『京都の平熱 哲学者の都市案内』鷲田清一 著

 かつての日本の都というだけでありません。今でもみんな大好きな京都。かくいう僕も今週末いってきます。この時期だと、ハモもはしりで美味しいんだろうなぁ。蓼酢で食べる稚鮎の苦みも堪らないなぁ。東京に住む僕などからみると、そこはいつだって特別なところ。
 でも、京都出身の哲学者の案内する京都は、ちょいと違います。かといって、よそ者を弾く京都の排他性をいっているわけでもない。本書は鷲田清一という生身の人間に、「いやと言うほどしみ込んだこの街の空気」を丁寧に紐解きながら紹介する京都本。彼の呼吸に合わせると、いままで想像すらしなかった京都が浮かびあがるから不思議なものである。
 身体性の哲学といわれるメルロ・ポンティからファッションまでをも守備範囲にする著者だから、舞妓さんの衣装を足し算の極みと捉える一方、修行僧の格好を引き算の極みだと看破。両者とも日常をかけ離れた「異形」だが、その両端を見て育つ人間は「おもろいもん好き」、「あたらしもん好き」、「きわもの好き」になりますわな。(ちなみにその典型が祇園なのだそうで。)
 幼い頃から鷲田が馴染んだ京都市バス206番の路線に沿って巡る京都案内は、この街の「奥」へと続く「孔(あな)」の存在を教えてくれる。