとジュンとカヨちゃんに憧れと、実体験を重ねて感動するだろうと思います。
 実体験の少ない僕も感動しました。それは僕も怒りと不満を抱え、この映画の主人公達のように新境地へ踏み出したい前向きな気持ちがあるからだと思います。マッチャンやショウサンや僕だけでなく、そう思っている人がたくさんいるのだと思います。何を言っているか分からないマッチャンの讃辞と、「ちゃんとしゃべれや」と叱咤するショウサンの声が、映画館に響くのだと思います。
 ホー!、ホー!、ホー!

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プロフィール



宇野祥平

1978年、大阪府生まれ。主演した短篇映画『女』『鵜野』(両作とも監督・前田弘二/05)がひろしま映像展2005でグランプリと演技賞を受賞し注目を浴びた。以降『オカルト』(監督・白石晃士/09)『超・悪人』(監督・白石晃士/11)等の映画に主演。その他の映画出演作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(監督・松岡錠司/06)『フレフレ少女』(監督・渡辺謙作/08)『くりぃむレモン 旅のおわり』(監督・前田弘二/08)『ウルトラミラクルラブストーリー』(監督・横浜聡子/09)『ゲゲゲの女房』(監督・鈴木卓爾/10)『NINIFUNI』(監督・真利子哲也/11)『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』(監督・入江悠/11)『婚前特急』(監督・前田弘二/11)『ハラがコレなんで』 (監督・石井裕也/11)『キツツキと雨』(監督・沖田修一/12)『苦役列車』(監督・山下敦弘/11)『黄金を抱いて翔べ』(監督・井筒和幸/12)『横道世之介』(監督・沖田修一/13)など多数。『舟を編む』 (監督・石井裕也)、『ぼっちゃん』(監督・大森立嗣)が現在公開中。テレビドラマには『深夜食堂』(09、11/TBS)に準レギュラーとして、『D×TOWN~太陽は待ってくれない~』(12/TX)では準主役として出演。BeeTVにて配信中のドラマ『午前3時の無法地帯』にもレギュラー出演している。舞台においても『真夜中vol.3鳥ト踊る』(作・演出:ノゾエ征爾/11)、あうるすぽっとプロデュース『季節のない街』(作・演出:戌井昭人/12)などに出演。

ひとこと・ふたこと

宇野さんが紹介した映画『自由が丘で』は2014年12月13日(土)シネマート新宿ほかにて全国順次公開です。