第17回:カイロの紫のバラ

2010年07月14日

 僕の親戚にフミタカ兄ちゃんという人がいます。10歳ぐらい年上の遠縁にあたる人で、“兄ちゃん”と親しげに呼んでいたものの、それはフミタカが自分で自分のことを「お兄ちゃんなあ……」と言ったりするから、他に言いようがなかったため呼んでいただけで、僕はたった3回しか会ったことがありません。でもフミタカ兄ちゃんは今でも僕の中で生き生きとした強い印象を残しているのです。
 最初にフミタカ兄ちゃんと会ったのは僕が小学校2年の頃です。
 どういう経緯か忘れましたが、僕らは二人でビデオ店にいました。経緯も何を話したかも覚えていませんが、『でっかいのめーっけ』、『チチをたずねて三千里』という初めて入るコーナーで目にしたビデオのタイトルと、フミタカ兄ちゃんが連れて行ってくれた、ということだけはっきりと覚えています。
 二度目にフミタカ兄ちゃんと会った時は、僕がもう中学1年の頃でした。
 法事で沢山の親戚が集まっていた時です。フミタカ兄ちゃんと部屋で二人きりになった時、どういう話の流れだったかは忘れてしまいましたが、僕が「オナニーできんで」ということになり、兄ちゃんに見せたのです。する前までは二人ともハシャイで笑っていたのに、やり終えると笑えませんでした。
 最後にフミタカ兄ちゃんと会ったのは僕が19歳ぐらいの頃でした。
 親戚たちと墓参りに行った時です。その帰り、僕はフミタカ兄ちゃんと、兄ちゃんのお母さんと鶴橋の焼肉屋に行きました。フミタカ兄ちゃんは「この店、キューティ鈴木きよんねん」と何故か自慢げに言っていました。兄ちゃんのお母さんはきれいな人で、服装や雰囲気の色っぽい人でした。フミタカ兄ちゃんはお父さんがいなく、このきれいなお母さんと二人で暮らしていました。今までフミタカ兄ちゃんとしてきた行いのせいか、僕はこのお母さんと三人で食事するのをすごく気まずく思っていました。僕とは反対に、フミタカ兄ちゃんはフランク、というかデリカシーに欠けるというか、なんというか自由でした。
 腹もそろそろもういっぱいという頃、突然、「ショウヘイももう大人やからなァ、大人やしなァ」とフミタカ兄ちゃんが言い始めました。「あれやな、もう大人の遊び覚えなアカンなあ」などとお母さんの横で言うのです。僕は驚きました。いくらフランクとは言っても、こういうことは親子の間においては隠すものだと思っていました。さらに驚いたことに、お母さんは「せやなァ」と頷いていたのです。
「オカン、お兄ちゃん、ショウヘイに大人の遊び教えてくるわ」
「せやなァ、行っといで」
 5万円以上はあると思われるお金をフミタカ兄ちゃんはお母さんからもらいました。
 フミタカ兄ちゃんと僕は、お母さんからもらったお金で「会社でGO!」へ行きました。恥ずかしいのですが、僕はこういうお店は初めてではなく、少し変わった趣向のものを「ショウヘイが選べ」と言ってもらったので選びました。
 そこでは大きなフロアにOLが何人もおり、客はそのフロアで一人のOLを選び、個室へと行く手順でした。事前にコースを選び、僕は「上司」になりました。というのも、フミタカ兄ちゃんが先に「後輩」を選んでしまったため、本当はそちらの方が良かったのだけど、重なるのもなんなので余った上司にしたのです。
 僕らは「上司」と「後輩」としてOLが仕事をするフロアへと行きました。そこでは沢山の社員がOL達にセクハラを繰り広げており、「お前、また書類ミスか!」と不精ヒゲを生やした社員がOLを個室へ説教に連れて行ったり、「ハァ~」と契約解除で落ち込んだ社員がOLになぐさめを求めて個室へと入っていったりするのです。
 気付けばフミタカ兄ちゃんも、もうOLに怒られていました。兄ちゃんが怒られていたOLは、さっきフロアに入る前に「ショウヘイ、どの娘がええ? 好きな娘選び」「う~ん、あの人かな。他ブスやわ」と僕が言っていた、そのフロアにいる唯一のかわいいOLでした。
 僕はてっきり、“選び”と言うからには選ばしてもらえるもんだと思っていたので、驚きました。しかしまだわかりません。二人で個室へ行くには一旦席を外して、受付に「あの娘で」と申し込みに行かなくてはならないのです。それまではあの娘やこの娘、といろんなOLと話して馬が合うかを探るのです。フミタカ兄ちゃんももうすでに別のOLに頭を下げていました。だから僕も遠慮なくフミタカ兄ちゃんが怒られていた唯一のかわいいOLを説教しに行きました。そして説教にも力が入ってきて、そろそろ受付に申し込みに行こうかな、と思っていた時、社内アナウンスが流れてきました。
「○○さん、第2会議室お願いします」
 社内アナウンスは高らかに僕が今説教している○○さんの個室入りを宣言しました。そして胸元に2番の札を付けたフミタカ兄ちゃんが、いつのまに行ったのか、受付からフロアに戻ってきました。店の人が○○さんの耳元で「オプション、パンティ持ち帰りでお願いします」と言っていたのが、すぐそばで説教していた僕にも聞こえてきました。
 一人残った僕は、フミタカ兄ちゃんをはじめ、客の多くがなぜ何人もの女にまんべんなく話しかけていたのか理由が分かりました。この店の手順では目当ての女が途中で持っていかれる可能性が高いので、その時に残った女達の「アンタあの娘しか狙ってなかったやん」という冷たい視線の“会社イジメ”を受けぬようにするためだったのです。僕はそれを身に沁みて学んでいました。

