『写真講義』ルイジ・ギッリ 著/萱野有美 訳

●マエストロ部門
 須賀敦子の本の表紙だったり、アルド・ロッシの建築写真だったり、そして、モランディのアトリエ写真だったり。残念なことにイタリアの写真家ルイジ・ギッリの名前は、日本であまり知られていない。けれど、彼の写真はいつだって特別な佇まいをもっていると僕は思うし、この希有な眼を持った写真家を今こそみなが注視すべきだとも思う。
 この本は、ルイジ・ギッリが1989年から90年にかけて学校で行った写真講義をまとめた1冊だ。全13回の講義はポジフィルムとネガフィルムの違いといった超基本的なところから、彼の作品世界の構築法まで、硬軟いりまじった内容だ。ギッリのようなマエストロから聞くASA(フィルム感度)などの基本説明も新鮮だが、ファンにとってはやはり彼の眼の秘密が露になりかけている部分を何度も読み返してしまう。
 モランディ本人が描く白い絵画のように、驚くほど絵画的と称されたギッリの撮ったモランディのアトリエ写真。これは彼の代表作のひとつだが、本書のなかでは彼は「カメラを使った絵画」にしたくなかったと語っている。意外なことに。「他の芸術の猿真似」をすることに意味はなく、モランディの絵画と別の次元での関係の結びなおすことがギッリにとっての写真表現であり、世界との対話方法だったようだ。
 講義のあとに収録されている、友人で小説家のジャンニ・チェラーティの文章も読み応えがある。交通違反の罰金の請求書を無視し続けたギッリ。ボブ・ディランの歌ばかり聴いていたギッリ。ウォーカー・エヴァンスに夢中だったギッリ。49歳の若さで亡くなった写真家の知られざる毎日が浮かびあがる。そのなかでも、「何も見ていない、彼らは何も見ていないんだ!」というギッリの言葉ときたら。「すでに見たと信じ込む人に共通する盲目性」に辟易としていたギッリの叫びは、視覚至上主義社会の現代を生きる僕らにも投げかけられているように感じる。
 どこにでも転がっている既視感を未知化するために、僕も眼差しを洗わなければならない。