『シネマ屋、ブラジルを行く ―日系移民の郷愁とアイデンティティ』細川周平 著

 日本からサンパウロのサントス港へ最初の移民船、笠戸丸が到着した15年後の1923年、日本の映画が初めてサンパウロの映画館で上映されました。
 新天地を夢見て必死に生きる日本人たちにとって、映画は貴重な娯楽でした。しかし日本の映画はどうやって海を渡ったのでしょう?
 その映画を提供したのは当時「シネマ屋」と呼ばれた、映画配給会社の男たちでした。配給会社といっても最初の頃は、個人が数本の使い古しのフィルムを手に抱えてブラジルへと渡り、上映ツアーを各地で行うというもの。
 メロドラマや時代劇、関東大震災や戦況などを伝える記録映画などを上映し、遠く離れた日本への郷愁を誘い、またブラジルの他の都市の情報を伝える人として、「シネマ屋」は、ブラジルの農村に暮らす日本人に行く先々大歓迎を受けます。彼らは単にフィルムを上映するだけだけではなく、内容を解説し、時にはセリフを想像して読み上げる弁士としての役割を果たしました。
 行事の少ない村では、上映会はお祭りそのもの。その日は朝から大人も子どもも仕事を休んで、散髪して化粧をしてシネマ屋を迎えます。到着すると花火が上がり、ご馳走がふるまわれたそうです。

 移民というとどうしても経済活動の部分が語られがちですが、映画というささやかな娯楽を通して、文化の持つ大切な役割を再確認させてくれる、貴重でエンターテインメントな記録です。