第27回:愛と冒険 第三部

2011年11月02日

 ヒデオは嫁が自分の弟に殴られるのを昨日見た。

 俺は弟トシオに久しぶりに会うため、別に会いたくなかったが、仕事を終え生家に足を運んだ。そしたらなぜか嫁サチコがいた。すぐにトシオがサチコを呼んだのだとわかった。生家にはおふくろとキョウコが住んでいる。キョウコは俺に惚れている。トシオはキョウコに惚れている。だからトシオはわざわざサチコを呼んだのだ。俺が困るのを見たかったのだろう。でも俺はそんなくらいでは全然困らない。どうせ皆、俺とキョウコがいい仲なのは知っているのだ。唯一知られたくない母親は不幸中の幸い、今惚けている。
 行ってみると、俺は困らなかったがトシオは困っていた。居間に入るとトシオが手のひらでヅラとカニを受けていた。そしてトシオはサチコを殴った。
 俺も一度だけサチコを殴ったことがある。その時のことを思い出して、俺がサチコを殴った気になった。何してんねんお前、とトシオでなくサチコに怒鳴った。前も同じことを言った。

 俺は惚れられたことしかない。学生のときも大人になってからも女が俺を追ってくる。キョウコのときもそうだった。キョウコは土建屋の事務員をやっていた。地味な女だった。全然話したこともなかったが、ある日仕事が終わり事務所を出るとキョウコが追いかけてきた。領収書がどうのこうのと言ってきたが、ろくに聞かずどんどん歩いた。「ちょっと、この領収書、だめですよ…羽布団は会社じゃ…」なんやかんやと言って俺の後をついてくる。健気だったので一杯やらないかと誘ったら、用事があるから、と断られた。何の用事やと聞くとオペラへ行くと言う。しかも1人で行くと言うので「そんなしょーもないことに時間を使うな」と言ったら、神妙な顔で頷き、飲み屋についてきた。
 店では話すことがなかった。酒ばかり進み、そのうち無理矢理みたいにキョウコに身の上話を始めさせた。キョウコは見合いで20のとき結婚したが、子供の出来ない体とわかり去年29で離婚された。最初のうち旦那がよくオペラに連れて行ってくれたが、最後のころは行かなくなり、旦那の上着からオペラの券が2枚出てきたが誘われず、チケットに書いてあった公演日は過ぎた、と言った。俺は怒った。「オペラってなんやねんエラそうやねん! 養子でも何でももらえばエエやんけ! そんなことで捨てられたらお前は一生ひとりやんけ!」とキョウコに怒った。俺は酒があまり強くなく、酔っていた。とっくりをひっくり返した。むかしおふくろが親父のひっくり返したとっくりを拾って酒と一緒に涙を拭いていたのを急に思い出した。酒を拭く手を止め弟のトシオを抱いて「あんたがいてよかった」と泣いていたのも思い出し、それを俺が横で見ていたことも思い出した。昔のことなのに今寂しくなって、酔っていたので泣いた。キョウコは酒に強く全然酔っていないようだったが、俺が同情して泣いていているのだと勘違いして「ありがと」と酒を拭きながら目を潤まして言った。それでなんとなく引っ込みがつかなくなりいい仲になった。キョウコには抱く子供がいなく、俺はおふくろに抱かれなかったので丁度いいと思った。「オペラなんてしょーもないもん行くな」とキョウコに言うと、頷いて「そやね、あんなもんしょーもない外人の痴話ゲンカもう聞いたらん」と言った。オペラは外人の痴話ゲンカやったんか、エラそうな感じがするのにやはりしょーもないんか、と内心驚きながら「せやで」とキョウコに言った。
 1週間後キョウコは土建屋を辞めた。会社の金で私物を買い込んでいると疑われ、クビにされる前に辞めた。ヘンな領収書を沢山きっていたとかどうとか、俺は事務のことはよくわからないが、飲み屋でめずらしく酔うキョウコが哀れに見え、「俺が養ってやる」とつい言った。
 言ったはいいが、養う金はなかった。仕方がないのでキョウコにアパートを引き払わせておふくろと住む家に呼んだ。キョウコがうちに来てしばらくして、キョウコの鞄を、ちょっと何入ってんやろ、と気になり覗いたら、オペラの半券が1枚入っていた。

