第28回:愛と冒険 第四部

2011年11月02日

 そういえば、私がヒデオと結婚しようと決めたのは、家を出て行きたかったからである。

 結婚前、私は父と母と7人の姉弟と暮らしていた。線路沿いの一軒家、一階に台所と六畳間、二階に六畳間、外にお便所、お風呂なし、そこに10人。驚くほどぎゅうぎゅう詰めで住んでいた。とてもうるさい家だった。電車が窓のすぐ側を走っていて、家族全員怒鳴るように話した。狭い家は怒声ではちきれそうだった。私は32までそこで暮らした。
 うちの大黒柱は母だった。父が外に出て、母が家にいたから、一見ちゃんとした家庭のようだった。しかし父はスーツを着て毎朝競艇場へ出勤して行った。そして母は家で稼いだ。戦前は家で密造酒を作って稼ぎ、戦中のどさくさにその金で土地を安く買い、戦後に土地を一回転がした利益でアパートを造って家賃収入で家族を養ってきた。
私は8人姉弟の一番上で18からデパートで働き始めた。それからすぐ、母の家賃収入はストップした。アパートと土地を役所に取り上げられたのである。戦中のどさくさに母が手に入れた土地の権利書はどうも怪しいと審査が入り、権利無しと判断されたのである。
 ある日、役人がそれを伝えにきた。母は玄関先で役人に怒り狂って「戦争中の役立たずが何言ってんねん。私はズルしてへん。金払ってるんや。ズルはそっちやろ!」と怒鳴った。それから足下の砂利を摑んで投げ、役人を追い立てはじめた。そこへちょうど競艇場から父が帰ってきた。父は母が役人に言った言葉を自分が言われたと勘違いし、「なんやと!」と母に挑んで行った。母は反射的に摑んでいた砂利を父に投げつけた。父はおでこからちょっと血を流した。父はその後これみよがしに3日間寝込んだが、それはまあいいとして、それ以来母は土地に固執し始めた。
 母はもう1つ別の土地の権利書を持っていた。「アホの役人が。もひとつあんのにバレへんかったわ」と嬉しそうに見せてきた。それを売ってくれれば当面はなんとかなったのだが、母は「アホに取られへんかった土地をうちは大阪一大きくしてみせるで」と宣言した。母は家族を養うのをやめ、役所への復讐をスタートさせた。土地はすぐには大きくならない。収入源は私のデパートの給料のみとなった。

 無理だった。私の1つ下の17の弟はもちろん、12の妹もアルバイトに励み、10、8、7の弟たちも土曜日だけ八百屋でかわりばんこにバイトさせてもらった。さすがに5つ、4つの妹達は働けなかったが、姉弟で力を合わせ、ギリギリなんとかなった。翌年18になった弟ミツオが就職しちょっと楽になった。母の土地はまだ利益が出なかった。

 私が25のとき、24になった弟ミツオはすっかり我が家の大黒柱となっていた。ミツオはいい人がいたようだが、家族を食わすので手一杯で結婚を考える余裕も無く働いていた。私は嫁に行く事を考えた。食いぶちを減らして少しでもミツオに楽をさせたかった。あてもあった。
 しかしその矢先、私より先にミツオが家を出てしまった。母がミツオの名義で勝手に金を借りていたのである。持っている土地よりも高いがどうしても手に入れたい土地があったらしい。ミツオが怒るとそれ以上に母は怒った。「ほんまあほやわ何年か辛抱すればお前の稼ぎの何倍も高くなるんやで!」と母は怒鳴り、その日のうちにミツオは家を出て行った。私はデパートを辞め、スナックで働きはじめた。

