『シャネルN°5の謎―帝政ロシアの調香師』大野斉子 著

●いいにおいがする部門
 香りに興味があって最近色々と本を読んでます。蒸留といえば香りですから。

 香りを身につけることは、19世紀以前には階級を表すものでした。所有者ごとに配合されたレシピで、高貴な人たちが個性を競いました。(映画「パフューム ある人殺しの物語」の世界ですね。)
 19世紀になって、一般の人が身につけるようになり、香水はエチケットになります。不衛生な環境や体臭を香りでカバーしたのです。当時流行ったのは、自然の花そのものを彷彿させるフローラルな香りでした。
 19世紀後半、香りは表現になりました。絵画や文学や音楽と同じように世界を創造するものになったのです。異国や理想郷、有名人や動物、神話や物語など、実際に匂いがないものも香りのモチーフになりました。また、有機化合物でできている自然物から、単一の香りだけを抜き出す化学技術の発達も後押しします。

 そんな中、1919年に生まれたのがロシア生まれのフランス人調香師、エルネスト・ボーによる「シャネルNo.5」です。
数字だけのタイトルというモダンさ、それを体現する簡潔なボトル。そして何より、今までの香りとは全く異なるシャープな香りが特徴でした。
 「シャネルNo.5」が生まれるまでには、ロシアで売れっ子調香師として活躍するも、第一次世界大戦が起こるとその出自ゆえにフランス軍の防諜部隊として徴用され、ロシア軍捕虜の収容所長としてムジユグ島というところで終戦まで過ごし、仕事も財産も失ってフランスに渡った、ボーの苦難と挫折の歴史がありました。愛憎入り交じるロシアへの思い、北の大地の美しい自然、残虐な戦争の経験。それらが結実したのが「シャネルNo.5」だったのです。

 エルネスト・ボーの生涯を中心に、帝政ロシアにおける香水産業の隆盛、香りと人々の生活、ロシア文学に描かれた香り、そしてフランスとロシアの複雑な歴史。世界一有名な香水とはいえたった一つの香り。そこから無限に広がるいいにおいのする一冊でした。