 俺は子供が欲しかったので、キョウコとは結婚しなかった。キョウコがうちで暮らしだして3年経ち、俺は35の時サチコと結婚した。
 おふくろは反対した。「あんたキョウコさんどないするの! 養子をもらうとか、何でも出来るやない。2つも家庭持ったら、お父さんと同じやないの。どっちも不幸にするだけやないの」と泣いて言ったが俺は自分の子供が欲しかった。子供なんていらんと言った親父と俺は違う。キョウコはいいと言った。追い出されなきゃ何でもいいと言った。俺は家を出て小さいアパートに所帯を持った。
 俺が結婚したと聞いてトシオが大阪に帰ってきた。トシオはそのとき、リコーダーの行商をしていて景気が悪かった。新大阪に迎えに行くとくたびれたジャケットにジーパン、腹巻き姿の、だいぶ禿げ進んだトシオが待っていた。昔から好き勝手な弟で一度も同情などしたことがなかったが、自分と同じく30になったばかりでだいぶ禿げた頭を見て初めて同情した。小遣いをやった。
 トシオをアパートに招いてサチコと三人で飯を食べた。「ネエさん、ワイはこれから次世代のビジネスに着手するんや。下駄履いてるやつ最近見たか?これからはズックの時代や! 嘘やないでホンマやで!」と次の商売の話をトシオは延々俺たちに聞かせた。親父にそっくりでなんでもやりたがり、失敗を顧みない。失敗しても痛い目に遭ったことがないからだ。親父もこいつも責任を上手いこと俺やおふくろへ捨てて行く。「こっちのネエさんは料理アカンな兄ちゃん!」とサチコが台所に立ったときに言った。アパートは狭く、トシオの声はでかかった。
 トシオは帰りに「祝儀や!」とさっき俺が渡した小遣いから2万抜いて、1万俺に渡した。「そうや忘れてた、ネエさんに土産!」とサチコにおもちゃのような香水の小瓶を渡した。礼を言うサチコに「あっちのネエさんにだけじゃ悪いからな!」と言って帰っていった。
 トシオはキョウコにもう2、3度会っていた。サチコはキョウコに会ったことはなかったが、サチコの日記に、どこで聞いたのかキョウコのことが書いてあったので、いつのまにか知っていたようだ。俺は週に一度サチコの日記を見る。サチコは流しの下のお茶箱の中に隠している。たいしたことを書かないくせになぜ隠すのか。読んでもつまらないのだが、もしかしたらいつか、たいしたことを書くかもしれないと思うとついつい見てしまう。
 俺はその夜、サチコが寝てからむこうの家に電話した。キョウコが出た。「どないしたん? トシオちゃんなら今ご機嫌や。さっきはおかあさん泣かせちゃって、ね、トシオちゃんからまたお小遣いもらっておかあさんうれしくって…」「兄ちゃんか!? 兄ちゃんか!? 兄ちゃんこっちのネエさん兄ちゃんおらんくっても俺がおったら全然寂しないってえー聞いたかーアホー」と途中で酔ったトシオの声が聞こえた。俺とトシオの共通点は髪型と酒に飲まれることだ。キョウコと最初の日、俺は飲まれていた、と思い出し、電話を切ってからアパートを出てむこうの家へ向かった。トシオに小遣いをやってしまったから手持ちの金がもう無く、サチコに渡していた封筒から5万抜いた。翌日おふくろに小遣いをやり、キョウコの部屋で外国製の新しい香水を見た。トシオが出て行くまでこっちで寝泊まりをした。

 ムスメが生まれ、サチコとよく喧嘩をするようになった。子供が出来たら俺がキョウコをどうにかすると思っていたらしい。なんでそう思ったのか俺にはわからない。おふくろの面倒も自分がゆくゆくはみる、と言う。当たり前じゃないか、と怒ると泣く。泣かない方の家へ行く。
 ムスメが生まれてもキョウコは怒ったり悲しんだりしなかった。それはそれで寂しいものがあり、「お前はつらないんか、なんで泣かんねん」と俺はキョウコに怒った。キョウコは「私はヒデオさんと会う前がしんどかったから、全然平気」と言った。泣く方の家へ行く。

 俺にムスメが出来たと聞いてトシオがまた帰ってきた。スニーカーが当たったのか景気が良く、ヅラが出来ていた。土産とおふくろへの小遣いも景気が良かった。俺はサチコに実家から金を借りてこさせた。おふくろから、トシオがキョウコを嫁にほしがったが、キョウコが断ったと聞いた。キョウコのことをおふくろが生意気やと言った。

