第10回:空中庭園と僕

2009年12月16日

  お父さんが勝新太郎さんで、お母さんが加藤治子さん、姉ちゃんが三人いて、坂口良子、南野陽子、西村知美、がいい。と、そろばん教室の帰り道、小学校三年の僕は一人で歩きながら考えていました。
 この理想の家族構成を考えることが、その頃の僕の癖でした。理想の家族は食事するでも無く、談話するでも無く、ただポカンポカンと浮かび上がってゆらゆらしていました。
 前にもお話ししましたが、僕の家は母子家庭で、当時母が入院中だったため、僕はおじいちゃんとおばあちゃんの家で暮らしていました。まさかこの入院中、母が亡くなるとは思っていなかったので、見舞いにはほとんど行っていませんでした。行っても、「風呂入ったか」だの「体洗ってるか」だのと小言ばかり言われるので、「オカンに悪いな」と思いながらも、段々と足が遠くなり、放課後は友達と遊んでばかりいました。
 友達と遊んでいる時も、「しょうへいのオトンは何の仕事してるん?」「オトンすし屋やねん」などといない父を仕立て上げては、また「オカンに悪いな」と思ったりしていました。余談ですが、この時会話していた友達も、「俺んとこは大工やねん」と言いながら母子家庭だったことが後で分かりました。こういう空しい見栄を張りながら生活していく風潮のある地域で、僕は暮らしていました。
 けれど、一人きりの時に空に思い描く理想の家族は、見栄というよりも理想と願望と現実逃避をごちゃ混ぜにして作り上げたようなもので、ハッと現実の地面を見てみると罪悪感がペタッと落ちている、という空しいものでした。 
 そろばんの日は、「そろばんやから」というちゃんとした理由があるため、病院へ行かなくても罪悪感を抱かずに済みました。でも、そろばんからの帰り道、僕は理想の家族をつい空に浮かべて歩いてしまい、結局「オカンに悪いな」と思っていたのでした。
 地面に落ちたすし屋の勝新太郎は見たくない、罪悪感を持つようなことはしたくない。けれど、見舞いにも行きたくない。ゆらゆら僕の周りが回っていました。

 豊田利晃監督の『空中庭園』(2005年)という映画は、ニュータウンに暮らす「隠し事をしない」というルールを持つ家族のお話です。でも、みんな隠し事をしています。家族がみんな隠し事を隠している様は可笑しく、時に怖くもあるけれど、たぶん誰もが実感できることなのではないかと思います。
 主役の小泉今日子さん演じるこの家庭の母親は、団地のベランダに、食卓の電気の笠に、小さな空中庭園を作っています。そして同じように、「理想の家族」も作っています。「バレない嘘は嘘ではない」と言っています。僕の知らない世界の女の人の物語で、僕はそろばんに通っていた頃の自分を思い出します。

 回る風景の中、何とかおじいちゃんとおばあちゃんの家へ向かって帰っていると、横断歩道の手前のところにおじいちゃんを見つけました。おじいちゃんは屈んで靴ヒモを結んでいました。かがんだまま、横に来た僕に気づいてうなずき、また靴ヒモを結びはじめました。信号が青になりました。おじいちゃんはまだ靴ヒモをいじっていました。赤になり、青になり、を何回か繰り返しても、おじいちゃんはまだかがんだままでした。
 よく見てみると、おじいちゃんは靴ヒモを結んでみたりほどいてみたりをゴチャゴチャやっていました。「なにやってんの?」とシビレを切らして僕が聞くと、小さい声で「イボ痔のイボを入れてんねん」とおじいちゃんは言いました。おじいちゃんは、屈んだふりをしてかかとを利用し、尻の穴あたりをグリグリ押していました。
 信号を何度かやり過ごすと、ようやくイボ痔が入ったのか、おじいちゃんは立ち上がっていつもの口癖を僕に言いました。
「しょうへい、嘘もホンマも関係ないねん」
 そう言っておじいちゃんは青信号を渡って行きました。僕には意味が分かりませんでした。
『空中庭園』を観た時、僕は初めておじいちゃんの言葉の意味が分かりました。理想も現実も意味が無い。空でも地面でもなく、正面を向いて歩け、ということなのだと思います。
靴ヒモを結んでいたのか、イボ痔を押し込んでいたのか、何をしていたにせよ、今は青信号を渡っている。そこが大事なのだと、おじいちゃんは言っていたのです。
 今、僕の風景はゆらゆらと回ったりしません。僕は上も下も向かずに、正面を向いて歩いています。頭頂部の薄毛を人に見られたくないからではありません。
  歩き方を教えてくれた豊田利晃監督とおじいちゃんに、心からお礼申し上げます。

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プロフィール



宇野祥平

1978年、大阪府生まれ。主演した短篇映画『女』『鵜野』(両作とも監督・前田弘二/05)がひろしま映像展2005でグランプリと演技賞を受賞し注目を浴びた。以降『オカルト』(監督・白石晃士/09)『超・悪人』(監督・白石晃士/11)等の映画に主演。その他の映画出演作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(監督・松岡錠司/06)『フレフレ少女』(監督・渡辺謙作/08)『くりぃむレモン 旅のおわり』(監督・前田弘二/08)『ウルトラミラクルラブストーリー』(監督・横浜聡子/09)『ゲゲゲの女房』(監督・鈴木卓爾/10)『NINIFUNI』(監督・真利子哲也/11)『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』(監督・入江悠/11)『婚前特急』(監督・前田弘二/11)『ハラがコレなんで』 (監督・石井裕也/11)『キツツキと雨』(監督・沖田修一/12)『苦役列車』(監督・山下敦弘/11)『黄金を抱いて翔べ』(監督・井筒和幸/12)『横道世之介』(監督・沖田修一/13)など多数。『舟を編む』 (監督・石井裕也)、『ぼっちゃん』(監督・大森立嗣)が現在公開中。テレビドラマには『深夜食堂』(09、11/TBS)に準レギュラーとして、『D×TOWN~太陽は待ってくれない~』(12/TX)では準主役として出演。BeeTVにて配信中のドラマ『午前3時の無法地帯』にもレギュラー出演している。舞台においても『真夜中vol.3鳥ト踊る』(作・演出:ノゾエ征爾/11)、あうるすぽっとプロデュース『季節のない街』(作・演出:戌井昭人/12)などに出演。

ひとこと・ふたこと

宇野さんが紹介した映画『自由が丘で』は2014年12月13日(土)シネマート新宿ほかにて全国順次公開です。