『歳月』茨木のり子 著
「現代詩の長女」と呼ばれる彼女の詩を読むと、いつも背中がぴりりと伸びる。最も代表的なのは、こんな詩だろう。
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
川崎洋や谷川俊太郎らと詩の同人誌『櫂』を出版し、女がひとり、凛として生きる歓びをいつも彼女は伝え続けた。この展覧会では、そんな彼女の来歴が丁寧に紹介されている。
同人誌をつくる際の書簡のやりとり。谷川俊太郎にポートレイトの撮影をお願いした手紙。ファンになった金子光晴へのオマージュ。夫亡き後に、新しい指針を求めたハングルへの旅。彼女の人生は、いつも賑やかに彩られながら一方で、女として生活する自らへの厳しい視線も持ちあわせていた。
けれど、展覧会場の最後で辿りつくのは、彼女の没後に刊行された『歳月』という詩集に集録されている言葉たち。通称「Yの箱」の中の詩である。この「Y」とは亡き夫、三浦安信のこと。そして、そこに書かれていたのは、生前の凛とした茨木のり子の詩からは想像もつかないほど甘い思慕に充ちた、「Y」のことを想う言葉のつらなりだった。
「一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさい」と彼女自身も語っていたようだ。けれども、茨木の書き続けてきた強い言葉も、こんなに弱くて、しおらしい心情と表裏一体だったのかもしれない。彼女の詩を読んだ時の感触がまた少しかわって嬉しく思った。