 俺は惚れられる。女に追いかけられる。でもお母さんは俺を追いかけへん。お母さんが追いかけんのはいつも親父とトシオや。親父は俺が15の時に商売に失敗して女と消えよった。親父を追い続けたお母さんには借金が残った。さっさと別れて他人になっておけばよかったんや。お母さんは親父がいなくなったら今度はトシオを追いかけた。トシオのためにお母さんは働いた。俺はお母さんのために働いた。お母さんはトシオの高校進学のために、俺に高校を辞めて就職してほしいと頼んだ。お前には苦労をかけてほんまにごめんねとお母さんは泣いて言ったが、せんでもええよと甘えさせてくれたことはない。せんでもええよと言われるのはいつもトシオや。あいつや親父は逃げてるだけでええんや。追ってくるお母さんがなんとかしてくれる。俺は座って鬼ごっこを見ている。お母さんは鬼や。俺も逃げたかった。

 サチコは一度俺を追いかける途中、道を踏み外した。日記を週1チェックしたかいあって、別の男の子供が腹にいるとわかった。「何してんねんお前、ちゃんと追いかけろや」と殴ったら、サチコは「あんたのせいやないの」と殴り返してきた。止めどなく殴ってくるのでアパートを出て走って逃げた。それでもサチコは追ってきて殴った。俺はサチコの裏切りにまだ腹をたてていたが、俺を追ってきて鬼丸出しで殴ってくるサチコに満足もしていた。だから俺はサチコに子供をちゃんと産ませ、別れなかった。惜しいからではない。サチコが俺を追ってくるからだ。俺は女を追わない。なのにサチコの母親は俺をエロガッパと呼ぶ。

 今日サチコの母親が家に押しかけてきた。サチコを返せと言う。サチコが俺を追っているのに。サチコは出て行きたいんやで、と言い張る。
「今日のところはこれで勘弁したる! でもな、あんたみたいな勝手なエロガッパのところにいつまでもサチコ置いとかへんで!!」と言ってサチコの母親は帰った。
「お前出て行きたいんか」とサチコに聞くと、「お母さんが勝手に騒いでるだけや。…でもどやろ、何であんたと結婚したんやろ?」と言う。
 日記にはこう書いてあった。
「一刻も早くヒデオさんのところへ嫁に行きたい」
 惚れとる、ということやな。

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プロフィール



宇野祥平

1978年、大阪府生まれ。主演した短篇映画『女』『鵜野』(両作とも監督・前田弘二/05)がひろしま映像展2005でグランプリと演技賞を受賞し注目を浴びた。以降『オカルト』(監督・白石晃士/09)『超・悪人』(監督・白石晃士/11)等の映画に主演。その他の映画出演作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(監督・松岡錠司/06)『フレフレ少女』(監督・渡辺謙作/08)『くりぃむレモン 旅のおわり』(監督・前田弘二/08)『ウルトラミラクルラブストーリー』(監督・横浜聡子/09)『ゲゲゲの女房』(監督・鈴木卓爾/10)『NINIFUNI』(監督・真利子哲也/11)『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』(監督・入江悠/11)『婚前特急』(監督・前田弘二/11)『ハラがコレなんで』 (監督・石井裕也/11)『キツツキと雨』(監督・沖田修一/12)『苦役列車』(監督・山下敦弘/11)『黄金を抱いて翔べ』(監督・井筒和幸/12)『横道世之介』(監督・沖田修一/13)など多数。『舟を編む』 (監督・石井裕也)、『ぼっちゃん』(監督・大森立嗣)が現在公開中。テレビドラマには『深夜食堂』(09、11/TBS)に準レギュラーとして、『D×TOWN~太陽は待ってくれない~』(12/TX)では準主役として出演。BeeTVにて配信中のドラマ『午前3時の無法地帯』にもレギュラー出演している。舞台においても『真夜中vol.3鳥ト踊る』(作・演出:ノゾエ征爾/11)、あうるすぽっとプロデュース『季節のない街』(作・演出:戌井昭人/12)などに出演。

ひとこと・ふたこと

宇野さんが紹介した映画『自由が丘で』は2014年12月13日(土)シネマート新宿ほかにて全国順次公開です。