blog

中島敦とサイパンと日本語

真夏日、どころか猛暑日がつづいた7月末、
この日7月29日は朝からのつよい雨のおかげか、すこしひんやりと感じるくらい。
本誌に「南洋と私」を連載してくださっている寺尾紗穂さんにお会いしました。
 
この7月10日には、吉祥寺のSTAR PINE’S CAFEであった寺尾さんのライブを聴きに行ったばかりだったので、
寺尾さんの歌声とピアノの音が耳の奥でよみがえってくるのをたのしく感じながら、
夕方、京王線の駅前で待ち合わせて駅近くの喫茶店へ。
 
連載タイトルにもある「南洋」というのは、
第二次大戦中日本が占領していた島々、旧日本領「南洋群島」のこと。
ミクロネシアのサイパンやパラオ、マーシャル諸島などを含む地域です。
旅行で行った屋久島で、鞄に入れていてたまたまページをめくった中島敦の短篇を読み、
寺尾さんは南洋群島への興味を抱きはじめます。
「真夜中」No.8掲載の連載第1回に、このときのことが書かれています)
 
中島敦は官吏として日本語教科書編集のため、1941年この南洋群島へ派遣されました。
この地でのおよそ9ヶ月の経験をもとにした作品は、
「幸福」「夫婦」「寂しい島」「夾竹桃の家の女」「マリヤン」などいくつもあります。
南洋でしるした日記や、日本の妻と子どもたちに宛てた手紙なども、文庫本で読むことができます。
 
寺尾さんはとりわけ、「マリヤン」を読んで「南洋群島」に出会ったといいます。
2004年に2度サイパンを訪れた寺尾さんは、
日本語を話すことのできるおじいさんやおばあさんを探してお話を聞いてきました。
日本占領下サイパンでも、現地住民に対して日本語教育が強制的に行われていて、
当時子どもだった方々は、歳を重ねてなお日本語を覚えている。
このとき聞いた日本語でのお話を思い出しメモを見直し、いま、寺尾さんはそれを文章に書き継いでいます。
 
  *
 
コーヒーを飲みながらサイパン旅行の際の写真を収めたアルバムを見せてもらっていると、
次の号で書こうとしている人は、このおじいさん、と一枚の写真を指さしながら教えてくださいました。
 
逆光で、その写真のなかのおじいさんの顔は暗がりに沈んでいましたが、
小柄ながらも精悍な体つきなのが見てとれます。
日本にも数年住んだこともあったそうです。
寺尾さんは、この方に、どんなふうに話しかけたのだろう。
この方は、寺尾さんに、どんなお話をしたのだろう。
 
できることならこの秋、パラオに行けたらいいなぁと寺尾さんはおっしゃっていました。
6年ぶり3回目の、ミクロネシアへの旅。
2004年、お話を伺ったとき93歳だったあのおじいさんは、いまでもお元気かどうか。
 
占領下、日本語を教えられて育った現地の人も、いまではもう高齢になっています。
お話を聞くにも、あんまりゆっくりとかまえてもいられないのが現状です。
寺尾さんの2010年パラオ記、読みたいです。
 
  *
 
7月22日に発売したばかりの「真夜中」No.10では、サイパンに初めて行った寺尾さんが、
日本語を話せるお年寄りを訪ねていく道すじと、
そこで出会ったおじいさん、1933年生まれのFrancisco Cruz Satoさんとのお話が綴られています。
かつて覚えた日本の字を思い出しながらカタカナでお名前をノートに書き記し、
あるいは突然朗々と日本語のうたを歌いはじめる瞬間、
フランシスコさんというひとりの人が生きてきたこの七十年あまりが、
寺尾さんの目の前にひろがっていたのだろうなぁと感じます。
 
では本誌「真夜中」の「南洋と私」を、どうかのぞいてみてください!(編集部F)
 

寺尾さんが屋久島でページをめくった、文庫サイズの『ちくま日本文学全集 中島敦』。「マリヤン」も収録されています。この版は絶版、現在は同じ内容の新装版が出ています。