MY LIFE AS A T-sh

2010.07.13.

第1回:スーパー戦隊モノのレッドは根明で駄目。やっぱブルーとか2番手にグッと来るって話

NACCTシャツではないけれど、赤いTシャツということで

第1回スーパー戦隊モノのレッドは根明で駄目。
やっぱブルーとか2番手にグッと来るって話

 よくもまあ、飽きもせずこんなに毎日T-shばっか着ていられると自分事ながら思う。冠婚葬祭ともなれば社会人のハシクレとしてシャツくらい羽織って出掛けるが、家に帰れば速効T-sh姿に戻るので、とどのつまり1年365日、暑い夏の日もあれば冬の寝床用Tもあるので、都合500Tってトコロか。(別に500着る訳ではない。回数ですな)
 スタイリスト、という洒落た横文字の肩書なぞ名乗りつつも、手持ちに白シャツが1枚なんて、これはもう何ちゅーか由々しき問題ではあるのだけど、着ないんだから仕様がない。向こうだって「御免被る」ってきっと思っているだろう。いつの日か敬愛するエレファントカシマシ総合司会の宮本浩次氏のように、大人&男らしく白シャツをピッと引っかけて繰り出したいと思っているのだが、嗚呼夢のちまた。青臭い俺にはマダマダ30年早えー。ハイ、顔洗って出直して来ますって感じか。
 では何故、こんなにT-shが好きになったのか? 遠い記憶を辿っていくと、「ははーん」と思いあたるフシが……なくもない。かくして30男にピッカリ浮かんできたのは、小学生時分(しかも低学年)にメチャクチャ着まくった“赤いNCAA T-sh”だ。
 皆さんも多分にあるだろうが、ガキの時の「なんであんなに好きだったか、今じゃもうワカラナイ」って類のアレである。なんであんなにハンバーグラーのぬいぐるみが、連想ゲームが、クーピー落書きが、桜でんぶ(通称ピンクごはん)が、キン肉マンソルジャーチームが、巨人の帽子(サッカーやってんのに)が、となんでなんでなんでとダムドのように叫びたくなるほど、今じゃもう思い出せないことだらけだ。
 その赤NCAAは兄のお下がりだったこともあり、サイズは若干デカめ(ガキはジャストフィットを好む)。かつてコカコーラの缶のように鮮やかであっただろうボディの色はくすみ、命とも言うべき胸のロゴには縦ヒビが入っており、と当時のオレが惹かれるモノはない筈だった。
 確かに小学生は『マジンガーZ VS 暗黒大将軍』のマジンガーのように、ヒーローがギッチョンギッチョンにされてボロくなる姿に得てしてグッと来るのだが(ア・バオア・クーでの首なしガンダム、真っ二つヤマトとか)、オレも次第にその感覚を赤NCAAに感じはじめ、何ヶ月かした頃にはブッチギリNo.1のお気に入りになっていた。もーなんつーか、ソレを着てるときの“無敵感”はハンパなく、一生コイツと……みたいに思っていた訳だ。
 しかし、そんな絶頂のときに別れはやってきた。って単にオフクロに「みみっちいから捨てる」と宣告されただけなのだが、当然オレは泣き(笑)、しかし1ヶ月もしたら完全に忘れる、といった顛末。まあ、フツー小学生男子はそんなもんだろ的エピソードのまま、オレの記憶の底に沈んでいたのだ。
 今回この原稿を書くにあたって、もしかしたらと思い実家に電話してみたが、「あるわきゃねーだろ」とバッサリ。そりゃそーだ。恐らくアイツはその後ゾーキンにでもなって、元来布として与えられた命を全うしたんだろう。それでよかったんだ。なんか、今残ってても冷めるし。
 しかし、今現在30才過ぎたオレのT-shのボロさ、殆どあの“ヤレ感”と一緒なんだよなー、と記憶の底の赤いNCAAが、まさか鏡の中のエルヴィスになって戻ってくる訳じゃないが、「ほらな」と言っている気がした。しかも「だから言っただろ、あん時。お前はそのまんまで行け!ってよー」とのオマケ付きで。
 その後、何百枚とT-shを着ているわけだが、不思議と赤いT-shを着た記憶がほとんどない。バカみたいだが、あのNCAAで一生分着てしまったのかもしれない。“憧れは赤Tと共に”とか言って今年ガンガン赤いの着てたりして。
 こうして小学校低学年に始まる僕のT-sh偏愛の旅は、これからも続いていく。いつかどっかで会うかもね。では。

プロフィール

伊賀大介

1977年東京生まれ。スタイリスト熊谷隆志氏に師事後、1999年に独立。ファッション誌からミュージックビジュアル、広告、さらに映画や舞台に至るまで、幅広い分野でのスタイリングを手掛ける。2003年に写真集『First time』をプロデュース。