『世田谷文学館収蔵資料目録3 植草甚一関連資料』

●加筆修正OK部門
 世田谷文学館まで「植草甚一スクラップ・ブック」展を見てきました。世田谷文学館の植草甚一展は以前もやっていたので、目新しいものはそんなにないかなと思ったら、まだまだあるある。シンプルに映画、ジャズ、ミステリー、ニューヨーク、などのカテゴリーごとに分けられて、原稿やノートなど生原稿と言われるものが多数展示してあります。彼が晩年にやりたかったという幻の古本屋を再現した「三歩屋」も楽しめます。

 彼の文の魅力の一つに、キャッチーなタイトルがあります。例えば「アメリカの便所にまた入りたい」とか、「ある一日のあとがき」とか、「ゼイタク感という安いゼイタク」とか、「ぼくは考えないから、ぼくなんだ」とか。 原稿用紙のマスからはみ出すほどの大きな文字で書かれたスピード感溢れるタイトルがあれば、もう本文は読まなくても十分という気にもなります(実際読んだらそうでもなかったり……)。

 展示でもう一ついいなと思ったのは、文章が書かれていく過程が見られること。映画を見るときは必ず暗闇で書いていたというメモ帳への走り書きが、最終的にどんな原稿になったのか、とか、一旦書いた原稿に接続詞を入れたり、てにをはを入れ替えたり、意外と細かく修正しているのがわかるのは、手書き時代のいいところです。

 たかだか2、30年前まではみんな手で書いていたのですから、今のように修正の履歴もわからないツルッとした文章で原稿を送ったり、そのまま画面に表示される方がむしろ特殊なことなのかもしれません。

 そういえば、Facebookの投稿で「編集済み」って書いてあると、つい更新履歴をチェックしてしまうのだけど、性格悪いなあと思いつつも、最初に書いた文章がどのように変更されていくのかを見るのって、けっこう面白いものです。
あっさり書いてから、盛り上がっちゃったのかどんどん文章を加える人もいれば、「絶対」を「たぶん」なんて表現を丸くしてしまったりするのも、どっちもわかるなあという気がします。

 文章の役割が、人がどのように考えたかってことを伝えることだとしたら、加筆修正する過程が見られる手書きの原稿とFacebookの投稿、どちらも同じように優れたメディアだと思ったのでした。