 お金がいつまでも足りなく、気がついたら私は32になっていた。そのとき家には父と母と18になった一番下の妹ひとりしかいなかった。みんな高校を卒業するとさっさと出て行った。家の中で電車の音がやたらに目立った。人が減った分楽になるかと思っていたが、稼ぎ手も減るのでべつに楽にはならなかった。みんな薄情だな、と弟妹をうらめしく思ったりもするが、私が一番上なので仕方が無かった。長男のミツオはあれから結婚し所帯を持ったが母を許し帰って来る気配はなかった。私は何軒か移ったりしながらまだスナックで働いていた。言い寄って来る男もいたがみんな頼りなかった。
 ある晩店で、何回か来た事のある頭の禿げた男が一緒にオペラへ行こうと誘ってきた。私はオペラどころか歌謡曲すらまともに聞いた事がなかった。断るつもりだったが、すぐには断らずに「なんでオペラですか?」と男に聞いてみた。私はこの男があまり好きではなかった。地味な顔で禿げているが口ぶりはなんだか色男を気取っており、そのくせ会計はいつも会社宛に領収書をきらせてマメでけちくさい事をした。誘ってきたのは3回目だった。その前は映画と美術館だった。「俺と映画行きたいんやろ…?」「俺に美術館連れていかれたいんやろ…?」「俺がオペラ聞かせたろか…?」毎回誘うというよりは誘ってやったようなニュアンスを漂わせてきてちょっと腹が立った。この年で独身で、スナックで働いているというだけで哀れんでいるのか、なんか上から誘ってくるのである。私は一回裏へ行って、この男がまた来たら、と用意しておいたヒールが10センチもある靴に履き替え、戻ってきてカウンター越しに男の前に立った。見下ろすと、男はあごをバレない程度にぐっと上げた。禿を気にしているのだ。ねらい通りこうするとちょっとムカツキが和らぐ。男がいくらがんばっても私の位置からは土星そっくりな禿頭が見える。
「なんでオペラですか?」
「…なるべく遠くがええやろ?」
「オペラ遠くでやるんですか?」
「大阪球場とかちゃうか?」
「近いですよ」
「あほ、オペラなんか聞いたら外国気分や。気分は遠くやんけ」
「よく行くんですか?」
「初めてや」
「……」
「でもオペラってのはあれや外人の痴話ゲンカや。顔みたらわかる。しょーもないけどエエやろ? 外国でしょーもないもん見て笑ったら疲れとれるやろ?」
「私疲れてませんよ」
「意地はらんでエエ…」
 お前こそそんなにあご上げて意地はらんでエエ、と思いながらも、首がツらんばかりにあごの微妙な角度を保とうとする男の誘いを受けてみようかしら、とも思った。そうだ、首がツったら誘いを受けようと私は決めた。ちょっとチャンスをあげようとして何回か背伸びをしてみたが、私が転びそうになっただけで、「おっちょこちょいやな…」と土星の色男風を無駄に引き出しただけだった。結局その日、男の首はツらなかった。
 家に帰るともうみんな寝ていた。一階では父と母が寝ており、その横の台所の電気だけつけて冷たい水を1杯飲んだ。父が布団を引っぱって母の体が出ているのが薄暗い中見えた。布団を掛け直そうと母の側に行くと、寝間着がはだけていて腹巻きから何か四角い薄いのがちょっと出ていた。そーっと抜いて台所で見てみると、母名義の預金通帳だった。最終項目には私の稼ぎの3年分のくらいの額が記されていた。

 また店に禿げた男が来た。私は靴を履き替えず、横に座って、
 「このあいだ言ってたオペラ連れて行ってください」と男に頼んだ。

 次の月私とヒデオは結婚した。

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プロフィール



宇野祥平

1978年、大阪府生まれ。主演した短篇映画『女』『鵜野』(両作とも監督・前田弘二/05)がひろしま映像展2005でグランプリと演技賞を受賞し注目を浴びた。以降『オカルト』(監督・白石晃士/09)『超・悪人』(監督・白石晃士/11)等の映画に主演。その他の映画出演作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(監督・松岡錠司/06)『フレフレ少女』(監督・渡辺謙作/08)『くりぃむレモン 旅のおわり』(監督・前田弘二/08)『ウルトラミラクルラブストーリー』(監督・横浜聡子/09)『ゲゲゲの女房』(監督・鈴木卓爾/10)『NINIFUNI』(監督・真利子哲也/11)『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』(監督・入江悠/11)『婚前特急』(監督・前田弘二/11)『ハラがコレなんで』 (監督・石井裕也/11)『キツツキと雨』(監督・沖田修一/12)『苦役列車』(監督・山下敦弘/11)『黄金を抱いて翔べ』(監督・井筒和幸/12)『横道世之介』(監督・沖田修一/13)など多数。『舟を編む』 (監督・石井裕也)、『ぼっちゃん』(監督・大森立嗣)が現在公開中。テレビドラマには『深夜食堂』(09、11/TBS)に準レギュラーとして、『D×TOWN~太陽は待ってくれない~』(12/TX)では準主役として出演。BeeTVにて配信中のドラマ『午前3時の無法地帯』にもレギュラー出演している。舞台においても『真夜中vol.3鳥ト踊る』(作・演出:ノゾエ征爾/11)、あうるすぽっとプロデュース『季節のない街』(作・演出:戌井昭人/12)などに出演。

ひとこと・ふたこと

宇野さんが紹介した映画『自由が丘で』は2014年12月13日(土)シネマート新宿ほかにて全国順次公開です。