 1985年公開の、ウディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ』という映画があります。
主人公の主婦が無職の夫から酷い行為を受けるさなか、『カイロの紫のバラ』という映画に出会います。主婦はこの映画に夢中になり、何度も観ていると、ある日突然映画の登場人物である一人の男がスクリーンから飛び出し、そして男は主婦に一目惚れするのです。この事態に周囲はてんてこまいし、やがてその飛び出した男の役を演じた本物の俳優もが主婦の元へやってきて、やはり主婦に恋をするのです。
 主婦は自分の日常とはかけ離れた世界に夢中になり、楽しい時間を過ごします。しかし映画の物語と同じように、やがて楽しい時に終わりがやって来るのです。

『カイロの紫のバラ』を観て、僕はフミタカ兄ちゃんの言っていた「大人の遊び」を思い出しました。「大人の遊びってなんやねん」と思っていました。フミタカ兄ちゃんが僕に「大人の遊び」を教えてくれた時、僕はいかがわしい店を効率良く楽しむ方法しか学びませんでした。でもこの映画を観終わった時、僕はやっとフミタカの伝えたかった「大人の遊び」が分かったのです。
 大人になれば目もあてられないような現実にぶち当たることがあります。生活の苦しさを嫌でも体感するのが大人であり、そんな時に必要なのが、幸福と希望を見せてくれる「大人の遊び」だったのです。フミタカが三度しか会ってないにもかかわらず、僕に強い印象をいまだに残しているのは、フミタカの生活の幸福と希望に満ちあふれた部分を見せてもらっていたからかもしれません。お母さんからお金をもらっていたことは忘れます。

 主人公の主婦は楽しい時間が過ぎ去った時、また映画館で映画を観ます。映画を観る主婦の顔は「大人の遊び」の素晴らしさと寂しさを知っているように見え、生活にまた立ち向かう強い決心が見えるようでもありました。

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プロフィール



宇野祥平

1978年、大阪府生まれ。主演した短篇映画『女』『鵜野』(両作とも監督・前田弘二/05)がひろしま映像展2005でグランプリと演技賞を受賞し注目を浴びた。以降『オカルト』(監督・白石晃士/09)『超・悪人』(監督・白石晃士/11)等の映画に主演。その他の映画出演作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(監督・松岡錠司/06)『フレフレ少女』(監督・渡辺謙作/08)『くりぃむレモン 旅のおわり』(監督・前田弘二/08)『ウルトラミラクルラブストーリー』(監督・横浜聡子/09)『ゲゲゲの女房』(監督・鈴木卓爾/10)『NINIFUNI』(監督・真利子哲也/11)『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』(監督・入江悠/11)『婚前特急』(監督・前田弘二/11)『ハラがコレなんで』 (監督・石井裕也/11)『キツツキと雨』(監督・沖田修一/12)『苦役列車』(監督・山下敦弘/11)『黄金を抱いて翔べ』(監督・井筒和幸/12)『横道世之介』(監督・沖田修一/13)など多数。『舟を編む』 (監督・石井裕也)、『ぼっちゃん』(監督・大森立嗣)が現在公開中。テレビドラマには『深夜食堂』(09、11/TBS)に準レギュラーとして、『D×TOWN~太陽は待ってくれない~』(12/TX)では準主役として出演。BeeTVにて配信中のドラマ『午前3時の無法地帯』にもレギュラー出演している。舞台においても『真夜中vol.3鳥ト踊る』(作・演出:ノゾエ征爾/11)、あうるすぽっとプロデュース『季節のない街』(作・演出:戌井昭人/12)などに出演。

ひとこと・ふたこと

宇野さんが紹介した映画『自由が丘で』は2014年12月13日(土)シネマート新宿ほかにて全国順次公開です。