『ゲノムに書いてないこと』中村桂子 著

●朗らかゲノム部門
 理学博士の中村桂子は、現在JT生命誌研究館館長をつとめる人。『生命誌とは何か』に感銘をうけて以来、ちょくちょく新刊を読んでいる。そんな彼女が今年の年頭に出版した本がこちら。生命誌研究館のホームページで月に二回更新される「ちょっと一言」というコラムを集めたものだ。彼女の他の研究書と比べると、とてもとても短い本当の一言集。会った人の話や、読んだ本の話、訪れた場所についてなどなど、その時の社会の動きや、彼女の心持ちが丁寧に記されていて読み易い。
 だが、どんな些細な日常について書いていても、そこから確かに滲み出るのは彼女の生命観だ。TV番組の話を書いていても、ある鉄道事故について書いていても、村上春樹のスピーチについて書いていても、必ず彼女は自身の「生命誌」というフィールドとの距離を測り、結節点をさがす。関係ある/ないの線引きがうまくできないと、ものにも情報にも溺れてしまう。そんな恐怖感を抱きながら日々を過ごす僕らと比べ、なんと軽やかに様々なものと関わる中村桂子。そのスタンスそのものが彼女の提言する生命誌の一部のようだ。
 ゲノムは人の設計図といわれて久しいが、彼女はそれを「レシピ」に近いんじゃないかしらといっている。科学者であるのにもかかわらず。同じ材料でも、塩をひとつまみ振りかける量や加熱の時間で、随分ちがった味わいの料理が完成するように、ゲノムで「わかる」ことにも限りがある。その領分の限界を彼女は積極的に認めている。だから、彼女の一言は興味深いのだ。
 ゲノム解析によってもたらされる窮屈さではなく、ゲノムでも「わからない」余白をどう楽しもうか考える方が、僕も好きですね。朗らかな生命科学の導入には、ぴったりな1冊だと思いました。